Light My Candle
美術も家庭科も成績が悪かった私だが、一度だけキャンドルを作ってみたことがある。
もう何年も前のことだ。友達に誘われて、キャンドル制作ワークショップに参加した。
普段はカフェとして使われている居心地の良い部屋に、十五人ほどが集まった。講師の方は明るく丁寧に説明してくれる女性で、和やかな雰囲気の中作業が進んだ。
不器用な上に初心者の私でもどうにか制作できたから、とても易しい作り方だったのだろう。
作る物は、500mlのペットボトルくらいの大きさ。私たちは使う色、色の位置や分量をデザインする。
円柱形の外枠を作り、芯を通したり、材料を手早くかき混ぜたりと、幾つかの工程をこなしていく。
日常の中で、キャンドルを灯す生活に憧れる。ひととき、揺れる炎にゆっくり心を解きほぐす、、、そんなライフスタイル。
様々なシーンで、キャンドルはある役割を持って登場することが多い。
神秘的なアイテムや、安らぎの象徴として。
映画「冷たい熱帯魚」に出てくるおびただしいキャンドルは、絶望的で美しい。
自分を善良で純粋な人間に見せるための一番お手軽な小道具のように使われがちなのはつまらないが、キャンドルがちょっと特別な意味を表現するのに相応しい物であるのは間違いないと思う。
震えながら吹き消したキャンドルを男に差し出す「RENT」のミミ、そのコケットリー!
ちょっと気取ってキャンドルを灯してみる日もあるのだが、部屋のセンスのせいかいまいちお洒落にならないのが悔しいところだ。
一度、キャンドルをつけたまま眠ってしまい、人間じゃないものに起こしてもらったことがある。それはまた、別のお話。
やがて、参加者それぞれのキャンドルが出来上がった。
沢山の色の中から、一人一人が選び取った色。その色たちが重なり合い、所々で溶け合ったキャンドルは、ひとつとして同じものがない。
似ているものはあっても、同じではなかった。
「迷ったり、なんだか心が沈む時は、何かを作ってごらんなさい。」
これは、ずっと前に全国ツアー公演の滞在先で、偶然出会った女性の言葉だ。
彼女はまるで何でもないことのように話してくれたけれど、私には初めて知る秘密の言葉に聞こえた。
微笑みながら、彼女は続けた。
「下手でもなんでも、手を動かして作るのが大事なの。手を使って何かを作ると、なんでだか気持ちがすっきりするのよ。」
早朝に野菜を摘み、料理を作り、仕事をして、夜は家族や友人に手紙を書くというその女性は、銀色の髪をかすかに揺らしてニコニコしていた。
私は、おそらくもう二度と会わないであろう彼女の言葉を、この先ずっと忘れないことを、もう確信していた。
(この女性とは数年後に再会することになる。どうしてももう一度会いたいと思えば、偶然の出会いでも縁に変えられることをその時に学んだ。)
さて。
完成したキャンドルは凡作だ。
だが、なんだか愛着を感じてしまい捨てられない。かといって、点火したら爆発しそうだし。
そういうわけで、ずっとうちにある。困ったものだ。
私のキャンドルは、どんな役割を持っているのだろう。
神秘性も美点もないが、このキャンドルを見るたびに私は思い出すのだ。
明るい部屋に集ったひとたち、指についたワックスの香り、テーブルいっぱいに広がる色とりどりのキャンドル。
キャンドルの表面に何かアクセントをと思い、深緑色のパウダーで作った繊細な模様を、友達に「青海苔みたいで素敵だね。」と言われたこと。
なんていうことのないひとときの情景を宿したこのキャンドルは、きっと引越し先にも付いて来ることになるだろう。
眺めると、青海苔の模様のせいでお好み焼きが食べたくなるという、これまた困った役割も持ち合わせている。
気持ちが荒れると、手先の動きや身のこなしも乱雑になる。
その荒ぶりは、その荒ぶりに関係のないものを壊し、痛めつけ、迷惑をかけてしまう。
疲れたりもう嫌になっちゃったり、色々あるけれどなるべく丁寧に動いていたい。
そうすれば、自分の手から生まれた思いがけないものに出会えることもあるだろう。
銀髪のひとの手を思い出す。
今日もどこかで小さな何かを作っているであろう彼女は、頑丈でやわらかな、働くひとの手をしていた。
読んでくださり、本当に有難うございました。 あなたとの、この出会いを大切に思います。 これからも宜しくお願いします!