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たすく、スマホゲームと決別

時間の神:あれ、今日はスマホゲームやらないのか?

たすく:誰かと思ったら時間の神か。

時間の神:久しぶり。最近、たすくの周りには色々な神だのなんだのがうろついているから出るタイミングがなくてね。

たすく:だけど、今日は時間の神に言われるまでもなく、スマホゲーム、やめることにしたんだ。

時間の神:ほー。前に現れた時は、気分転換だ、気休めだの、楽しいだの、色々言って、追い払われたが、もう、私の、出番はなかったということか。

たすく:まあね。時間の使い方を考えたのさ。

たすくはFPSゲームにハマっている。かれこれ3年以上も続けている。人それぞれ楽しみ方はあるかもしれないが、新キャラクター、新武器、レベル、ランクの向上と、モチベーションを掻き立てられる手法にまんまと乗って、気づいたら3年以上費やしている。

※「FPSゲーム(ファーストパーソンシューティングゲーム)とは、プレイヤーがキャラクターの視点から世界を見て、主に銃や他の武器を使用して戦うタイプのビデオゲームです」

負けが込んだりすると熱くなり、気づいたら数時間ということもあった。しかし、最近は自分の限界が見えたらしく、これ以上、上達させるためには、さらなる練習、情報入手などが必要であると感じ、それだけの時間をかける価値があるのか、疑問に感じたのだ。もし、ゲームの時間をギターの練習や英語の勉強、その他のタスクに割り当てれば能力の向上、進歩のスピードもあがるはずだ。ゲームに時間をかけても、ゲームがなくなってしまえば何も残らない。

たすくは様々な夢がある。そしてやることがある。ゲームをやることはその手段にはならない。空いた時間、暇な時間は本来ないはずで、ゲームをやる余地はない。

時間の神:そうだよ、1日は24時間、これは誰にでも公平に与えられている。たすくがスマホゲームに熱中している間に何かの向上のために本を読んでいる者もいるだろう。体を鍛えているものもいるだろう。
同じ能力であれば、ゲームをしている時間の多い者の方が負けるのは必定。時間がないと言って、ギター練習をしないで、ゲームをやっているのはどういうわけだ。何もやることがないのであれば、ゲームをやるのもありだ。しかし、たすくはやることがあっても消化しきれない状況であれば、何かを止めなければならないだろう。時間を作るということは、何かをやめるということでもある。

水の一杯入ったコップには後から水は入れられないからね。こぼれてしまうだろ。

たすくがそれに気づいたのであれば、第一段階はクリアだ。

たすく:時間は冷酷に過ぎ去って行くからね。時間の神は、時間の重要性を説くということだけが仕事かい?

時間の神:基本はそこだが、無為に過ごしている者は沢山いるからね。いくら時間は有限だ、大切だと説いても馬耳東風、馬の耳に念仏。

時間の大切さを説く以外には、時間の使い方、時間の考え方、など色々引き出しはあるぞ。たすくも「ながら」や「あいだ」などの工夫によって、時間を有効に活用しているが、そういう工夫は必要だろう。こっちは時間の神だ。引き出しは沢山あるぞ。

たすく:そうか、じゃ、これからも世話になりそうだな。

時間の神:了解。しかし、また意味もなくゲームやり始めたら、もう来ないよ。たすくにとって、夢の実現よりもゲームを取ったということだからね。もう言うことはない。

時間の大切さを感じている人ほど、確かな夢、目標を持っている者が多い。それを実現するためになんとか工夫して時間を作ろうと努力している。
夢、目標の無い者に時間の大切さを説いてもわからないだろう。つまり、時間が必要と感じないということは、他にやることがないか、やることが明確になっていないからなんだな。そうやって人生という時間を使うのも、まあ価値観の一つであり、人それぞれであるので、生き方をどうこう言うつもりはない。少なくとも、時間の大切さなんてことを説く必要もない。

たすく:わかったよ。まだこうやって話せているうちは見込みありということだな。

時間の神はすっと消えていなくなった。

残されたたすくは改めて、今までゲームに費やした時間、他のことに時間を使っていたらと考えると、何に時間を使うのかというのは重要なことだと肝に命じたのであった。

続く

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