見出し画像

黎明期のPCゲーム開発記 (7) 〜はじめてのプロジェクト〜

前回の「第6回」は、友人の推薦からゲーム開発会社に就職するところまでのお話でした。
第7回の今回は、社会人としての「はじめてのプロジェクト」が始まるお話です。

何もかもが 'はじめて'

1990年12月、こんな経緯で愛知県西春日井郡(現在の北名古屋市)に本社を置く「ファルコン株式会社」という会社に就職しました。だた実際の開発作業は愛知県ではなく、大阪市東淀川区にあった「大阪開発室」で行っていました。

一度面接で伺ったことがあったので、事務所がどんな雰囲気なのかは知ってはいましたが、その時と違うのは「私の席がある」ということ。窓に向いたいわゆる「事務机」が与えられ、その上には「EPSON PC-286UX」を置いてありました。そのマシンには 40MB の SASI 接続の HDD が 接続されていて、基盤がむき出しになった MSX と、その CPU ソケットに直付された ICE (In-Circuit Emulation) が 286UX の拡張スロットと接続されていました。このマシンが、これからの私の相棒になります。

はじめて社会人になり、はじめて社会人としてゲームを開発するわけなので、当然何もかもがはじめてのことなのですが、実はいちばん重要なことが「はじめて」だったのです。
この連載 (果たしてどれくらいの方が興味を持って読んでいただいているんでしょうか・・・) を注意深く読んでいただく分かるようにしてきたつもりなのですが、

私、MSX を触るのはじめてです。多分、MSX1 は見たことありましたが、MSX2 にいたっては見るのもはじめてです・・・

MSX が大好きな皆さん、もとよりソーサリアンというゲームが大好きな皆さん、ごめんなさい。実は、会社員になりたての 20歳 の若造が、はじめて触る MSX で、はじめて触る PC-98互換機 で開発してました・・・

とまあ、今だからカミングアウト出来るのですが、その当時はそんな気持ちに余裕なんてありません。とにかく、完成に向けてスタートを切らないといけません。私のはじめてのプロジェクトは、こんな感じでスタートしました。

当時の開発環境

開発自体は先にも書いたとおり、PC-98互換機 (PC-286UX、以下 PC98 と記述します)で行いました。そして拡張スロットを通じて ICE が繋がり、その先は MSX に接続しています。
PC98 には MS-DOS が動き、岩崎技研(?)の IR80 を使って Z80 のマシン語を出力。エディタは「MIFES (メガソフト)」を使っていました。
開発に必要な機器やソフトは全て用意していただいて感謝感謝なのですが、いかんせんそれら全てを触るのは初めてです。これらの機器を使える状態にする(なる)がの最初の仕事だったということを覚えています。

大阪開発室には、部長さんと先輩社員さんと私の3人が常駐していて、もう1人音楽担当の方が時々出入りしていました。部長さんは (時系列は前後してるかもですが) ファミコン版の "落ちゲー" を開発していて、先輩社員さんは「ゲームギア版 FRAY 〜修行編〜」を開発していました。マイクロキャビンに営業として就職していた友人は、おそらくこのゲームの打ち合わせ等で大阪開発室に来ていたんでしょうね。

MSX のお勉強は、とにかく書籍を読み漁り、片っ端から機能を試していたことを記憶しています。本当にとにかく片っ端から。今まで扱ってきた PC-88 ならいざしらず、はじめての MSX で「出来ること」「出来ないこと」「得意なこと」「苦手なこと」を短期間で見極めないとその後開発に支障をきたすと考えたからです。

仕事としてのプログラム

ゲームに限らずどんな仕事でも、社会人として給料をもらって開発する以上、様々な制約や要求があります。その最たる例は「納期」かもしれません。

MSX 版ソーサリアンの開発は、ブラザー工業の下請けという形で行っていました。また当初、ブラザー工業が運営する「ソフトベンダー TAKERU」で販売するとのことでしたが、私の記憶が間違ってなかったら、私が開発に関わった頃からすでに「パッケージ版」でのリリースの話もあったように思います。そしてパッケージ版での発売を考えると、「1991年5月初旬の完成必須」という事を告げられていました。

スタート時点で、残り5ヶ月・・・

その納期を精度の高いものにするには、当然ですが全体のスケジュール管理が必須です。1991年5月に完成するには・・・全ては逆算です。はじめてプロジェクト管理なんてものをするので、分からないままにスケジュールを組んでみると、

どう考えても、時間が足りない・・・

とにかく開発をスタートさせる

時間が足りないとプログラマ(私)が焦る一方、MSX 関連の雑誌には「開発は順調!」なんて書いてるし、「早く画面を見せたいね〜」的なことも書いてある。「こんなのも出来たらいいねぇ〜」とか、とにかく MSX ユーザーさんの夢は膨らんでいく一方だ、ということは雑誌を見てよく分かりました。これはとにかく「プレッシャー」でした。その雑誌が発売になるたびに、社内で「無理や〜!」「勝手なことばっかり言いやがって!」と叫んでた事を記憶しています。

でも、手を動かしていれば何らかの成果はあるもので、2週間も経てば機器の使い方はある程度マスターし、MSX の理解も (ずっと携わってきた方の足元にも及ばないですが) 進んでいきました。

「これならなんとか、ギリギリ行けるかな?」

しかしこの頃、MSX版ソーサリアンの開発における「最大のピンチ」が、私が気づかないところで "ゆっくりと" 忍び寄っていたのです・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?