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あなたの声が欲しいんだよ

あなたの声を思い起こす時、岩石の節理のようなものが頭に浮かぶ。わたしの胸には、火を守る灯台になりたい想いがあるから、あなたはわたしの岬になってくれるのかもしれないね。
怒濤のようなマグマのようなイメージが頭の中で混ざり合って新たな姿を形成するのが面白いから、そのエネルギーをもっと見せてよ。



わたしは感情を扱うのが上手くなくて、だけど近頃、感情とはわたしだけのものではないなと気がついた。わたしはむやみな共感を必要としない。だけど確かに自分は存在していいのだと信じるには、そこに共感が必要だと思う。
感情を解放していい場がなければ、そこにはいられない。けれども、常に誰かの感情に触れていれば刺激を受けすぎて疲れてしまう。感情とは一人で抱えるものではない。自分だけのものにしようとすると、到底制御できない。

海で泳ぐのが得意な人がいるように、感情にも扱うのが上手なひとがいて、抗うことも抑えることもせず流れに沿って身を預けるそのひとを見れば、こちらの心が平らになる。大きな波が来たときは、そんなイメージをしてみよう。涙をこぼせばいいのだ。泣かないことがコントロールすることではない。だんだんに分かってくる。泣きたい気持ちがあふれてきたら、抑えてしまわず、気持ちを見つめる。抑えようとすると不安のように思えた気持ちが、心を開いてみれば、嬉しいという気持ちになって胸を満たすのかもしれない。わたしの身体に感情があることを喜べばいいんだよ。

もしかしたら、今まさに感情を抑え込もうとして上手くいかない人からすれば、わたしは、その人よりは上手く扱えているように見えるかもしれない。だったらわたしを見ていてくれて構わないし、でもたぶん、わたしは感情以外のことが大事になってしまうこともあるから、時々蔑ろにするかもしれない。
扱えているように見えても、わたしは言葉にするのが好きなだけで、本当に感情でいっぱいになっているときは、太刀打ちできずただただ溺れている。溺れた姿を見せるのは恥ずかしいから、波が過ぎてからこうして話したりするけれど、どうにも、溺れているところを見てもらいたいこともある。
本当に溺れている時には、ちゃんと救助する能力のある人に助けてもらう必要がある。そんな相手に心当たりが無ければ、溺れないように、海には近づかない。この頃、随分この海が怖くなくなってきた。だからわたしは、もう溺れてはいないのかもしれない。自由に泳げるようになったから、泳ぎの得意な人に見てもらって、「泳げているよ」って言ってもらいたいのかもしれない。

一方でわたしは、怒りを燃料にしたような表現がなかなか好きだ。
暴発した怒りを直接向けられれば怖いけれど、その力を、表現に変えているものを見れば、むしろ癒され、励まされる。赤ん坊が力いっぱい泣く姿を思わせるような、草食獣の疾走のような、生きることを望む力を感じるもの。一球一球に魂を乗せるような投球や、地鳴りを感じるほどの歌声や、「美」を貫くものに怒りの表現を感じることもある。
生きるとは何かに抗う怒りの力なのだと思う。制御できなければ自分自身を滅ぼすことにもなる。抑えるのではなく、その力を注ぐ場所を見つけ出すことに、闘いがある。
わたしの絵も、わたしの文章も、きっと怒りのエネルギーを発しているから誰かを怖がらせているかもしれない。心配しないで、わたしが生きるために燃やしているものがあるというだけだから。あなたを傷つけはしない。もしあなたがわたしに傷つくなら、できればわたしが癒したいけれど、でもそれが叶わないのなら、あなたを癒すものはかならずあるということを覚えていてほしい。

わたしがわたしであるということに於いて、共感も肯定も求める必要は無いよ。何故泣くのか分かってもらわなくたっていい。涙が出るということをゆるしてくれるやさしさに触れることができたなら、生きていられる。
感情があることをゆるされて、わたしはわたしの悲しみを癒し、わたしの怒りでこの命を生きる。

わたしでも誰かの感情をゆるす海になることはできるかもしれない。でも、あまり期待しないでほしい。海の存在は知っているよ。そのことなら教えられる。だけど、感情はわたしだけのものではないけれど、これだけは大事に大事に抱えておきたい宝物の感情がある。でも宝物は感情じゃなくて、そこにある、わたしだけの物語なのだと思う。その物語は、誰にも分けてあげたくない。独り占めしておきたい。本当に、わたしごと大事に思ってくれるひとにだけ、そっと、分かってもらいたい。

だからわたしは、それ以外の分け合えるものを全部分け合って、全部を使って、関わりあって生きたいよ。

怒濤のような溶岩のような、強い生命を感じる力の間で、その力のぶつかり合うところに立って、わたしは声を聞く。
聞きたいんだよ、それがかならず、力になるから。わたしの力になってくれるから。たとえ、なぞることしかできないように感じても、誰かの力を借りたとしても、あなたが自分の足で立ったんだよ。あなたの声が、わたしを呼んだんだよ。わたしのところに届くのは、わたしを見つけてくれた、あなたの声なんだよ。



あなたの力を感じて、わたしは話すことができる。力を貸してくれてありがとう。存在を教えてくれてありがとう。

まだ抽象的な部分が多いけど、岬を見つけられたから、わたしは灯台になるよ。そうしてあなたを見つけ出して、できることを、いっしょに考えよう。
もう少し深いところまで潜ってみたい気もしている。それはまた、いっしょに行ってくれる誰かが見つかったらにしよう。
どこへでも行けるような気がしてしまうね。どこへでも行きたいね。

今日はいったん、お疲れさま。またお話しましょう。


恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。