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【性善説を信じたい】震災と猜疑心

 今日は僕が夏風邪からの病み上がりということで、少し重めの記事を書いていこうと思います。被災された方の中には非常に不愉快な思いをされる方がいらっしゃるかと思います。あらかじめ、ここに謝意を表します。申し訳ございません。
 しかし、被災者と被災者でない(否被災者、避被災者、非被災者)僕のような人との間に生じる差異を、先日身をもって体験いたしましたのでここに記すこととします。また、改めて震災というものとの向き合い方を考える一助になれば幸いと思います。

 先日、岡山県倉敷市へ旅行に行ったことは、前記事に記載したかと思います。僕の現住居は九州にあります。そんな倉敷からの帰り道、広島県の宮島SAへ休憩がてら寄りました。


 トイレを済ませ、SAには珍しくスターバックスがあることや、ネクスコと任天堂が提携して開催しているピクミンショップを覗いてみたりして。
 車に戻り、帰路に再着しようとしていると、ヒッチハイクをしている人を見つけた。今まで、ヒッチハイカーを乗せたことなどなかった。しかし、1人黙々とする運転に飽き、話し相手を求めていたから、ふらっと停車。
 スケッチブックには油性ペンで「下関方面まで」と。ヒッチハイカーは日焼けをした男性、年齢は40代と見受けられた。

「乗りますか?」と声をかけると、ヒッチハイカーはすかさず「いいですかぁ〜!?」と
 笑顔が覗かせる前歯は、無人になって久しい古民家の襖のように茶色くまだらに染み汚れていた。
「どうぞ」と言うと、後部のドアを開け「すみません置かせてくださいね〜」と、こちらの許可も取らず、背負っていたバックパックを乗り手のいなくなったチャイルドシートの上に置いた。僕はそっと財布を右のケツポケットに入れ、外していた腕時計を左腕に巻いた。
「どちらまでですか?」
「壇ノ浦か美東のサービスエリアまでで、どっちで下ろしてもらおうか悩んでいるんですよね」と
 壇ノ浦は本州と九州との境目の関門橋下関側のすぐ側のSAで、一方美東は山口県中央部の西方に位置するSA。宮島SAからで考えると、美東まで1時間半、壇ノ浦まで2時間ほどで着く。

「どうして、悩んでるんですか?」
「宮崎の日南市まで目指しているんですけど、壇ノ浦の方が距離的には近づくんです。だけど、今まで載せていただいた人の話だと、壇ノ浦は利用者が少なくて、それなら美東の方が利用者が多くて次につながりやすい。って聞いたんですよ」
「そうですか。ならひとまず、美東まで行きますのでそこでどうするかをうかがっても良いですか?」
「助かりますぅ〜。え。逆に、そこで壇ノ浦って言っても連れていってくれるんですか?」
「えぇ。まぁ…どうせ帰り道ですから」

運転しながら、助手席に目をやるとSAでもらえる高速道路網を記した地図を睨みながらブツブツ言っている。その横顔は6月に入ったばかりだというのに異常なまでに日焼けをしている。

「よくヒッチハイクはされるんですか?」
「いえ。今まで載せたことはあるんですけど、乗るのは初めてんですぅ〜」
「そうですか。」
「お兄さんは、よく載せるんですか?」
「いえ。初めてです。」
「え〜よく僕なんかを載せてくれましたね」
「…。ぶっちゃけ載せるのも怖いですよね。今、物騒ですから」
「どういうことですか?」
「以前、ニュースで見たんですけど、ヒッチハイカーが載せてくれた女性を襲ったり、高速という逃げ場のない状況で金銭の強盗を図ったりだとかあるらしくて。」
「そんなことがあるんですね」
「らしいですよ。だから怖いですよね」
「あ。もし嫌でしたら、次のパーキングで下ろしてもらっても良いですよ」
「あぁ。あくまで今のは聞いた話ですから。」

車内は沈黙に包まれる。

「どちらからヒッチハイクを始められたんですか?」
「北陸の方からです〜」
「何で日南までなんですか?」
「僕、宮大工の弟子をしていまして、師匠の家が日南にあるんです。弟子の期間は、住み込みで働かなきゃいけないんですよね。」
「そうですか。宮大工さん。釘を使わずに神社仏閣を修繕するんですよね?」
「そうです。よく知っていますね」
「以前、テレビで見たことがあります。すごい技術ですよね」
「あがとうございます」
「ちなみに何で、宮大工さんを目指そうと思われたんですか?」
「元々、トラックの運転手をしていて。あ。だからヒッチハイクの人を載せたこともあるんですけど。その後、大工さんになって、そこから宮大工さんを紹介されて今、修行しているって感じですね。」
「なるほど。失礼ですけれど、今、おいくつですか?」
「自分、25っす」

…かなり老けている。40代だと思っていた。

「そうですか。北陸からだったら、今まで何台の車に乗せてもらったんですか?」
「お兄さんで15台目です」
「おぉ。やはりトラックに乗せてもらうことが多いんですか?」
「それが、今、トラックはヒッチハイクを載せちゃいけないようになってるらしいんですよね。自分のところの会社の人間だけで。他には家族を載せるのもダメらしいんです」
「そうなんですね。意外です。何ででしょうか?事故してしまったらって話ですかね?」
「その辺はよく分からないです。けど、途中のサービスエリアでトラック運転手に声をかけたらそう言われました。」
「載せてください。って?」
「はい。そしたらそう言われて。あ。その人と話してたらサービスエリアの人からも怒られました。ヒッチハイクはダメじゃないけど、ドライバーに声掛けをするのはダメだって」
「世知辛いですね」
「せちがらいって何ですか。」
「生きづらい世の中ですね。ってことです」
「へぇ〜。お兄さんは何の仕事されてるんですか?」
「公務員です。」
「公務員ですか!公務員といえば、自衛隊の方も車に乗せてくれました。めちゃくちゃ良い人で、時間も遅いからって家に泊めてくれました」
「すごいですね。けど、気まずくなかったですか?」
「え?別に気まずくはなかったです。」
「僕は、見ず知らずの人の家に泊めてもらうのはとても気を使うので、逆に疲れちゃいます。それならお金払ってでも、ネカフェででも寝た方が休めます。」
「あ。あの自分、お金が本当になくて。数百円しかないんです」
「そうですか。宮大工の弟子は本当に大変ですね」
「それもそうなんですけど、ちょっと半年ほど怪我をして働けてなかったんです」
「ご実家で療養されて、今戻っているって感じなんですか?」
「いえ。少し違って、正月に実家に帰っている時に怪我をしてしまったって感じなんです」
「おや。それは災難でしたね。」
「自分の母親も怪我してしまって、なかなか仕事に戻れなかったんですよね」
「車か何かで事故をしたんですか?」
「いえ」


 再び訪れた急な沈黙。何故だか、それまで聞くともなく流していたラジオを切った。

「ごめんなさい。怪我の理由を言いたくないわけではないんです。けれど、前に載せてくれた人に話したら、車内が変な空気になったので」
「そうですか」

 沈黙。曇ってきたな。これは一雨くるかもなぁ。

「言いたくないわけではないんです」
「はい」
「気まずくならないですかね?」
「内容によります…」
「そうですよね」
「…ここまでくれば、是非お聞かせ願えますか?」

 一息つくヒッチハイカー。
 空がどんどん重く暗くなっていく。不機嫌そうだ。もうひとおし何か嫌なことがあれば、激昂して稲妻が轟くのが目に見える。
 不機嫌な空の下で、彼はどこでどうやって眠るのだろう。

「今年の元旦に何があったか覚えていますか?」

 この一言で、全て合点がいった。
 僕が九州の人間だからか、頭で分かっていても「北陸」と聞いて石川県を浮かべない。浮かぶのは新潟だ。そして「それは東北だ」と言われるのも分かっているが、山形も北陸に含まれそうなニュアンスなのだ。これは僕の教養の薄さなのだろうが、北陸の「北」に引っ張られてしまう。

「能登半島の地震ですね」
「そうです。それで、自分も母親も怪我をしてしまって」
「そうですか。ご自宅でですか?」
「はい。実家は倒壊して亡くなっちゃいました」

 自分の卑しい猜疑心を呪った。

「だから、全然お金もないからこうやってヒッチハイクで師匠のところに帰っているんです」
「大変な思いをされましたね。何と声をかけていいか…」
「ほらだから、こんな風な空気になると思って言えなかったんです。」
「正直にいうと気まずいとかではなく、何というのが正しいのか。どこまで踏み込んで良いのか分からないから言葉を探しているんです。」

 下松SAの文字が見えた。
 減速して、左に道を逸れた。

「トイレですか?」
「いえ。水でもご飯でも何でも奢りますから、食べてください」
「いえいえそんな申し訳ないです」
「こんなことしかできませんが…是非。」

SAに駐車する。

「どうぞ、何でも。」
「あの…それじゃ、飲み物を」
「どうぞ。食べ物もどうぞ?買い溜めでもしちゃってください」
「いえ。それは」
「遠慮なされずに」
「いやそうじゃなくて、食べると眠くなっちゃうんです。眠るとヒッチハイクができなくなってしまうんです。」
「なるほど」
「今すぐにでも師匠の家につきたいので。そこでゆっくり寝たいんです」
「そうですか。ならば、タバコは吸いますか?タバコなら空腹も眠気も紛らわせることができますよね?」
「良いですか?ならキャメルのメンソールを」

ヒッチハイカーは、買ってもらったカフェラテを飲みながら美味そうにタバコを吸っている。その横で僕はタバコを吸いながら、また新たな猜疑心が芽吹きつつある自分への嫌悪感を煙と共に吐き出す。何だか曇天も手伝って、世界の全てが灰色に見える。グレー、黒のように見えるけれど、わずかに白も残るそれがまぜこぜになっていてとても重い。
 味のしなかったタバコを終えて、再び車を走らせる。

「今まで載せてくれた人たちって、被災者だって聞いてどんな反応だったんですか?空気が重くなったと言ってましたが。」
「いえ、ほとんどの人には言ってません。さっき言った自衛隊の人と、もう1人おばさんくらいです。」
「どうしてですか?」
「皆さん、自分のことばかり話す人が多かったから聞き役になることが多かったです」
「そうなんですか?」
「はい。だから、自分にこんなに興味持ってくれる人が少ないって感じですかね」
「そうですか。では、そのおばさんが、車内の空気が重くなったという人ですか?」
「はい。何があったのか聞いてきたくせに、言い終わると『同情して欲しいの?』とか『被害者面して』とかって言われちゃって」
「実際、被害者ですし、人の痛みに寄り添うことを同情というなら人として大切な感情ですよね?」
「ありがとうございます。けれど、何だかおばさんにそう言われてからは、人に言わないようにしてきました」
「余計に傷つきたくないから?」
「そうですね。体は治りましたけれど、完全に立ち直ったわけではありませんから。母親も車椅子生活で施設に入らざるを得ませんでしたし、自分もお金が全くなくなっちゃったわけですし。実家と言える場所も無くなっちゃいましたし」
「そんな最中に、被災していない人があなたを蔑むようなことを言ったと。安心してください。僕が思うに、この国には確かにそんなおばさんのように心無い人がいることも事実です。けれど、それは百人いればそのうちの1人か2人です。それ以外の人は、人の気持ちが分かって、少しでも傷ついた人の心に寄り添おうとする人たちです。少なくとも僕はそう信じています。そう信じなければやってらんないです。僕は、性善説を信じたいんです」
「ありがとうございます。お兄さんが良い人でよかったです」
「いえ。人として当然のことです。善意や助け合いのない世の中で生きたくないですから」
「なら、一つお願いがあるんですが。」
「やっぱりお腹が空きましたか?」
「いえ。その件で、ご飯を買ってくれようとしていたじゃないですか。」
「ええ。」

「そのお金。現金でいただけませんか?」


 性善説を信じたい。そして、不適切にも、失礼にも、不遜にも、僕は人でなしかもしれないが「この人は本当に被災者であってくれ」と一念した。そして、ゆっくりと笑顔で

「良いですよ」

と言った。

 SAでご飯を買い込まれることと現金を渡すこと。そこにどれほどの差異があるか分からない。けれど、生じる違和感は何と言おう。被災者という弱者に対して恵むという行為。それが物質から金銭に変わった瞬間、相手に対して嫌悪感や卑しさを覚えてしまう。

 被災者は、極限の状態でありながらも今も復興に向かって歩んでいるのだろう。

 そしてその姿はきっと「静かで謙虚で、涙を忍んでいるものだ。それでいて力強いものだ」と決めつけていた。

 しかし現実には、謙虚さや遠慮というものに構っていられないほど追い込まれ、もしかしたらある種、たくましく、また、合理的にならざるを得ない状況に晒されているのかもしれない。彼が本当に被災者ならば、彼にこんな発言をさせているのは過酷で惨たらしい震災であろう。それが僕の信じたい性善説だ。

 しかし同時に、この隣人への猜疑心が募る。本当に被災したのか?被災者を語った盗人ではあるまいか?

 また、そんな気持ちの揺らぎを俯瞰で見ると「僕は優越感を味わいたいだけで、この心こそ最も卑しいのではないか」それでいて、先ほどまでの考えを他所に「本当に被災者であったならば半端な施しは、この男を弱くするかもしれない」などという下らぬ考えも浮かんだ。

 いや考えても同じこと。考えても分からない。
 自分が苦しんでいる時、人にどうされたいか。それを人が苦しんでいるならば、してあげよう。それだけのこと。被災者であろうとなかろうと、少なくとも隣人は金銭的に苦しいのだ。それだけだ。
 そう思うようにした。

 けれど、たったの3000円しか渡せなかった。
 財布には5万近く入っていたのに。他にも千円札はまだあったのに。
 そしていやしくも

「これくらいあれば、2食は摂れますかね?」

などと、気味悪く微笑んでいる。クソだ。
 もう1人自分がいて、これを上からのぞき見たなら考えうる最低の言葉より悪い言葉で自分をけなすだろう。

 車は走る。

 ヒッチハイカーとの話は続く。
 皆の募金は被災者に直接渡ることなく一旦公金となり復興や公共インフラのために使われること。被災者たちは、初めの1か月ほどは行政から3食支給されるがそれ以降は1日に1食しかでないこと。インフラが戻っても、預金通帳も流された被災者には何の意味もないこと。それらを東北の震災で学んだボランティア団体は、現金を持ってきてくれるのだ。だから、今1番被災地に必要なのは現金なのだ。初めは各地から届く水や食料はありがたかった。けれど、今はそんなものよりもお金なんだ。と。


 僕はやはり心根の冷たい公務員なのだろうか。聞いていくうちに
「国に各種、給付や貸付の支援制度があるのに何故利用しないのだ」「銀行だってそんなに非情じゃないはずだ。救済措置はあるはずだ」「半年も働けないほどの怪我をしたならばそれなりの保険料が入っただろう」「以前までの日常は消え去り、それはとても過酷だろう。しかし、彼がいうほど全くの孤立無援だとも思えない」
 猜疑心は募る。

 そして、先ほど覚えた猜疑心の芽が芯を持ち始める

「それほど貧しい人間が、あんな風にタバコを吸えるのか」

正月から今日まで半年間。避難所で、行政からの配給とボランティアからの炊き出しで生き凌いで来たのならば、それは当然、タバコを買う余裕などなかったはずだ。
半年間タバコを吸っていない人間が、8ミリのメンソールのタバコを旨そうに吸えるだろうか。僕はむせる。2日ぶりでもむせる自信がある。
 全く咳き込まず、輪っかでも作りそうな様子でタバコを吸っていた。

 こうなるともぉダメだ。猜疑心が止まらない。

 そしてタイミングよく美東SAが近づいてきた。
 僕は、もぉいっそのことと思って
「博多まで送りましょうか?」
「どうしてですか?」
「博多のバスセンターなら、数千円で宮崎までいくバスがあるはずです。そして、そのバス代は僕が出します。」
「えっ」
「早く帰りたいんですよね?僕もここまできたなら、お兄さんをゴールさせたいです。」
「そうですか。どうしようかな…」

「それか、手前の小倉でも良いですよ。そしたら鈍行でも宮崎行きはまだこの時間ならあるはずです。もちろん切符代は僕が出しますよ」
「そ。そんな。申し訳ないです。」
「早く帰りたいんですよね?」


 しばらくの沈黙。

「それならそのチケット代。いただけませんか?」

「いえ。今、現金の持ち合わせがありませんでので、クレジットカードで買ってお渡ししようと思っていました。」
「そうですか。なんかそれは申し訳ないです。」
「でも恐らくこれが最短ですよ」

美東のSAに入る。

「どうしますか?」

「あの。言いづらいんですけど、切符やバス代は結構ですからもう少しだけお金をいただけませんか?そうすれば、大分くらいまでヒッチハイクで行ければ、宮崎ま…
「良いですよ。どうぞ」

追加で2000円渡した。渡した金額は合計5000円になった。

美東のSAで別れる前、何かの縁だからと一緒に写真を撮ろう。と誘ってみた。「宮大工の弟子だから」と断られた。それならばと連絡先を聞いた。「宮大工の弟子だから外部と連絡は取れない。」と再び断られた。

 けれど、「弟子が終わったら電話しますから電話番号を教えてください」と言われたから、電話番号を教えた。彼は、ヒッチハイクに使っているスケッチブックへ僕の電話番号と名前を書き殴っていた。

 それ、間違ってヒッチハイクの時に出したりしないで下さいよ。なんて軽口叩いて、彼と別れた。


 1人車を再び走らせていると、LINEが来た。
「マッコイ、今日飲みに出る?」

 その後、その女の子に「あとの端数はよろしく」と1万円を置いて、ダイニングバーを出た。


 結局、雨降らなかったな。

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