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自分らしい表現を見つけるまで

文学の研究者になることが私の夢だったあの頃。

まだまだ駆け出しの大学院生で、お金もないし(バイト出来ない)、時間もない(論文論文論文……)、でも肝心の論文が、書けない。

そんなとき、気持ちを入れ替えて「書くこと」へ向かうために、少し遠出してレイトショーを見に行ってました。

夜の映画館はとても、しんとしていて。
人もまばらに少なくて。
チケットを手に、座席を探して1人、座る。

お金がなくて飲み物しか買えなかったけど、
場内の照明が落ちて、スクリーンに灯がともったとき。
しゅわっと弾けるジンジャエールが私をここではないどこか遠くの物語世界へ運んでくれるような気がしました。

いろいろ見たけれど、私が一番好きなのは
横浜流星さん主演の『線は、僕を描く』です。

目標もなく漫然と過ごしていた大学生の青山霜介が、ふとしたきっかけで見た、水墨画に描かれた思い出の椿。

炭の濃淡で森羅万象を描く試みである水墨画。

心惹かれた霜介は、筆を手にし、その一本の線が描かれるまでを、そして命の本質へ迫っていきます。

家族のような師弟関係を結んでいくのですが、
私が特に好きな場面は、とある発表会の場面で師匠の湖山が弟子で孫娘の千瑛に声をかける場面です。

「千瑛らしい、線を見つけたね」

真っ白な世界に、一本の線が描かれるまでの軌跡を追った素晴らしい映画でした。

当時、論文を「書くこと」に心を悩ませていた私にとって、
いつかこんな風に自分らしい表現の世界へ辿り着けたらいいなと思わせてくれる、そんな作品でとても刺激を受けました。

原作は砥上裕將さん。
第59回メフィスト賞の受賞作です。

「自然に心を重ねる」という表現が書かれるように、原作ではお茶を飲む場面が多く出てきます。

そのなかでも特に好きなのは、今まで心を落ち着けるためにお茶を飲む習慣がなかった霜介がお茶セットを揃えて、先輩の千瑛とお茶を飲む場面です。

「この前、湖山先生と話をしていてお茶をたくさん飲むようになるって言われたからとりあえず揃えてみたんだよ。その、紅茶と緑茶とコーヒーを……どれがいい?」
「3つも買ったの?」
「よく分からなくて」
「じゃあ、紅茶を」
僕は頷いた後、ティーポットとまだ封も開いていない紅茶の缶を取り出した。ティーバックだと思っていたそれは茶葉がそのまま封入されている本格的な代物で、僕はとりあえずそれをポットに移し、沸きたてのお湯を注いだ。お湯を入れた後で、茶葉はティースプーンで人数分プラス一杯分でよかったよな、と妙なことが気になってきた。母がお茶を淹れていたときは、いつもそうしていた。母はお茶が好きで戸棚一杯にさまざまな種類のお茶の缶を入れていた。この二年の間に僕が失ったものの一つが、お茶の香りだったのだなといまさらながらに気が付いた。ポットの中で、蒸らされた茶葉が静かに沈んでいく。僕の心も同じように落ち着いて行った。

砥上裕將『線は、僕を描く』(2021年10月・講談社文庫・166頁)

家族を亡くしてから、様々なことを失って、宛てのないような日々を過ごしていた霜介が、お茶を淹れて先輩と水墨画について語る場面。

読んだとき、たしかにお茶を淹れるってあんまりしてこなかったな、
と思い急須とお茶のセットを購入しました。

以来一息つきたいときはお茶を飲むようにして過ごしています。

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この春、投稿した論文が査読を通過し初めて掲載が決まりました。

「やっと、活字になるんだ」と思わず涙がこみ上げてきました。

あの時、こだわって、こだわって、一文字ずつ積み上げるようにして論文を書いた日々を支えてくれたのは、霜介が教えてくれた水墨画の表現の世界とお茶を淹れる習慣です。

これからも、人の心を支える文学の研究を精一杯続けていきたいと思います。



わたしのお茶セット

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