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愛と青春の街、大阪

でもこの街が好きよ 生まれた街だから〜

そう歌ったのは我が郷土熊本出身の森高ちさっちゃんだ。セイムエイジの彼女は、確か僕らが高校生の時から一部で話題になってた。うん、確か。

熊本。生まれた街だから好きなのかなあ?それもあるけどちょっと違う気もするなあ。だけど、生まれてから18年間はまちがいなく使っていた熊本弁、ほとんど使わなくなった。驚くほど。

高校を卒業し僕は熊本を離れ大阪に語学留学(就職ともいう)。先日(2020年11月1日)住民投票で否決された都構想は大阪市近郊に暮らしていたこともあって、多分、大阪市在住の方の次くらいに(笑)関心を持ってた。大阪市がなくなる、ってことだけで否決されたわけではないだろうが、この結果は少し残念だったり。だけどほっとしたり。

なんか、大阪が府から都になって ー大阪都、なんかしっくりこないー この流れからこの国の枠組みがどうなっていくんだろう、という興味もあった。おそらく、ドメスティックな変化はないだろうけど。

そんな政治がらみ?とか、そっちの話をしたいわけじゃなくて。そんなのどうでもよくて。

僕が当時住んでたのは大阪府吹田市。地下鉄御堂筋線の終着駅近辺だ。今は大阪メトロっていうんだよね?
そこはかつてダイエーの大阪本部があった街。大好きだった(歳のせいか過去形)ハンバーガーも当時はほとんどドムドムしか行かなかったし(笑)、コンビニも当時、現在のセブンイレブンなみに吹田の街で近距離に乱立していたローソンばかり。
当時は今みたいに”お取り寄せ”じゃなくて、コンビニ店舗で普通にシングルのドーナツ盤のレコードが売ってあった。

今でもセブン、ローソン、ファミマがさほど遠くない距離で並んでたとすると先ずはローソンに行くね。帰巣本能的なもの?(笑)。

その当時全盛を誇ったDCブランドのスーツを着て出社したり、これは同じ課の一年先輩の影響だったが、違う部署の役職の方から「スーツのサイズ、あってへんぞ」て言われてね。違うねん、そういうデザインやねん的な(笑)。


現ソフトバンク・ホークスも当時は南海ホークスで。熱狂度のピークは過ぎたけど今でもホークスは好き。
だけど当時は甲子園球場一塁側で伝統の一戦を観戦し、おまけに、その日は阪神タイガースが勝ったもんだから、もともと好きだったのもあるけど、途端にタイガースファンに。帰りの阪神電車の中で僕も六甲おろし歌ってた(笑)。


外タレさんのライヴをはじめて観たのも大阪。


そして、東京だと多分、日常の世界に芸能人は普通にいて。ある日梅田の街中でロケ中のある芸人さんを見かけた時、うわっ、すげぇーって(笑)。地元だと、まずない光景。地元タレントさんでも見ないもん。

18歳だとまだまだ多感な時期で(少なくとも僕にはそうだった)、そのころいろんな刺激を受けたのが大阪。期間にして2年弱、いわゆる青春時代だった。

今では僕には絶滅危惧種となった外国人の友達ができたのも大阪。僕より4つ年上の彼、どうしているかな?母国で元気にしてるかな。

ちなみに大阪以外では福岡と鹿児島で暮らした。1、2ヶ月くらいの短期滞在も入れたら東京や神奈川もだけど、やっぱり大阪には思い入れがあるな。

諸般の事情により大阪を離れたけど、あのまま大阪にいたら・・・なんてことを頻繁に考えたこともある。今よりも流暢な関西弁を話し(笑)、普通の人になってただろうね。今みたいなアバンギャルドな人にはなってないはずだ。(自分比)

そんな思い出と思い入れの詰まった街、大阪。でもやっぱり、熊本が好き。
生まれた街だから〜

オチとしては弱いぞ、オイ。

まあ、熊本が好きってのは遺伝子レヴェルだから、説明しようがない。

で、タイトルにある”愛”はどこにいった?(笑)

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