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よく食べよく考えよく眠り、よく話す


眠る時に見る夢というのは大抵が悪夢で、わたしを、大いに苦しめる。
しかし苦しい夢を見せられようとも、わたしは時に大量の睡眠を必要とする。もっとも、悪夢というのは「起きたい状態」で見るのだから、悪夢だけ覚えているものだと言えばその通りなのだが。

一方で、起きたまま見る白昼夢も時折必要とする。
窓辺にしゃがんで外のある一点を頻りに眺めながらだとか、見知った路を歩きながら浮かべることもある、行く電車を見送ってだとか、そんなような感じのやつ。

頭は常にことを整理したがる。
悪夢ばかりを見ると言ったが、悪夢以外の夢を覚えていないわけでもない。
しかしいずれも頭の働きが見せているものだというのを身に染みて感じる。脳の手前で考えていることと、どこか別のところで同時に行われている思考の処理が、睡眠によって片付けられているのが夢によって見て取れるのが面白い。

だから煮詰まりを感じた時には喜んで眠りに就く。そういうときの眠りは、決まって質として良いことがないのだが、脳の整理が行われているのが自覚的によく感じられるので、気持ちとしては悪くない。
足りない時間で起きてしまうことも多いので、身体が求めれば時間の許す限りで、また眠れればかなり頭はすっきりとする。思考をようやく手放せたという感じに、爽快だ。

白昼に見ることもあるというのは、起きたままでもどこかで思考の方が付こうとするのだろうけども、他が疎かになるので注意しなければならない。

いずれにしても、長い時間を取られていることほど、整うには睡眠および夢を見ることが不可欠だ。眠らなきゃ完了しない。
身体的な疲労で、抗うこともできないような眠気の波にさらわれて、夢を見ることも忘れて眠れるのが何より気持ちいいものだけど。
脳の疲労を宥めるための眠りから醒める瞬間の、必要な解を得た!というあの冴えた感じが。いいんだよなあ。


今朝起き抜けに考えていた、寝る間も惜しいほど考えるのと寝ることの、両方がとても好きという話でした。
しかし悪夢がわりと重めなのはなんとかしたい。どうにかなるものなのかな?

以前にも夢の話を書いてますが、夢は毎日眠れば見るので、自分のコンディションを知るために必要な道具のようになっている気がします。悪夢にも程度がある。調子が悪くない時の悪夢は怖くない。
夢を見るのも、夢の話も楽しいです。寝るのも楽しい。起きるのも楽しい。


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恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。