子どもだった私へ送るアンサー

また向こう隣の男の子がこちらを見てニヤニヤ笑っている。彼のお友達とこれみよがしに大きなリアクションまでつけて、私を変な声と馬鹿にしている。聴こえてないから何を言っても平気だと。

半径1m外の会話が聴き取れなくても、なにかよくないことを言われているのを人はとてもよく察することができる。私はそっちの方などまるで見えてないかのようにじっと視線を前に固定する。でも無理。いくら視線を前にやっても、彼らは視界に入っている。周囲がよく見えてしまうのだ。まるでサバンナでライオンに怯える草食動物のように。

小学校から家族の住む団地まで20分の道のりを下だけ向いて歩く。誰にも声をかけられないように。もし友達と目が合ってしまったら、会話を始めないといけないから。
それから知らない人間に突然声をかけられるほど恐ろしいことはない。特に老人には警戒しないといけない。何度も聞き返すうちに、おかしな子だと、もういいと、嫌な顔をされたことは一度や二度ではなかった。敬うべき存在だと教えられるけれど、子ども相手に感情を隠さない人間は老人の方が絶対的に多かった。

鍵っ子だった。おかあさんは毎日妹と聾学校に行っている。

ランドセルを置いて団地の公園に行く。団地仲間のみいちゃんとさっちゃんがおしゃべりしている。話している内容は早すぎてわからない。仲間外れにされたような気がして癇癪を起こす。
言葉も知らなかった頃には3人で仲良く遊んでいたのに、小学校に上がってから急にふたりはテレビや他人の話ばかりするようになった。どっちか1人と私なら大丈夫なのに、みいちゃんとさっちゃんが揃うともう自分は蚊帳の外だ。ふたりから離れて砂場で遊ぶ。

公園の脇で団地ママたちが井戸端会議をしている。知ってる顔ぶれだ。いわゆる「大人の話」で内容は例によってわからないが、しばしば悲鳴のような笑い声が上がったりして楽しそうだ。時々「なっちゃんだ」「なっちゃんママげんき?」と構ってくれて嬉しい。おかあさんもここにきて他のママとお話したらいいのに。きっと楽しいよ。遊ぶところ、近くで見ててほしいな。何度もお願いしたが「おかあさん、おしゃべり好きじゃない」と困ったように言うだけで、来ることはなかったね。

妹はまだ聴こえる人と聴こえない人の区別がついてないみたいだ。お店のお姉さんに、一字一句キューサインをつけて大きく口を開けて注文していた。「ちょ・こ・れー・と・あ・い・す・を・く・だ・さ・い」先生の導きでお友達に話しかけるぐらいの丁寧さだ。何もわかってやしないのに、団地子どもの集まりにしつこくついてくる鋼の精神力の持ち主だ。

おとうさんとおかあさんは食卓で喧嘩する。ふたりは手話で、まるで相手をぶん殴りそうな激しさで言い争う。私は大人の手話がわからない。聾学校では手話は教わらない。私にとってはキューサインの方が母語だ。ふたりは何をそんなに怒っているんだろう。どうしてそんなに怒ることがあるんだろう。

土曜の夜7時にはアニメを観る。おとうさんが時間になるとセーラームーンやってるよって教えてくれる。大好きだったから。でもねおとうさん、今は好きじゃないんだ。アニメばっかり見てるの恥ずかしいし、現実の人間と違ってキャラクターは口を同じ形にぱくぱくさせるだけで口が読めない。物語が全然わかんない。本とか漫画を図書室で読んでる時の方が楽しいんだよ。
あとおとうさんは字幕ついてる番組見てるのに私が来ると「聴く練習をしなさい」って言って字幕を消しちゃう。私だってわからないよ。

毎週、電話の練習だって言っておばあちゃんからかかってくるでしょう?うちは私以外に電話をとれる人がいないから、私が電話できたらすごく安心だと思ったんだろうね。でも、異常なくらい大きい声でゆっくり同じことを3回繰り返してもらってやっとわかるんだよ。痛いぐらい補聴器に受話器を押し付けて、背中に力を込めて、後ろにいる家族の呼吸すら止めてもらって。すごく疲れちゃうんだ。
電話の呼び出し音が鳴ると、今でも胃のあたりがぎゅっと冷たくなる。

学校では相変わらずばかにされている。移動教室があったとき、いつもと違う教室になるのわかんなくて音楽室行ったら誰もいなかったんだ。教室に戻って、もう1回音楽室行って、誰もいなくって、ゆっくりトイレに入って声を殺して泣いていたね。
どうして家族の中で私だけ普通の小学校に通わされているのだろう。妹は楽しそうに聾学校に通っている。どうして私だけこんな思いをしなきゃいけないの。

休み時間に「さぼってたよね、そんなことしていいと思ってるの?」って例の男の子に言われちゃった。どうしてあんたが私を裁けるの。あんたが私の何を知っているの。耳があるくせに音読が苦手で漢字もろくに読めない、掃除もしない、教科書はぐちゃぐちゃの、人の気持ちがわからないあんたが。私はあんたと違う。音読でつっかえたことはないし仕事はちゃんとするし家で勉強もする、酷いことを言わない。あんたより絶対に私の方が優れている。ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。

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我慢しなくてよかった。嫌だって言ってよかったんだよ。
意地悪な男の子に。蚊帳の外にする友達に。頭のおかしい老人に。おとうさんに。おばあちゃんに。おかあさんに。

意地悪な男の子はあなたを舐めてたんだ。あなたがどんなに困っててどんなにものを考えてるか知らなかったんだ。何を言っても歯向かってこないと思って。飛びかかってぶっ叩いてやればよかった。大きな声で「お前なんか嫌いだ!」と言ってやればよかった。わたしもひとりの人間だと思い知らせてやればよかった。

蚊帳の外にする友達に「仲間外れにしないで」と主張すればよかった。
あなたがついていけてないことに気が付いていなかったんだよ。言わなきゃわからないよ。

頭のおかしい老人には、大きな声で「私聴こえないので!」と威嚇してやればよかった。お前の老人性難聴よりこっちの方が聴こえてないんだ。

妹はアイス屋のお姉さんに伝えたかったんだ。自分かいちばんよくわかる方法でお姉さんに話しかけたんだ。

おばあちゃんは電話の練習だけがしたかったわけじゃない。初孫と話をしたくてたまらなかったんだ。電話じゃなくて文通でもすればよかったね。

おかあさんは迷ってた。聾学校の年長さんを卒業する私に聞いたんだ。「普通の学校に行きたい?」と。私は「お友達たくさんいるから行きたい」って答えたんだよ。覚えていないだろうけどね。それでおかあさんは腹を決めたんだ。私の強さに賭けたんだ。
おとうさんは細かい気配りとかできない男だったけど、あなたに笑っていてほしかったんだよ。

おとうさんとおかあさんは、あなたのことを愛してた。絶対に便利に使いたかったわけじゃない。家族の役に立つことだけに存在意義を見出さなくていい。
わからないことをわからないって言えばよかった。学校で辛かったこともっとお話しすればよかった。何も困ってないふりしなくてよかった。

もっと早く、おとうさんとおかあさんの使ってる手話を教えてほしかった。そう言えばよかった。
喧嘩してても、日本語が下手になってもよかった。同じ言葉を使いたかった。

おかあさんは、寂しかったんだ。健聴者の井戸端会議なんて聾者はトップレベルに避けたい場面だ。わからない会話に頷いて、相手に気を使わせないようにただニコニコしていなきゃいけない状況、心が折れてしまう。おかあさん、私も辛かったよ。でも子どもの私には、その辛さの正体がずっとわからなかった。おかあさんお話わからない場所にいるの辛いのよと話して欲しかった。同じ苦しみを共有したかった。


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「こうすればよかった」「こう言えばよかった」なんて子どものわたしがわかるわけがない。
デフファミリー出身の難聴の女の子のお話なんて他にどこで聞けたか当時はわからない。今ですら出会えていない。
子ども時代の自分の「どうしてなの」を、知識と経験を重ねた今のわたしが抱きしめながら答えをあげるしかない。

私のお願いに折れたおかあさんが一度だけ井戸端会議に来てくれたことがあった。たった一度だけ。それが愛されていたことの証明になると思う。

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涙溢れるままに書き殴った文章を衝動的に公開しました。
もっと良い表現を思い付き次第内容を編纂する可能性があります。





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