また明日


前回のストーリー(第4章)



なんだかすごく久しぶりに熊本に帰って来たような気がする。

あの夏の日からはじまって、まだ半年くらいしか経っていないし、日常のほとんどはこの街で過ごしているのに。

NYから帰って来て、あの日の東京以来、あの人のチームの一員に加わった。

その後、また一緒に渡航したり月に数回上京はしていても、基本的な日常はほぼ変わらない。

少しだけ、ほんの少しだけ有名にはなったが、一般世間の大部分からすれば相変わらずただの人。それでいい。それ以上を求めてはいない。

「僕の誕生日あたり、どう?」

そう言われたNYでのことも、未だに具体的なスケジュール提示もない。早く解放されたい反面、この奇妙で特別な、あの人との関係が終わるのか?と考えるとなんだか寂しい気もする。

まだ新しいアルバムのこともあるし、ロンドンから帰ったあとレコーディングにも一度立ち会った。実際にはNY滞在記を終えてもまだ終わりではないけれど。

おそらく初回盤のブックレットで、名だたる音楽評論家諸氏のテキストの中に僕が書いたものが並ぶ。所詮は素人。荷が重すぎやしないか。

まあ、いい。

今はただ静かに眠りたい。家族との日々を穏やかに過ごしたい。


桜の花が熊本でも開きはじめた頃、事務所の吉澤瑞希から連絡がきた。僕の専任スタッフとしてロンドンに行く前から彼女が付いてくれている。
近くあの人とバンドは新しいライヴツアーの準備に入るという。

「スケジュール調整中で詳しくは後日になりますが、NYでのことはツアーパンフレットに載せたいとのことですので、よろしくお願いします」

「ああ。締切、いつ?」

「また連絡しますね」


良かった。これなら限られた人、あの人のファンしか眼にすることはない。多少は気が楽だ。


いつのまにか、オフィシャルサイトに記載されていた“近日特集ページオープン”の文言は消されていた。

あれって、どうなった?

一部の親しいファン友達から聞かれたが、

「僕も詳しくは知らないんだ。まったくあの人の考えることは分からないよ」

そうはぐらかすにとどめた。


日程が決まっていないからか、まだ新しいツアーに関しては何処にも発表されていない。したがって、締切もまだ提示されていない。だからって、うかうかしてはいられない。

もっとも、NYでのことについてはほぼ完成していて、あとは細部の見直し後、納品するばかり。

近いうちに熊本に行く、そう連絡があった。

「S野さん?」

「私です。だめですか?(笑)」

「まさか!待ってます」

NY滞在記ならメイルでデータを送れば済むこと。仕事を兼ねての観光か。前々から熊本に行ってみたかったとのことだ。それにしても急に締切がやってきた。

「最近どう?近々、スタッフが熊本行くからよろしく!」

専任スタッフがついてくれてからは直接のやり取りは減ったが、あの人からもメイル。



阿蘇熊本空港に着いたとの連絡を受けて熊本市内行きのリムジンバスへの乗車をお願いした。直接迎えに行きたいが、車どころかそもそも免許がない。

専任スタッフの吉澤さんとはバスターミナル内のカフェで合流。

「やぁ、久しぶり」

そういうと、

「愛想がいいじゃないか」

そう返して微笑む。

「知ってるの?この曲」

「当然です!」

それもそうか。事務所スタッフである前にあの人のファンでもある彼女。

「滞在記ならデータ送った方が早くない?」

「私の祖父が熊本出身で、一度は行ってみたかったんですよ、熊本。いい口実ができました(笑)」

明後日まで滞在するとのことだったが、あいにく今日明日は仕事が入ってる。

「もっと早く来てくれる日が分かってればな・・・」

「いいんです。気にしないでください」


職場に無理をいって、翌日の勤務を短縮してもらった。せっかく来てくれてるのに、なんのもてなしもできないのは悪い。

「もぉ、よかったのに。でも、ありがとうございます。」

電話口での嬉しそうな表情が浮かぶ。


翌日。

郷土料理も楽しめる馬肉料理店。

「夜景が見えるレストランとかがよかったかな?」

「ぜっんぜん!こういう居酒屋さんとか、私好きです。それに・・・、変に意識しちゃうでしょ?」

「えっ?」

「冗談ですよ」

そうだよね。そりゃそうだ。


「熊本城ってこんな街中にあるんですね。熊本地震があった時ニュースでボロボロになったのを見て、おじいちゃんも凄くショック受けてて」

「熊本城は、熊本市民の県民の精神的支柱みたいなものだしね。行ってきたの?」

「まだです。一緒に行きましょ?」

「ああ。そうだね」

「昼間、水前寺公園?行ってきたんですよ。風情があって、趣きがあって素敵なところですね」

アルコールも入ってるせいか、とにかくよく喋るし、よく笑う。


夜も更けてきて、店をあとにする。

「送るよ。ホテル何処?」

「大丈夫です、大丈夫です。近いし。それとも・・・」

「ん?」

「部屋、来ますぅ?」

いたずらに微笑む彼女。

「おいおい。大人を揶揄うなよ」

焦った。

「そうですよね。私、飲み過ぎちゃったみたい。ごめんなさい」

急に酔いがまわったのか、足下もおぼろげな彼女を結局ホテルの部屋まで送り届けた。


翌朝、彼女から着信。

「昨日は私、飲み過ぎちゃって。なんか変なこと、失礼なこといったりしてませんでしたか?」

「大丈夫、大丈夫。それより今日帰るんだよね」

「はい、最終便で帰ります」

「じゃあ、少しだけ時間あるな。午後から熊本城、行こう」


この時期の熊本城は桜の名所でもある。

「熊本城、なんか、かっこいいですね。桜の花がきれい」

「武者(むしゃ)んよか。熊本弁でかっこいいって、そういうんだよ。晴れてよかった」

「武者んよか。熊本弁覚えました。これで熊本でも生きてゆけるわ(笑)」

「おいおい(笑)」

「飛行機、何時?」

「夜の8時半です」

「30分前に空港に着けばいいから、7時くらいのバスに乗ればいいか」

「私、こっち来てからレンタカー借りたんですよ」

「なんだ、そうなの?早くいってよ。それなら他にいろいろ案内できたじゃない。まあ、いいや。じゃあ、まだ時間あるな。食事でもどう?」

「もちろん!私、運転しなきゃいけないから飲めないけど、気にせずに飲んでいいですよ」

「ん?ああ・・・」



食事を済ませ、彼女が借りたレンタカーに乗り込み車中で原稿を渡す。

「帰ったら事務所でチェックしますね」

「チェックしたら今度は送ってくれたらいいから」

「はい、今度はそうしますね」

空港を目指し車は走る。


「また来たいな、熊本。私、熊本が好きになっちゃいました」

「いつでも歓迎するよ、大歓迎」

「ほんとは昨日の夜、私、覚えてないのをいいことに、なにもなかったことにしようとしてません?」

「なにいってんの。ほんとになにもないよ」

「なぁーんだ、つまんないの!

でもそうですよね。ごめんなさい」

また来月、東京で。そういうと彼女は搭乗口へと向かった。



それから数日後、あの人とバンドの新しいライヴツアーが発表された。

だが、ツアーパンフレットにNY滞在記が記載されることは、まだ誰も知らない。

ようやく一仕事終えたばかりだが、また忙しくなるぞ。



Episode 6

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