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マゴムスメ・ライブラリー

    先日、祖母が94回目の誕生日を迎えた。
 オンライン帰省をしたいところだったけれど、祖母はテレビ電話もインターネットも出来ない。
 祖母はとても整頓された部屋に暮らしていて、様々な事柄をじっくりと考えている。
 何をしていても物静か、でもひっそりと明るい。そしてとても優しい。

 祖母を大パニックに陥らせないため、シンプルに電話でハッピーバースデイを伝えた。

「ばあば、今、どんな気持ち?」
「うーん、、、こんなに生きるとは思わなかったわ。思いもしないような歳を迎えてしまいました。」
「やったね。」
「う、うーん。みんなに迷惑かけないようにしなくちゃ。」
「いいよ。迷惑かけていいんだよ。というか、何も迷惑じゃないし。」
「でも、、、。」
「大丈夫! 私なんて四六時中、家族にも他人にも迷惑かけて生きてるよ。」
「、、、、。」

 

 宝塚歌劇団では、入団して7年目の生徒が下級生のまとめ役となることが多い。
 私が研究科1年の時、7年目の方々は雲の上の存在だった。決して大袈裟な表現ではなく、本当にそう思っていたのだ。
 舞台では重要な役どころをつとめ、下級生一人一人の面倒を見て、上級生からも信頼されている。それだけではなく、皆さん本当に美しく、気高かった。
 入団してから7年がたった時。私は、昔と変わらず小娘のままの自分にがっかりした。
 思い描いていた研究科7年の生徒は、こんな人物ではなかった。もっと大人で、思慮深く、素敵になってるはずなのに!!
 
 こういった経験、実は多くの人が度々通過するものらしい。
 見上げていたある年齢や立場に到達した時、昔と変わらない自分に愕然として、これでいいのかと不安になる。

 実際には、意外とそれなりに成長しているものである。
 自分自身を客観的に観察して評価するのは、とても難しいことだと思う。
 一番長く、一番身近に付き合わなくてはならない人間が、自分だ。(どんなに嫌でも、こればかりはどうしようもない。)
 ゆっくりとした変化は気付きにくいので普段の生活の中で意識する機会はあまり無いのだが、分かりやすい区切りを迎えるとそれは明確になる。
 とはいえ、私のように、本当に大した成長もないまま年数を重ねてしまうケースもあるので要注意である。

「ねえ、ばあば。今、イメージ通りの94歳?」
「、、、、。」
「小さい時にすごく上だと思ってた歳になっても、全然自分が変わってないように思えて、
あれ、もっと立派で、何かを成し遂げてて、賢いはずだったのにって思うことがあるよ。」
「ああ。分かるわよ。」

 ふるさとの雪深い街で、祖母はひとつずつ歳を重ねてきた。
 ようやく迎える雪解けの春にお誕生日を祝った、いつかばあばと呼ばれる日が来るなんて思ってもいなかった、小さな祖母。

「私が若い頃は、90代のひとなんて凄いと思ってた。そんなに長生きのひと、少なかったから。」
 電話の向こうから、畳の香りがしたような気がした。
 祖母の部屋の、畳。
 豊かな山々にぐるりと囲まれたお屋敷でお手玉をしていた頃、祖母を包んでいたあおい畳の香。

                                       気ままに外出が叶うようになったら、祖母の大好きなショートケーキを買いに行く約束をした。
「それでさ、お父さんとお母さんと一緒に食べて、もう一度みんなでお祝いしよう。」
「いいわね。でも、迷惑じゃないかしら。」
「大丈夫。 私なんて基本的に迷惑かけて生きてるよ!」
「、、、、。」

 何も要らない、が口癖の祖母に、無理やりあげるプレゼントを何にしようかと考える。
 再会の楽しみは、増えるばかりだ。


読んでくださり、本当に有難うございました。 あなたとの、この出会いを大切に思います。 これからも宜しくお願いします!