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「日本人の社会と精神性」〜陰謀論とスピリチュアルの狭間で〜①


皆さん、こんにちは・こんばんは・おはようございます。「見たかな?観たよ!」の中の人、ひろ-macrobiworldです。

今回からまた新たな視点でのシリーズを始めようと思います。テーマは「悪は抱き参らせよ〜分断から融和へ」。

少し前にアップしたカバラに基づいて作られたDSの系譜図の中で、ユダヤ教の密教とも言えるカバラ神秘思想における物事の流れを体系化・図象化した図;ユダヤ密教カバラ神秘思想の曼荼羅とも言える「生命の樹」の完成に至る最終段階で、「分断・対立から融和に至る過程」があることについて触れました。

また日本の預言書としては最も有名であろう「日月神示」では、「悪は排除するのではなく、悪は抱き参らせよ」と諭しています。

つまり、「悪を感化して自ら更生・改心する様に仕向けなさい」と言っているわけです。

ところが今の日本は、内心はどうであれネット上には「悪は排除」の主張が跋扈している状態です。

この「悪は排除」の主張がぶつかり合ったところに生まれるものの象徴が「戦争」ですね。人類全体にとっての悪は勿論存在していますが、戦争を招く様な「悪」は、その当事者にとっては悪でも、当事者と争っている相手にとっては「正義」だったりします。

それが如実に現れているのが宗教戦争でしょう。

日月神示は神懸かりとなって自動書記を行った岡本天明が、戦前の神道系の新興宗教だった大本の教徒でしたし、自動書記が始まったのが成田台方の麻賀多神社ですから、そこには神道的な価値観や思想が反映されています。(日月神示自体はもっと大きな視点ーーー「世界宗教」と言うよりは「世界の道」と言う観点で語られているようです。)

筆者はテーマの本質的な部分においては大国主命の「国譲り神話」にも関係しているのではないかと思っていますが、この国譲り神話における天津神(高天原)と国津神(出雲族)の関係が、今回のシリーズのテーマを象徴的に表されているエピソードでは無いか?と思っているのです。

つまり、旧約聖書にエゼキエル書38章や新訳聖書に黙示録が終末預言として存在する様に、
記紀には大国主命の国譲り神話があり、
この国譲りの神話は一種の終末預言=「形示し」の意味もあるのでは無いか?と思われ、日月神示の預言部分は黙示録のように新たな視点から補足されたものではないかと思うのです。

要は国譲り神話はエゼキエル書に、
日月神示の預言は黙示録に相当するのでは無いか?と言うことです。(あくまでも筆者の個人的な感想です。)

【関連記事】日本神話と日本のホロスコープ第3章(リンク先は有料マガジンになっています。)

ですがここで諭され戒められていることを実践するには、日本人自身が現実に目覚め、ブレない軸を持って対応出来るようになることが必要だと思います。

ところが今の日本社会は他国同様に分断が進み、こうした神道的な精神性が失われて、世の中がギスギスするばかりですよね。

現在、世界ではハルマゲドンへの道へ強制的に追い込まんとする様な流れや事象が、次々に起きています。

そう言うわけでここーーーカバラ神秘思想の生命の樹の完成に至る過程で見られる「対立から融和へ」のエネルギーと、
日月神示に書かれている戒め・心得である「悪は抱き参らせよ」ーーーの二つにフォーカスしながら、今世の中で話題になっている問題について、色々考察するシリーズを始めることにしました。

なおシリーズ記事の更新は不定期になる予定ですので、予めご了承くださいませ。

第1回目の今回は、身近なところでの問題として、日本におけるオーバーツーリズムの問題について取り上げ、考えてみたいと思います。


おもてなし=察する文化の国・日本


少し前にYahooニュースでこんな話題が取り上げられていました。

この記事の内容に関しては、日本で生まれ育った日本人に共通している受けとめ方も影響しているように思います。

日本社会は均質的で閉鎖的(逃げ場のない島国)故に、社会や対人関係において「察する文化」が発達しているので、具体的に言わないと分からない人と言うのは、気が利かない人ーーーと言うマイナス評価になり易い傾向があります。

つまり言われる前に察して動ける人が(その分野や組織において)一人前と見做されているから、日本ではある程度経験を積んでいるにも関わらず、いちいち具体的な指示がないと動けない人というのは、「出来ない人」、すなわちスキル的な評価が下がる社会なわけです。

ですからそういう社会において、その組織において一定の経験キャリアを積んでいるにも関わらず、上司から具体的指示を出されると言うことは、相対的・間接的に能力的・人間的に低い、未熟だと評価されていると感じて反発したり、落ち込む人が多い→作業効率が落ちる、と言うことなのでは無いでしょうか?

右も左も分からないビギナーならともかく、ある程度経験を積んだ社員や従業員が、上からいちいち具体的な指示を受けると「命令」されている、人として見下されていると感じて、不快に思ったり、やる気を失くす人が多いのでは…?

(LGBT法案の時も、結婚の法制度の不備がある以外は、日本ではLGBTに対する差別は無いのに何故…と反対の声が多く、当の国会議員ですら反対だらけの法案だったのに、外圧に負けて現政権が法案を通してしまいましたよね。

日本人は空気を読んで自粛する傾向が強いので、お願いされるならともかく、命令とか法的に強制的に縛られる様なことには反発が強いお国柄だと思います。)

またそう言う社会故に、最近富に増えて来ている、人の気持ちを察したり場の空気を読むのが苦手だと言われる発達障害持ちやグレーゾーンと言われる人たちにとっては、日本の社会は生きづらい社会でもあるのでしょう。

逆に人種のるつぼと言われる米国などでは、出身によって価値観や受け取り方、感じ方も違うから、具体的な指示を出さないと誤解されたり、ミスに繋がる可能性がありそうですね。

それを防ぎたいが為、具体的な指示が好まれるのだろうし、そう言う合意が社会の中にあるから、具体的な指令がある方が業務上の流れもスムーズなのでしょう。

米国で発達障害をカミングアウトしている有名人が多く、それ以外でも発達障害を持つ人の活躍の場が比較的多いのは、そう言ったお国事情が大いに関係しているのかも知れませんね。

こうした日本と海外の社会の文化の違いが影響していそうな問題のひとつに、日本でのオーバーツーリズムの問題があります。

日本人も旅先でハメを外す人はいますが、
それでも例えば、日本人が海外へ団体旅行する際にはツアーコンダクター等から、事前に「〇〇は禁止されています。」とか「〇〇は迷惑になりますので控えてください」と言った注意喚起があるかと思います。

ごく一部の不届き者を除けば、そう言った注意喚起は一応参考にして行動する人が多いのではないでしょうか?

でも多分、他の国は違うんじゃないでしょうか。
そこまで親切では無いというか…。

実際、欧米からの観光客の場合は、話せば理解してもらえる…と言う意見も目にします。

と言うことはーーー知らないだけなのかも知れないし、日本人同様に旅先での開放感故にハメを外してしまっているだけかも知れない。

でも少なくともお隣の赤い大きな国からのツアー客などは、旅行会社からそうした法令上やマナー上の注意喚起を受けているようには見えないですよね。

日本の旅行業者なら言われなくてもこうしたサービスはするのでしょうが、外国の旅行業者に対しては、然るべき省庁や自治体及び観光業界から注意喚起のお願いをしないと、自分たちのツアーに参加している客に、いちいちそう言うトラブル防止の為の注意喚起の様なサービスはしないんじゃないでしょうかね…?

昔、こんな話を聞いたことがあります。

真偽の程は分からないのですが、日本人の血液型は🅰️🅾️🅱️🆎の順に多いけれど、お隣の赤い大きな国は🅾️🅱️が殆んどで🆎や🅰️は少ないのだそうです。

血液型占いは信じないと言う人も多いけど、かと言って無視出来ない要素もありますよね。
こう言う国民性とか組織の気風とか、案外影響している様な気がします。

お隣の赤い大きな国は、要は集団の中にA型の様な几帳面で場を仕切ったり纏めてくれる人がいないーーー皆が自由過ぎて、受け入れ国側にしてみたら迷惑に思うことをされ易いと言うことになるでしょうか。

日本人は相手に不快な思いをさせない様に、仮に注意するときでも気を遣ってやんわりとした言い方で注意することが多いと思いますが、

お隣の赤い国の人たちは、大声で強くNO!と言われない限りはその行為をやめない…とも言われていますね。
(嫌なことを嫌、ダメなことをダメと、はっきり言わないから延々とされ続けるーーー今の日本社会に共通する問題点でもありますね。)

こうした文化的な違いから来る齟齬が、今の日本のオーバーツーリズムの問題にも影響している様に思えます。

「郷に入れば郷に従え」ですから、こうした違いは自分たちの身を守る為にも、ツアー客の方が日本に入国する前に事前に説明を受けるべきかとは思います。

例えば「日本人は注意する時でも優しい言い方をするけど、それは相手の気持ちを考えてそうしてくれているだけだから、実質〇〇人が大声で抗議しているのと変わらない。だから注意されたらその行為は控えた方が良い」とかね。

日本はウシハクの国に成り下がってしまったのか?


この様に日本に住む個々の人間が、支配層からコントロールされずとも自律的に配慮し合って、結果的に規律的な社会を維持して来れたのは、

日本で古来から天皇統治の在り方として言われて来た「シラス」の概念が、(そうとは知らずに、ただ単に道徳的な理念や価値観として)国民の末端まで浸透していることが大きいと言えるのではないでしょうか?

例えて言うなら「天皇は親、国民は子供、政府・政権などの行政は乳母」の関係に例えられます。これが戦前の教育勅語には反映されていたわけです。

詳細は省きますが、戦前の大東亜共栄圏構想(欧米の植民地化されていたアジアを、欧米支配から解放して独立した政治経済圏を作って守る為に、日本以外のアジアの国々にその力を育てることから始めていた。)も、この考え方に沿ったものだったでしょう。

何故なら19〜20世紀における欧米列強国は、アジア・アフリカ等の植民地から一方的に搾取するばかりで、教育すら与えていなかったのに対し、日本は領土だったアジアの国々に、明治政府が教育や交通のインフラを整え与えていたわけですが、それにはこうした背景(欧米列強と対峙出来る仲間作り=大東亜共栄圏構想とシラスの考え方)があってこそ、だったとも考えられるわけです。

こうした基礎があったお陰で、戦後、戦前に日本の領土だったアジアの国々が独立した後、かつて日本領だった全ての国が経済発展を遂げたことは(今や彼らの方が日本より発展してるかも?)世界の経済学者の共通認識となっています。←日本人だけがこの事実を知らない。欧州の植民地だったアフリカ諸国が独立を勝ち取り、人々が教育を得られたのは戦後随分経ってからのことです。しかもそれも、戦後日本のODAを通じて支援されて来たものが多いのです。

日本社会に息付きながら、外国勢力に消されつつあるシラスの考え方


その他、日本における会社幹部と労働者の関係、例えばーーー会社幹部が現場に出て来て、作業着を着て見回りしつつ、労働者と一緒にお昼を食べるーーーなど、日本社会の中にシラスの考え方が影響していると思われるものは、数多くあります。

欧米の会社幹部はこう言うことはしないらしいですから。幹部と労働者がハッキリ分けられていて、そこには厳然とした壁が存在しているようなんですね。

そう言う意味では、西洋に比べると身位や身分間のボーダーラインが比較的曖昧かもしくは緩く(※)、東洋…特に日本には昔から社会主義的要素があったわけです。

注※;第3代将軍・徳川家光の側室の側室だった桂昌院(お玉)は、俗に「玉の輿」の語源になったと言われていますが、彼女は二条家の家政を司っていた本庄宗利の後妻(八百屋の未亡人)の連れ子だったと言われています。

渡部昇一氏によると八百屋出身のコンプレックスから、相当な教育ママぶりだったそうだけど、これ読むとなんだかなあ…。
「八百屋の娘」から「徳川5代将軍の母」へ…日本で最初に"玉の輿"に乗った桂昌院の数奇な人生 教育ママぶりを発揮し、綱吉は典型的なマザコンに | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

クーデンホーフ・ミツコ(青山光子)についてもそんな話を聞くし、格差婚した女性は教育ママになり易いんですかねえ…。

因みに家光の御台所(正室)は、五摂家のひとつ鷹司家を再興した伏見宮貞敦親王王女の末子である関白太政大臣・鷹司信房の娘・鷹司孝子でした。

またオスマン帝国では、東方正教会の神父の娘だったが誘拐されて後宮に売られ、ハーレムの奴隷から皇后にまで上り詰めた女性も存在します。

西洋では近代までこうした身分の流動性はあまり見られなかったようです。白人で運良く貴族の養子にでもなれた人なら話は別だったのかも知れませんが、国によっては身分の差が厳格に定められていた所もあったようですしね。

つまり日本は古代から、西洋に比べたらずっと民主的で平等な国だったわけです。

それ故に共産主義の思想が日本にもたらされた時に「誤解」が広まり、誤解した人々によって明治政府は侵食され、戦争への道〜敗戦革命〜を目論む輩によって日本は最終的に第二次世界大戦に進まされ敗戦。

結局彼ら“誤解した人々”の目論見は外れて、米国本国からパージされた米共産党の残党集団とも言われるGHQによって日本は占領され、名目上の独立を果たした後は米国の属国となって行くのです。

この辺りの歴史については近現代史研究家の林千勝さんが著書を幾つか出されてますね。


封建制度の時代も民主的だった日本


日本には封建社会だった江戸時代にも、目安箱なる庶民の声を幕府が吸い上げる為のシステムが存在しましたが、これと似たような仕組みは江戸時代以前からも存在した様です。

議会制民主主義が取り入れられた明治以降は、段階を経て、子である日本国民は成人であれば誰でも、乳母に相当する議員(「シラス」において、天皇から信任されるべき統治の代理人→行政府の一角を構成する代議士)を選ぶことが出来る様になりました。

それが選挙制度です。

そして選挙で子に選ばれた乳母(代理人→代議士)が、親である天皇から「我が子・国民のことをよろしく頼みますよ」と承認式で統治を委任されていることに、変わりはありません。

むしろ子が成長したので親からのお仕着せではなく、親が子供の意志を尊重する様になった状態と言えば良いでしょうか。そう言う意味では日本の議会制民主主義は進化・成長していたはずなのです。

ところが最近の自民党政権・政府は惨憺たるもので、こうした日本固有の優れた在り方を自らの手で壊す様なことをしているわけですよね。

これには敗戦によって日本が米国の属国状態になってしまったことと、そのせいで子供に政治に関心を持たせない様な教育・プロパガンダをして来たこと。(そういうプロパガンダを実行してきたことで、選挙の投票率も非常に低くなってしまった。)

またシラスを知らない(と言うより理解できない)在日コリアンや華人等の外国人に甘く、政治やマスメディアなど本来外国人を関わらせてはいけない機密に関わる分野に採用・進出を許してしまったことなどの影響も大きいと言われています。

こうした支配体系の違いによる、日本と欧米の精神性の違いや齟齬については無料マガジン「日ユ道祖論」に収められている過去記事にも書かれているものがいくつかありますので、興味のある方は是非覗いて見てくださいね。

では、どうするべきか


ここで日本人に無意識に根付いている「シラス」の考え方を応用して、迷惑外国人観光客対策を考えるなら、彼らを「まだ善悪の判断が出来ない子供」に見立て、日本の観光地や管轄省庁・組織は親の様に「根気よく教え、諭して行く」ことが必要になるでしょう。

先に述べたように、例えばツアー客に対して事前の注意喚起や説明を旅行会社などにやってもらう様に、関係各局から要請をすると言うのもそのひとつですね。

個人で観光に来ている富裕層が迷惑行為をすることは稀だと思いますが、バックパッカーなどそれ以外の個人客には、宿泊・観光施設で注意喚起を添付したパンフレットを配布してもらうなどの対策が考えられるかも知れません。

それでも収まらない、懲りずにやらかしてしまう様な人達には、罰則として罰金を課すとか逮捕・勾留する(→お仕置きする)のもやむを得ないかと思いますよ。

因みに、ネガティヴな波動を癒してポジティブな波動に変えて行くには、通常はネガティヴなエネルギーの方が強いので、ポジティブなエネルギーはネガティヴの3倍の量が必要なんだそうです。

例えばネガティヴな状態の人1人を癒してポジティブな状態に変えて行くには、3人のポジティブな状態の人が必要になるというわけなのです。

これを応用すると、(ネガティヴ要素とは限らないけれど、取り敢えずトラブルの原因でもある)“価値観が違う”外国人を際限なく日本に入国させるのが、どれほど愚かなことか?と言うことが分かりますね。

ある勢力が、あるグループ内において全体の3割を占める様になると、その勢力はグループ内で影響力を発揮するようになると、何処かで読んだ記憶があります。

日本の今の人口は約1億2千万人ですから、旅行客だけでなく移民も含めて、日本が日本国内に同時期に一度に受け入れられる外国人の数の上限は、単純計算で約4千万人となりますが、

それくらいが日本が外国から良い刺激を受け国内を活性化しつつ、日本国内の秩序や安全を守るのにも適正な数字なのであって、

それ(4千万人)以上は入れ過ぎと言うことになりますが、さて、日本の現状はどうなっているのでしょうか?

1年単位、1ヶ月単位でのインバウンド数は公表されますが、移民を含めて常に日本国内にどの程度の外国人が存在しているかを知るのは難しいのかも知れませんね。(特に今の政権の様に出鱈目な移民政策をやっていたら、尚更そうなるでしょうね。)

国や自治体にはこうしたことも参考にして、オーバーツーリズムの問題にも対処していただきたいものですね。


と言うわけで、今回はこれで終わりです。

最後までお付き合い頂きました皆様には、大変ありがとうございました。

このアカウントでは政経占い(原則として有料)と、時事ネタのエッセイ(無料)をお届けしています。
次回は「日本人の社会と精神性」の2回目、「一帯一路と大東亜共栄圏(東アジア共同体)構想の違い」をテーマにお届けする予定です。

良かったら、また次回も会いにきて下さいね。

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