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小説|夏日影に消ゆる君 #10

一話前話次話

   十、

「雨の音は集中力を高める効果がある。絶対」

 湊少年が言った。

 台風の中で突然自由研究のテーマが降ってきたそうだ。

「町遺産を作って観光客を呼ぼう?」

「そっちじゃない!」

 ノートに散りばめられた文字の中からタイトルらしいものを読み上げたつもりだったが、どうやら違ったようだ。

「こっち! 自由研究()の方! あっでもタイトルはまだ未定。テーマと研究のきっかけのとこ見て」

「きっかけ? おぉ、これか。元々取り組んでいた課題で思わぬ発見があった? 思わぬ発見ち何なが?」

 タイトルがないのでよくわからない。元々取り組んでいた課題というのはおそらく『町遺産を作って観光客を呼ぼう』という課題だろうか。

「んー……何から言えばいいんだろ、伝えるって難しいね。えっと、最初に思いついたテーマがこれ。町遺産。町遺産っていうのは世界遺産の小っちゃい版」

「あぁ、ほういうことか。町で価値のある建造物や景観を探し出して、それを町の看板にしようちいう試みながじゃな?」

「そう! でね、昨日やっと晴れたから町に取材に出たんだ。詩音くん知ってるかな、二四七号線沿いの古い駄菓子屋さん」

「知っちゅう知っちゅう。おじいさんがいっつも店番しゆうとこやお?」

「うん、でもおじいさんそのときタバコ買いに行ってていなくて。だから戻ってくるまでお店の周りうろうろしながらおじいさんのこと待ってたんだけど、お店のすぐ横であるものを見つけたんだ! 何だと思う?」

 少年がテーブルの上の開かれたままのノートをサッと手で隠す。

 本当はもうとっくに答えを見つけてしまっていたのだが、詩音は考えるフリをしてわざと違う答えを口にした。

「ブッブー! もっとすごいもの!」

 案の定、少年は嬉しそうに得意げな顔をして見せた。

「正解はねぇ、防空壕!」

 ジャーン! とノートを隠していた手を開いて見せてくれたページを、詩音が大袈裟に覗き込む。

 つまり湊少年が言いたいのは、元々町遺産を探すために町を調べていたが、取材しようとした先で防空壕を見つけ方向転換したということらしい。
 今はまだ簡単な言葉でしかまとめられていないが、研究動機としてはストーリーもしっかりしている。予想と仮説の部分には「小さな町だから戦争の影響などないと思っていた」と書かれているから、研究に至ったきっかけからどのようにストーリーが展開していくのか、読む人の好奇心を掻き立てる流れが作れそうだ。

「おれが防空壕の入口を何だこれと思って見てたら、ちょうどおじいさんが帰ってきて」

「いろいろ教えてくれたがか」

「うん」

 少年の目は次に何を話そうかという具合にノートの上を彷徨っていた。ノートといってもまだネタ帳のような形でしかまとまっていないため、清書にはまだまだ程遠い段階のものだ。一節の文になっているものもあれば、とりあえず単語だけを控えたと思われる言葉もたくさん散らばっている。詩音はノートに書かれた文章の中から気になる単語を拾い、湊が見聞きしたことを引き出そうした。

「……えっ、」

 思わず息が止まった。詩音は身体に異変すら感じるほどに動揺していた。自分の手が指先から一気に冷たくなっていく。冷たくなって、でもその先につながっている腕は熱く痺れて、やがてその痺れが背中にまで広がった。サァーっと血の気が引くような感覚が詩音を襲い、目の前が──いや、目に入った名前の周りだけが真っ暗になったみたいに、他に何も見えなくなった。

「あ、これ? 和泉りゅうせいさん?」

 しかし、湊にはそんな詩音の様子は伝わっていないようだった。
 湊は詩音の釘付けになった視線の先にある名前を読み上げると、「この人はおじいさんの叔父にあたる人!」と言った。

「詩音くん知ってるの?」

「……いや、知っ…………」

 唇を噛んだ。
 知らない。知るはずがない。
 詩音の知っている和泉琉生という人間は、若くて自分と同じくらいの歳で、それで……。

「おじいさん戦争中はまだ子供だったんだけど、りゅうせいさんて人は兵隊さんでかっこよくて飛行機も操縦できて、おじいさんの憧れの人だったんだって」

〝ほぉいやおんし、仕事は何しゆうがな?〟

〝んー? ……飛行機の操縦士〟

 嫌な汗が背中を伝う。
 なんだろうこの胸騒ぎは。
 詩音は乾いた喉でくん、と唾を飲み込んだ。

 思い返せば琉生とは早朝か夕方にしか顔を合わせたことがない。早朝と言っても初めて会った日はまだ空の色もほとんど夜に近い色をしていた。深夜にわざわざ暗い山道を登って朝陽を見にくるのだろうか。一体いつから居たのだろう。それに雨が降り始めたあの日だって、朝は朝で記憶が曖昧だし、夕方は結局いろいろとはぐらかされてしまった気がする。

 ずっと心の中にしまっていた「何故」が今更になって溢れ出た。
 こんなことならもっとあれこれ聞いていればよかった。

 いや、同姓同名の可能性だってある。親が自分の子供に親の名前をつけることだって稀にあると聞くし。この和泉りゅうせいという人が立派な軍人で、駄菓子屋のお爺さんみたいに彼に憧れた人が同じ名前をつけたいと思ったのかもしれない。

「でね、今年の夏休み限定で、資料館にその人の遺品とかが展示されてるって! 詩音くん、町の資料館の場所知ってる? おれ、この人について調べようと思ってるんだ」

 動転している気をなんとか鎮めるため、深呼吸をしようと大きく息を吸った。

「ねぇ詩音くん、聞いてる?」

「えっ?! あ、ゲホッゲホッ、あぁ、すまんすまん。聞いちゅうよ。資料館の場所も知っちゅう。子供の足ではちっくと遠いき、いつでも連れてっちゃおで」

 うっかり考え込んでしまって何も聞いていなかったが、かろうじて聞こえた単語を拾ってできるだけ明るい声で返事をした。
 詩音の気持ちなど露知らずの湊は「やったー! じゃあ明日!」と無邪気に答えた。

 午後はもう、空元気もいいところだった。

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