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人情と人情、そして人情

となりのヒーローインタビュー高津幸佑vol.5


あなたの身近にヒーローはいないだろうか。
何か困ったときに助けてくれる。相談に乗ってくれる。そばにいてくれる。
そんなとなりのヒーロー。
そのヒーローから、あなたにメッセージを届けるそんな趣旨の記事。

ピックアップ事前情報

・高津幸佑ゆる紹介
・フレスコボール

高津幸佑ゆる紹介

・野球一筋
・淡路島出身
・プロ並みの調理能力
・鬼がつくほどの人見知り
・フレスコボール明石Grêmio PONTE 所属
(兵庫県明石市・大蔵海岸を拠点に活動する地域クラブ)

フレスコボールとは

ブラジル発祥の協力型ビーチラケットスポーツ。
2人ペアで行う。2人は仲間、味方。
ラケットとボールを使用する。ネットはなし。
2人対面になり5分間できるだけ落とさず、ラリーを続ける。
ラリーの数や速さが審判によって得点化される。落とすと減点。
速くかつ正確さ鍵となる。ペアの打ちやすいところに返し続けることから
思いやりのスポーツと表現される。

参考として・・・日本代表レベルだと5分間に580打、落とすのは5回程度。
日本フレスコボール協会HP


著者(以下、著):お願いします!今回のインタビューにて高ちゃん(高津幸佑)の秘めた想いを引き出したいなっていうのが私の想いです。手始めに出身、年齢、お仕事とか教えてもらいたいです。

高津(以下、高):よろしくお願いします。高津幸佑、28歳です。出身は淡路島、仕事は郵便局員です。

著:いいね!スポーツはこれまでやってた?

高:野球一筋です。

著:野球一筋で。もう小学校ぐらいからやってたんかな?

高:そうですね。クラブチームに入ったのは、小学校1年ですね。3歳ぐらいからやってる感じです。

著:お父さん、お母さんが野球に関わってたとか?

高:親父がずっと野球してて、それで物心ついた時にはもう兄貴もやってたし、いつのまにか僕の方が野球が好きだったみたいな感じですね。それしかできなかったのもあります。

著:すごいね。小学生から高校、社会人もやってたんかな、ずっと。

高:そうですね、社会人になりまして。プロを目指せるクラブチームっていうのがあったのでそこに入りながら野球を続けました。

著:ほうほう、高校卒業して郵便局へ?

高:まず新日鐵住金、今の日本製鉄で働きました。。3年勤めて退職しました。その後、アルバイトとして郵便局に入るって感じです。

著:大企業からの転職、そしてアルバイトから社員になったのね。

高:そうですね。アルバイトから正社員に上がって、今年もう1個上の試験に 挑んでいくって感じですね。

少年野球時代の高津選手

夢をくれた人

松:転職で郵便局やったのは知らんかったね。日本製鉄はなんでやめちゃったん?

高:辞めた理由。最終的な決め手は、じいちゃんが死んだことですね。
じいちゃんが僕にプロ野球って夢をくれた人やった。
小学校2年生ぐらいで脳梗塞で倒れて、左半身麻痺でずっと 寝たきりでした。阪神タイガースの試合中継をよく観てて。その時に、【幸佑がいつかこういう舞台で活躍するのを観るのがじいちゃんの夢や】って小学2年生で言われて。

松:めちゃくちゃいい話!

高:はい。それだけで、プロ野球選手になりたくて練習をしてました。ずーっと野球頑張ってきたんですけど、社会人の時にじいちゃんが亡くなって。
その後、死んだじいちゃんが会いに来ました。あ、僕、霊感があるんです。笑

松:ほうほう。笑

高:じいちゃんが会いに来た時に、言葉はないんですけど、 やりたいことやれって言われた感じがしたんですよ。やりたいこと、 将来のこと考えたら、土日が休みの職場がいいし、気兼ねなく野球をできる環境も欲しい。と考えて、叔父が働いていた郵便局で働きたいなと思いました。じいちゃん亡くなって2週間後ぐらいには日本製鉄やめるって決めましたね。じいちゃんが死んでなかったら、未だに日本製鉄で働いてると思います。

松:それが夢のきっかけやもんね。

高:そうですね。じいちゃんがなくなったのはやっぱりキツかった。そこでまた思いというかね、言葉をいただけたというかね。じいちゃんのおかげで踏ん切りがついたっていうのもありました。

松:いい話ねー。こんなん好きやー。笑
これが小さい頃からの野球人生っていう感じか。

高:そうですね。じいちゃんが全てですね。

左:間部 中央:高津 右:田靡

大切な人で繋がったフレスコボール

松:そっからフレスコボールを始めたと思うねんけど、フレスコボールを始めたきっかけはなんやったん?

高:間部知香さん(フレスコボール明石、クラブメンバー)ですね。 間部さんも郵便局で働いてました。僕が巡回社員といって、いろんな局に移動して働きにいくという立場でした。その時、たまたま間部さんがいる職場に行くことになって、すぐに仲良くなりました。そして間部さんから、【フレスコボールって知ってる?】【一緒に行こうや〜】て言われたのがきっかけです。
僕、鬼の人見知りなので、誘ってくれたのが間部さんじゃなかったら行ってないと思います。間部さんに言われたから、行ってみようかなと思っただけで、 これが他の人やったら行ってないです。
実際に行ってみて、楽しい!!!ってなりました。本当に和気あいあいとしてて。それから間部さんが行く時には一緒に連れて行ってもらうみたいな感じで行ってましたね。

松:いいね、ここでもステキなきっかけをもらってるんやね。
特に、仲いい人って誰でしょう、やっぱともちゃん(間部知香)、まいちゃん(フレスコボール明石クラブメンバー、郵便局員:田靡まい)になるんかな?

完全に、そうですね。いろんな恩をもらったから、余計にそう思ってるのかもしれないですね。ただ仲が良いだけじゃなくて。
まいさん、僕と同じルートでずっと郵便局で活躍してきてるんです。同じアルバイトから始めて正社員になって1つ上のランクに上がってっていう、僕が通っていく道を先に進んできた人です。だから、僕が前に進んでいく時にはアドバイスをくれたり、僕のために言葉をかけてきたくれた人です。今も昔も背中を押してくれた方。そしてその、まいさんを繋いでくれたのが間部さんでした。

松:鬼の人見知りと言いつつ。笑
大切な人がキーマンとして出てくるね。良い良い。

大会中の高津、山下ペア

御恩と奉公の精神

松:フレスコボールの始めた時と、今の関わり方ってやっぱり違うかな?何かきっかけってある?

高:やましょーさん(2023.24年フレスコボール日本代表:山下祥)にもらったラケットやと思います。フレスコボール、僕にはハードルが高かったところが1個あって、鬼の人見知りというところ。
だから間部さん以外は誰と話さずに階段に座ってるみたいなことが結構続いてました。最初は大将さん(フレスコボール明石クラブメンバー:山下大将)から借りたラケットを使って大将さん、フジパンさん(フレスコボール明石クラブメンバー:藤本瞬)と練習させてもらってました。何かのタイミングでやましょーさんと打たせてもらう機会があって、 【君は上手だ!】って言われたんですよ。

松:シンプルにね。笑

高:【同じ野球をしてきて、せっかく上手いから高津君にラケットをあげる】って言われてもらったんですよ。もらった恩義は返さないといけないっていうか。もらったからいく、こちらもシンプルに。笑
可能な範囲で行こうって思い始めて、それが今まで続いてきてる。

松:私も不意に、この人にラケットあげたいなと思ってあげる時ってあるけど、そこまで律義に思ってくれるのは山ちゃん(山下祥)も嬉しいやろうね。

キレのあるアタックを打つ高津選手

松:その後、山ちゃんとペア結成、どういう流れでペアが決まった?

高:僕はどっちかっていうと大蔵海岸という場所と人が好きだから、大会に強いこだわりはなかったんです。いつでも僕がいるからみんな練習に来てねっていうスタンスでした。だったんですけど、2023年秋ごろにやましょーさんから連絡もらって、電話で話しました。

【今までいろんな人とペア組んできて、克希も1人前になった。 次のペア、どう考えても高津しかいない】ってやましょーさんに言われて、本当嬉しかった、その気持ちだけですよね。

克希(2024年フレスコボール日本代表、山下と元ペア:中野克希)と同じぐらいにフレスコボール始めて、彼はもう日本代表になって、 やっぱね、嫉妬もあったかもしれないですね、同じスポーツをずっとやってきた、僕も大会で頑張りたいって思わせてもらいました。だから次、自分も輝きたい気持ちでやましょーさんの背中を借りました。現実はやっぱ甘くはない。痛感してます。克希がどれほど頑張ったんだろうなっていうのは、今ならよく分かるというか。刺激もらってますね。

中野克希インタビュー記事

松:結成当初の目標と今の目標
何か変化はあったりする?シーズン終盤よね。

高:日本代表っていうのが当初の目標で、それは今も変わっていないです。でもやっぱ非常に厳しい戦況というか。レベルはやっぱ高いですし。1年間頑張っただけでは追いついていけるレベルではない。っていうのはあります。ジャパンオープンで僕たちの最大限を持っていく覚悟で望んでます。日の丸を背負うことっていうことに憧れもあります。生半可な気持ちではもらえないものではあるけど、 僕たち2人ならもっと違う何かを与えられる選手になるんじゃないかっていうのも感じてます。やましょー高津ペアの試合って面白い、引き込まれたとか、感動したとか。誰かに何かを与えられるような試合っていうのができたらいいですね。

フレスコボールについて考える高津選手

松:こんな質問、変やとは思うねんけど聞いてみたくて!笑
生活におけるフレスコボールの比率ってどれぐらいかなと思う?

高:忘れてる時間の方が短いかもしれないです。笑
もちろん仕事の時も常に考えてるし、 総打数580(入賞ライン)出るにはどれぐらいのペースなんだろうとか、電卓で計算してみたりとか。もう常に考えてます。休憩時間に何してるかって言われたら、フレスコボールの動画見てるし、なんかこう、常に頭の中にはあって、家に帰ってきても、そういう状態です。平日に考え出した動きや考察その全てを土曜日、日曜日に持っていきます。それがやっぱりダメだった、合わなかったのであれば、また1週間考えます。

松:平日考えて、土日に試すっていう流れはすごくいいよね。よく分かる。

高:なかなか1人で練習できないんでね。フレスコボールのことをずっと考えてるというか、考えてしまってるんやろうけど。

陸前高田市での大会にて、三陸フレスコボールクラブ高橋選手とペアを組む。
観客を心を動かしベストラリーを受賞する

フレスコボールに人生を変えてもらった

松:たかっちゃんにとって、引き込まれるフレスコボール魅力ってなんでしょう?

高:僕はほんまに、フレスコボールで人生を変えてもらった1人
心を開いた人しか喋らない、喋れない。新幹線・飛行機に1人で乗れない、そんなやつが、今は全国に仲間ができて、1人で飛行機に乗り、陸前高田で僕のことを1年間ずっと待ってくれてる人(三陸フレスコボールクラブ:高橋さん)がいるっていう。それだけで僕は人生満足というか。
代表になることは大事やけど、フレスコボールを始めて、 もっとこう、大事なものに気づかせてもらったというか、人生が豊かになったと思えるのは、このスポーツのおかげだと思ってる。

松:日本代表を目指していく過程で、そういうことより感じることができたのかもしれへんねぇ〜。うんうん

関西のフレスコボールメンバー

松:これからの目標というか、展望っていったらいいのかな。
そこまで堅苦しくなくてもいいけど、そんなんってある?

高:フレスコボール明石の運営、計画から携わらせてもらってる立場です。
どうしたらクラブが良くなるかとか、会議・会話をする中に僕は入ってます。幹部と言いますか。 僕はやっぱりこのチームが存続することが全てだと思ってます。
やっぱり僕らも結婚して子供ができてとか、みんなそれぞれの家庭環境が変わっていくと思うんですけど、そん時にどうしても離れてしまう時期とかもあるとは思います。その時にやっぱ誰でも帰ってこれるようにするには、やっぱこのチームが残っとかないと、存続ですね。
これから大将さん(異動にて宮城在住)が帰ってくるかもしれないし、フジパンさん(転職準備のため高知在住)が帰ってくるかもしれない、他府県からメンバーが来てくれるっていうのもあると思います。チームが残っている限り、 未来は明るい。すごく大きいと思います。

松:高ちゃんがフレスコボール明石のこと、クラブメンバーのこと、ここまで考えてる、想ってるってみんな知らんやろうから、ええ機会やったね。

じいちゃんありがとう!

ヒーローインタビュー:じいちゃんへ想い届けたい


松:ラストの質問、ヒーローインタビューね。大切な誰かに想いを伝えてほしいです。

高:じいちゃんですかね。今こうやってインタビューを受けてみて、自分の人生を思い返せば、僕が1番感謝したい人はじいちゃんです。

ずっと目指してたプロ野球選手になるって言う夢はじいちゃんからもらったんです。好きで始めた野球。
プロ野球選手になりたい。プロになってじいちゃん、家族を喜ばせたい、小学生の僕は、ただそれだけやったんです!
その気持ちが僕の人生の全てだった、全部つながってたんだなって。誰かのために何かしてあげたい、見返りなんかどうでもいいし、ほしいとも思ったことなくて、大切なひとが喜んでくれたらそれでいい

その気持ちってあの小学生の時と同じで、今も変わってなくて、そこで人生を変えてくれたって思うフレスコボールに出会えたのも、死んだじいちゃんから好きなことやれって言われてなかったら、前の会社辞めてなかったと思うし。あの言葉、思いを伝えてくれたおかげでフレスコボールにも出会えて、大切な友達とか、結婚したいと思える人にも出会えた、人生観も変わったと思う。じいちゃんが僕の人生を豊かにするために引っ張ってくれてたのかなって思う。
僕の心の部分をずっと成長させてくれたのはじいちゃんで、これからも楽しいことだけじゃなくて、辛いこと、苦しいことも人生だからあると思う。
でもそれもじいちゃんから、人生においての宿題やと思ったらなんでも乗り越えられるよなって思ってます。
やっぱり僕のヒーローはじいちゃんですね。

松:うぅーん、高ちゃん。ステキが、すぎる。

高:この場を借りて、今までじいちゃんに言えなかったことを。

プロ野球選手になれなくてごめん。それだけが心残り。
最後にキャッチボールしたかった、ありがとうって言いたかった。
だから色んなことをひっくるめて、ありがとう。
そしてこれからもよろしく

松:高ちゃん、ありがとう。高ちゃんがとっても大事にしていることを話してもらえて感謝です。

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