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会社員人生を振り返ってー59歳で異業種に転職をした私

59歳と6ヶ月で、異業種に転職した。メーカーの内勤から、調剤薬局の薬剤師への転職である。デスクワークからある意味、接客業への転身でもある。

大学4年生の時、就職先を探していた。当時は、教授が就職先を斡旋するのが一般的であった。いわゆる「コネ」である。私が卒業した年は、第一次オイルショックの少し後で、景気はまだ悪く就職難の時代であった。

私は、昔から人付き合いが苦手で、営業職には向かないと思っていたので、研究職を希望していた。しかし、教授が持ってきたのは、製薬企業の営業所の話だったので、私はお断りした。

就職難の時代に、何とか話を持ってきてくれた教授には申し訳ないことをしたと、後になって思った。教授を怒らせてしまったかもしれない。

それで、就職も決まらず、年末までブラブラしていた。ところが、これまた大変ご迷惑をおかけした、助手の先生が、ものすごく偶然に研究職の話を持ってきて下さったので、これに飛びついた。しかも、実家から通勤できる範囲。形だけの面接をしてもらって、無事、就職することができた。

会社に入ってからも、営業職は断り続けていた、というか、そんな打診はなかった。研究、知財、ICT、物流、品質保証など、さまざまな部署に異動になったが、やはり対人業務を主とする部門には行かなかった。ずっと、「人」相手の仕事はできないと思っていた。周りもそう思っていたのだろう。

55歳も過ぎていたと思う。本社が所在する都市の行事に会社が協賛した。その行事は今でも毎年行われているのだが、その地方の文化・芸能を伝える行事で、市内のストリートだったり、演芸場、能楽堂などで、1ヶ月ほど行われている。

で、協賛ということで、そのお手伝いをしてくれ、と実行委員会から会社に要請があったのか、会社は社員に対して希望者を募った。当時、仕事にも倦怠感を感じていた私は、何か刺激になるかと思って、参加してみた。業務時間内、って言われたし。

結果はどうだったか。任された仕事は、切符を切ったり、客を誘導したり、と、あんなに自分ができないと思っていた仕事だったはずだが、すんなりできてしまったのである。しかも、無理矢理ではなく、笑顔も作り笑いではなく(多分)、お客さんのお見送りも、積極的にやってしまう始末。

「なんだ、私、できるじゃん。この仕事、好きかも」

思えば、以前から、直接ユーザーと対峙する業務で、直接、反応を感じたいという希望は持っていた。誰にも言わなかったけど。

確かに、素晴らしい製品を開発すれば、多くの人を幸福にできるだろう。それも一つの方法だ。現に、私のいたチームの開発したものは、形を変えて長く会社の商品として使われていた。開発したのは私が20代の時だが、今でも使われているかも知れない。

でも、次第に、直接誰かの役に立ちたい、という思いが強くなってきたのである。

「私には薬剤師と言う資格がある。調剤は、まさに目の前の患者のためにする仕事ではないか。
今は、空前の薬剤師不足だ。しかし、来年になると初の6年生卒業生が社会に出てくる。そうなるとこの薬剤師不足もどうなるかわからない。この年齢で未経験では、この薬剤師不足の時期でないと転職できないだろう。」

そう考えた私は、59歳になったばかりで転職を決意した。幸運にも使っていたエージェントがすごくいいところで、私の担当もすごくいい人で、すごくいい環境で、半年後には調剤薬剤師を始めることができた。そして、今に至る。

市がその行事を始めたと言う偶然、会社が協賛したと言う偶然、いいエージェントに恵まれたと言う幸運、いい薬局に転職できたと言う幸運、等々、いくつかの偶然と、幾つかの幸運に恵まれて、まあまあ思った通りの仕事ができている。つくづく私は幸せ者だと思う。

でも、自分を褒めてあげたいことが2つある。1つは、いくつかの偶然が重なって目の前に現れた時、その時は調剤をするつもりではなかったけれど、現状打破のために迷わず掴みに行ったこと。

そして、2つ目は、転職してから1年くらいかな、猛勉強したこと。大学受験でも、あんなに勉強しなかったのではないか。入社してから某ベテラン調剤事務さんに言われて始めて気が付いたけど、それなりの覚悟もあったのだと思う。

今までずっと苦手だと思っていたことが、実はそうではなかった。食わず嫌いで苦手だと思っていたのか、本当に若い頃は苦手だったけど、年取ってから変わったのか定かではないけれど、やってみるものだな、と思った。

せっかくモノにした仕事、体力と気力の続く限り続けようと思う。

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