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【第2章】愛し愛されるということ。 #第1夜

初めましてのみなさまも、おなじみのあなたもこんにちは、MAKIです。

先日までの「人生を振り返るということ」シリーズにお付き合いくださりありがとうございました。



ふたり暮らした部屋から離れるのを明日に控えて、ああ、ついに新時代の幕開けだなあと、生活への不安や住環境の変化に想いをめぐらせている今日この頃。
みなさまにおかれましては、春になど左右されずに毎日を謳歌なさっていることを切に願います。

ひとを嫌いになるのにもエネルギーって必要で、嫌悪憎悪の感情に費やすくらいなら考えないようにする、という手法を幼少期から取り入れてきたわたしには、この人生で嫌いなひとって2人しかいなくて、そのいずれもわたしの自尊心を深く深く傷つけてくる相手だったから、というのが理由です。

そのむかし、同じ職場でオトコを寝取られたことがあるけれど(それはまた別のお話)そのひとにもその相手にも深い関心をもたないことにして事件後2年間一緒に働いたくらい図太い神経の持ち主ですが、
自尊心が傷つくことにはとても敏感なのです。

考えるのをやめる。

これは自分を守るためにはとても有効で、
それでも心の深い深い部分ではきっと寂しくて悲しくて悔しくて仕方のないわたしがそこにいて。

ともすれば誰かと暮らす人生において、これを続けていくことが出来れば平和ぶって生きていかれるのだろうけれど、わたしにはそれが出来なかったんだなぁ。
完璧主義で至上主義なわたしにとって、
「できなかった」という及第点に達しなかった烙印を押された事実には耐えきれず、ひとりになると自分で自分をハグする毎日です。

嫌いになるまえに、離れたといえば聞こえはいいのかな。
愛し愛されることのひとつの証があれば、また違った人生だったのでしょうか。
パラレルワールドに想いを馳せてみるのです。


兎角、みなさまが思うより疲弊もせず悲しみにも暮れず飄々としておりますが、
もう一度、愛し愛されるということを見つめ直す人生にトライしてみます。


ひとりになって、
もうひっそりと想う必要はないのだけれど、
それでも南京錠を開けることをせず、なんでもないフリをして、あなたのそばにいたいと思うのです。


つづく。

いつもお立ち寄りくださりありがとうございます!これからも、必要な方に届くように言葉を紡いでいく予定です。あなたのサポートがチカラになります。お待ちしています。