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すきなひとの話をするように、

あなたの話をするのは何か変だ。

なら少し、わたしのすきなひとのことを話そう。
「すきなひと」なんて言って、大概白々しいのだけど、だってそれはひとのかたちをしていない。

かき混ぜるように話すけれど、あまり頭で考えずに聴いていてほしい。誰がどんなふうに受け取ってくれるのか分からないから、なるべく普段通りのわたしで、聴いてもらおうと思う。いろんな道を通って、たぶん、どこかでちゃんとつながっているとは思うのだけど。



おとなの目に守られず、ひとりで野山で遊んだ幼い記憶がある。わたしにとってその時間は、自然に呼ばれた、愛の記憶なんだよ。今も、呼ばれるままに委ねれば愛を感じられる。
わたしは故郷を懐かしまないけれど、確かに郷愁の心を知っていると思う。
近くに居るというだけで心を許す方法を覚えることはなかったけれど、肌を預ける安心も知らないけれど、愛着も情もちゃんと持っている。心をひらいて学ぶことも確かに知っている。確かに、わたしは、育まれた。愛情を受け取ってわたしはわたしの形を保っている。

自然はわたしが愛を感じてきたもののひとつだけど、それだけではなくて、たとえば漫画やロックに守られた心もある。絵本や詩集に「なりたい」と思うのは今もだ。おさない夢じゃなく。登場人物に恋をしたとか物語の中の世界に強く惹かれたのではなく、わたしの気持ちは、そのものに「なりたい」のだ。歌になりたい。物語になりたい。芸術になりたい、教科書になりたい、街になりたい。「つくる」ことはある程度近いけれど、そうじゃなくて、もっと何か、そこに伝えられている「概念そのもの」でありたい気がするのだ。自然に還りたい。わたしが、誰かにとって、還れる自然でありたいと、本当は思っている。誰かが、自由でいられる、自然に息をすることができる、わたし自身がそういうものでいたい。

わたしは、わたしより先にわたしを肯定してくれる唯一の相手に出会ってやっと、何が自分を生かしてきたかを思い出した。わたしが、自分を肯定する力をちゃんと、自分で持っているということを、やっと思い出した。思い出してしまえば、わたしの内側に感じる、これまでわたしに愛を伝えて生かしてきてくれたもののことを、二度といないことにはできない。わたしの望みを、なかったことにはできない。


わたしたちは結構、同じじゃない。互いに孤独を抱えているということを決して否定せずに、互いの存在を肯定する。
同じじゃないことはとても心強い。もっと明らかに同じではない相手とも、どこかに同じ気持ちを見つけて、互いに自分の持った愛を教えることができたらきっと幸せだろうと思う。

わたしは人間が嫌いだと思う。だけど人間関係が好きだ。
円満なものは、在るだけでわたしを生かしてくれると思う。
わたしの思う「円満な関係」をたくさん想像する。それは想像でしかないかもしれないけれど、そこにある、想像ではない実感のある気持ちを、わたしは知っているから。
人間が嫌いだと思うのは、ただ生身の塊でしか求められないことが嫌だということで、本当には人間が嫌いなわけではないんだと思う。愛することのできない相手はいないと信じている。けれど、それは誰も愛さないのと同じなのかもしれない。わたしの主観では決められない。心で触れ合えるものと愛し合いたい。でもわたしの想像するそれは、体の境界を失って自然の一部になるようなことなのだ。
ちゃんと関係することが好きだ。たくさんの違いの中から「同じ」を見つけて接続する。違うことが大事な意味を持つ。そうしてすべての関係が円満につながった世界をわたしは愛していたい。
円満でない世界を愛さないということではないんだよ。

ただ、わたしの思う美しさを、きらめかせていたいだけなんだよ。


たくさんたくさん想像する。想像を膨らめて、その中で、出会えたあなたとお話する。そのあなたは、あなたではないかもしれない。

あなたに伝えていいんだと思うとき、わたしの心は強くなる。わたしは伝える言葉しか持たない。わたしのための言語は、言葉にはならない。わたしの中で、わたしの宇宙で、わたしの大自然の中で、ただきらめいている。ただ在る。
誰かに聴いてもらおうとするとき、誰かに見せようとするとき、かならず形を変える。そのままでは、伝えるための形をしていない。
あなたがもしわたしの言葉をいいと思うなら、その言葉はきっとあなたに渡すためのものだと思う。言葉ではなく、言葉に包まれた気持ちを感じてくれたなら、本当に伝わったか、わたしは、かんたんには信じられないかもしれない。だってわたしは、ほんとうのわたしは、あることしかできないから。

ほんとうに、見えているかな?あなたが、見る力を、感じる力を、持っているなら、見えたままを教えてほしいんだよ。「ほんとうにみえている」って、なんだろう?あなたに見えたものがあなたの真実だし、わたしの真実は、わたしにも分からない。真実じゃなくてもいい。ほんとうは、なんて、なくてもいい。たましいでいたい。たましいを見せてほしい。
そんなところに気持ちが潜り込むとき、わたしはやっと安心する。

形を示す言葉はわたしには無意味で、あなたはあなただし、あなたたちはあなたたち。意識で触れているから、あんまり名前もいらない。でもね、わたしの頭のなかみを、共有する必要があるんだったら、わたしはちゃんとみんなの名前を呼ぶんだよ。わたしに名前を呼んでほしいのは、誰だろう?

わたしも名前はまだないけれど、ほんとうはどこかにある名前を呼ばれた気がしたら、返事をするね。


ふしぎな話をきいてくれて、ありがとう。
またどこかで会えるといいね。


恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。