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love the island, #第4夜

初めましてのみなさまも、おなじみのあなたもこんにちは、MAKIです。


突然ですがプロポーズをした経験はありますか?

このひとと添い遂げたい、人生をともに送りたいと思える経験ってとっても貴重で、まだ純粋にケッコンをしあわせなミライへの扉だと信じてやまなかったピュアなわたしがそこにはいたのです。

そのひとは太陽系のオーラを放ち、
いつでも輪の中心にいて、久しぶりに会っても時間の経過を感じさせない絶妙な距離感を保ち、顔は二枚目なのにいつも三枚目キャラを全うし、老若男女問わず、誰でも引き寄せてしまう、あたたかな太陽のような方で(しかもほんとうに顔が二枚目)やさしさと、男らしさと、素直さを持ち合わせていました。


年齢はふたつ上なはずのそのひとは気付けば半年大学を留年したわたしと同じタイミングで卒業を迎え、卒業式にきていたわたしの両親が彼氏だと勘違いして父が固まってしまったのもいまでは良き想い出。

いつだったか、わたしが恋人にフラれて参っていたとき、すぐに連絡をくれて、何をするでもなくなんでもない話で笑わせてくれたのです。
ああ、ひとのやさしさってこういうことだよなぁとそのときのわたしはじんわりと感じたのです。
思えばそれが、異性として彼を意識し始めた瞬間なのでした。

気持ちを悟られないように、あくまでプラトニックな関係を何年も続けていたある日。
彼が南の島に移住することが決まりました。
このままプラトニックなまま、いつかまた会えたときに笑ってハイタッチするわたしたちでいることは出来たはずだけれど、まだ若かったわたしは爪痕を残したくなってしまったのだと振り返るのです。


彼はその日、冗談混じりでアプローチをかけるわたしをさらりといなして、いつものように、新橋でホッピーを飲み交わし朝までカラオケ館で歌いまくって、次の約束の日には歌舞伎町の居酒屋でそら豆をツマミに飲み交わし新宿のカラオケ館で朝まで歌い(カラ館が好きな理由はこういう想い出がたくさんあるからというのもあるけど、それはまた別のお話)、空港に仲間たちと一緒に彼を見送りにいく2週間前だったと思います。ついに念願が叶って、わたしたちはつかの間の恋人のような関係になれたのです。
それは旅立ちが決まっているから過ごせた、甘い甘いひとときでした。アメスピの香りを嗅ぐといまでもあの日々をありありと思い出すのです。


そんな彼とわたしはかつてこんな口約束を交わしました。
「マキコが30歳まで嫁に行かなかったら、オレと結婚しよう(笑)」もちろんカッコワライが大前提のそれ。


彼が南の島に旅立ってから2度、ひとりで逢いに行きました。逢いに行っては、楽しい時間と切ない時間と、やっぱり正式な彼女になることはない歯痒さとで、いつもサヨナラしたあとはひとりでこっそりと涙を流していました。

彼が本土に戻ってくると知ったその春。
京都勤務になったと分かり、思わず連絡を取りました。夏休みになったら逢いに行ってもいい?もちろん断られることはないと分かっていました。受け入れてはくれるひとだからです。
それはわたしの30歳の夏でした。

図々しくもわたしは、30から31になるその誕生日前夜に逢いに行くことに決めたのです。

そう、目的はひとつ、プロポーズをするため。


のぞみはわたしを乗せて彼の住む街へと連れて行ってくれました。
夜の京都駅。京都タワー。久しぶりに会う彼。
久しぶりなのに、「おう!」と手を挙げいつものように笑う彼。
恋に堕ちない理由はどこにもないのです。

たくさんの昔話と、たくさんの今の話と。
彼が話す口元をぼんやりと眺めながら、ああ、このひとの温度がやっぱり好きだと思うのです。


しかし現実はそう甘くはありません。
プロポーズはものの見事に玉砕し、翌年にはわたしはほかのひとと婚約し、いまに至るのです。
(詳細割愛)

彼はほんとうに誠実に、丁寧に、わたしと結婚しない理由を伝えてくれました。
わたしが彼を忘れられなかったのと同じかそれ以上に、彼にも素敵な女性がいて、でもその愛は実ることはなくて、それでいいのだと笑っていました。会えなくても、想っていられればいいのだと。

オトコの本性でいえば、わたしは単なる都合のいいオンナだろうし、なんなら交通費も時間も自らつくって逢いに来てくれる熱烈なファンくらいな気持ちだと思うし、アタマではわたしも分かってはいたけれど、ああ、正式にフラれてしまったわたしは、素知らぬ顔をしてまた逢いに来たよ、なんて言えるはずもなく、彼とは会えていません。

それならいっそ、取り乱して、
あなたの前で思い切って、泣いてみたり、怒ってみたりさせてほしかったなと思い返しても時すでに遅し。

帰りの新幹線で、京都の地ビールを飲みながら、泣いて、泣いて、泣いて、帰ってきたのでした。


そんなこんなでわたしの20代には例の元彼とは違うベクトルでまた忘れられないひとがいました。
最近は時折、あのころ、一生懸命に恋をしていたわたし自身を振り返るのです。



南京錠まで掛けて蓋をしていたはずの想いを解放してしまい、自ら傷付きにいく行為だなぁと分かっていながらも止められないこの気持ちを恋と呼ぶのなら、わたしにはきっと愛には少し足りず、やっぱり自分を愛することにまだ夢中なのだなと悟るのです。


つづく。

#自分を愛するということ

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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