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三日坊主日記 vol.29 『一番好きで、嫌いなセリフ』

昨日の日記に書いた「ことばカフェ心斎橋」で映画『泥の子と狭い家の物語』の話をしたことへの追記。劇中のセリフのことを人前で初めて話したんで書き留めておこうと思う。

イベントのテーマが「映画とことば」ということで、僕自身気になっているセリフを用意していった。まずは田中美里さん演じる、主人公のお母さん康子が娘の小豆に言う「お母さんが本当の小豆ちゃん、救い出してあげるからね」。

他のキャラクターが次々と我を見失っていく中で、自由奔放というか、自分らしく生きる小豆に対して母親がいうセリフ。つまり、私の思い通りに育たない娘はもはや自分の娘ではない。私の本当の娘はもっと素直で良い子のはず。お母さんがそんなあなたを救ってあげる、という非常に恐ろしいもの。

自分たちの思い通りにならないものは全て否定するし、なんなら洗脳してしまう。口答えせずにさっさと言う通りにしろ、とでも言いたそうなセリフ。映画の中で一番好きで、嫌いなセリフです。田中美里さんの演技が非常に素晴らしく、非常に恐ろしいシーンになりました。

もう一つは、加賀美という女性が康子にいう「正気になり、幸せにしたるって言うてんねん」を受けての小豆のセリフ、「誰かにしてもらうもんとちゃうねん」「不幸も幸せもあんたが決めることじゃない」というもの。

このセリフは「こんなん、ほんまもんの幸せとちゃう」と形を変えて、ポスターやチラシに掲載されている映画のキャッチコピーにもなっています。

これも先ほどのセリフと意味は同じ。誰の主観で言ってるかの違いだけです。こうした方が幸せになれる。あなたの為を思って言っている。子育てや教育の現場でついつい言われがちなことばですが、一歩間違えばお節介ですよね。過干渉とも言えます。親子とはいえハラスメントかも知れません。

僕はこの映画をコロナ禍の2021年に作りました。世界中にコロナが蔓延し、コロナウイルス陰謀論やマスクの可否など同調圧力が強まり、魔女狩り的ななんだか人間の嫌な部分を正義のように報道されているのを見たのがきっかけです。子供の頃からへそ曲がりで人に頭を押さえつけられるのが嫌いだった僕は、そんな世間の空気が息苦し過ぎて作った映画と言えるかも知れません。

「ことばカフェ心斎橋」で僕がどんな話をしたのか、全体を聞かないと、ここに書いたことだけでは分かりにくいかも知れませんね。是非映画を見て問題のセリフを探してみてください。

『泥の子と狭い家の物語』は、amazon、ほか各オンラインストアでDVD発売中。
prime video、U-NEXT、などほとんどのプラットホームで配信中。GEOでレンタルもしています。

【あらすじ】
不動産屋曰く「ちょっと狭めですけど、みんなが幸せになれる家」に暮らす内田さん一家は、様々な問題を抱えながらも、開放的で幸せな家族だった。加賀美と名乗る女が、祖母松子の介護にやって来るまでは。 加賀美が来るようになって、どうも母康子の様子がおかしい。主人公の小豆は訴えるも、事勿れ主義の父幸男は、まともに取り合わない。 やがて、家族に良い変化が起き始める。鍼灸師だという加賀美は、幸男の酷い腰痛を一瞬にして治してみせ、再就職を叶えた。康子も明るさを取り戻し、少しギスギスしていた夫婦仲も良くなったように見えた。 やはり自分の思い違いか。母や父が言うように、加賀美は幸せを運んでくれるのか。そうして加賀美は、内田家に居着いてしまう。 ところが、加賀美の行動が徐々にエスカレートし始める。家事、食事、小豆の進路や交流関係、果ては下着の色にまで口を出し、家族から自由を奪おうとする。 謎の女に、徐々に蝕まれていく一家が織りなす、ファンタジー人間ドラマ。 家族の崩壊と再生の物語。


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