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年末年始の母が辛い、とても辛い。

意外と掲題の人は多いと思い、筆を取るではなく、型落ちのiPhoneでフリックしながらこの文章を打っている。

当方はアラフォー子持ち、フルタイム。
バリキャリにもなれず、されど時短で安く労働力を買い叩かれるのも嫌で、子育てもキャリアも中途半端だなと思いながら日々の飯の種を稼ぐ、都内の片隅に生きる地方出身者のありふれたワーママだ。

さて、自己紹介も終わった所で、我々の世代ではこれまたよくある母娘の愚痴をnoteの大海に流す。
瓶に詰めた手紙を海に流すように(現代の感覚だと、ロマンより海洋ゴミを先に想像するのが世知辛いね)、とある子持ちアラフォー娘の、後期高齢者の母に対する愚痴をここに記したいと思う。

母という存在


私は母子家庭で育った。
姉が一人いるが、現在は海外に住んでおり、向こうで生活基盤があり、日本に戻って生活する可能性は極めて低い。なので、母に何かあればその身元引き受け先は私になる。

結論から言うとそれが冒頭のタイトルに繋がっていく。
母、すごく重い。
所謂「とてもつらい」状態である。

とてもつらい


母子家庭にも関わらず、私は大学院まで出してもらった。
経済的に豊かではなかった中で子供二人を育てる苦労は、子持ちになった今ならば解像度高く理解ができる。
大変な事だったと思う。
感謝もしている。
だけど、目の前の母は辛すぎる。

身内のしんどさは、細かい嫌悪の積み重ねだ。
一つ一つは小さいが、それがRPGの毒状態のようにジワジワとHPとMPを削っていく。
私の怒りを友人や夫にあまりに頻繁に聞かせるのも、相手の貴重な時間とMPを削ってしまって反省したので、これ以上は避けたい。

なので、ここに記録として残す。
同じような境遇の方には共感を、そうでない方には母娘関係のしんどさをご笑覧頂ければ、私の身を蝕むイライラとモヤモヤと怒りが昇華されるだろう。
では早速何がどう辛いのか、具体的に語っていこう。

母、食べる人。娘、作る人。


母は普段は単身で地方に住んでいるが、何だかんだと理由をつけて、よく都内の我が家に長期滞在する。
長いと3ヶ月、短くて1週間なんかはザラにある。
年末年始や大きな手術や入院を伴う通院は、地元だと単身世帯で辛いので、私の家を拠点に通っている。

母は足が悪く、理由がないと出歩かない。
だから、長期滞在中は基本的には家にいる。
家にいると絶対に避けて通れないのは食事だ。
しかし、母は我が家では一切食事を作らない。
頑なに作らない。
どれ位、頑なかと言うと、我々夫婦が食当たりでダウンし、母は元気でも料理をしなかった。その時は熱でフラフラだった夫がご飯を作った。
普段は独り暮らしをして、自分の食事を当たり前に作っているにも関わらず。

母曰く「私の作るのは餌なの!ただ、お腹を満たすだけ!ご飯と具沢山の味噌汁と煮物位しか作れないの!だから、夫さんに食べて貰うのも申し訳なくて!」

いや、作っとるやん。めちゃくちゃ作っとるやん。
毎食毎食飯作って貰うのは申し訳なくないんか。
そこに気遣いはないんか。
(エセ関西弁ですみません)

私は在宅ワークが主な為、昼ご飯は私が準備する。
午前中、私が狭いワーキングスペースで頭を抱えながら仕事をしている間、母はさんさんと陽の光が入る明るいリビングで最新の大型テレビ(最近買い替えた、音が良い)で昔の映画を楽しみ、新聞を読んでいるにも関わらず。

昼休みの1時間は割と余裕がない。一人なら朝の残りやレトルト等で適当に済ますが、人がいるとそうはいかない。
何かしか作り、食べさせなければならない。
面倒くさい。とてつもなく面倒くさい。

また、夕飯もバタバタと子供を保育園に迎えに行き、ようやく帰ってきたら今度は夕飯を作る。
その間も母は家にいるが、決して食事を作らない。
米を炊く位はやるが、その程度だ。
これが母が滞在中は毎日である。こうして母への嫌悪が積み上がっていく。

因みに、他の家事はいいから、負担が大きいご飯だけは作ってくれとは何度となくお願いしている。
だが、やれ人の家の冷蔵庫は分からない。ガスの使い方が分からない(勿論何度も教えている)、どの食材使っていいか分からないと言って頑なにやらない。
やらない言い訳は上手い。
そうしている内に言い訳を聞くのも嫌になり、私は何も言わなくなる。
嫌悪貯金がまたチャリンとたまる。

とてもつらい(2回目)


母は感謝を伝えると死ぬ病にかかっているのだろうか?

そして、どうしても許せないのは、飯を作らないよりもこちらが作った飯を美味しいの一言も、有難うも言わずに母は食べる事だ。

人としてダメだろ。

1億歩譲って私が作った食事に対して何も言わないのはまあ許そう。ただ、夫が作った物にも何も言わない。食べる事が大好きな母は、いただきますと言って出された食事をガツガツと食べ、ごちそうさま〜と最後に挨拶するだけである。

本当に本当に理解が出来ない。
なぜ有難うも美味しいねも言わないのか?


勿論、これも伝えている。
なぜ感想の一言も言わずに食べるのか?
せめて夫が作った時(我が家は夫が同程度以上の食事を作る)は美味しいの一言や料理が出てきた感動や、感謝を口に出して表現してほしいと。
そうすると母の返答はこうだ。
「だって、美味しそうなご飯を目の前にすると、言葉にするより早く食べたいじゃない!
残さず綺麗に食べてるって事は美味しいって事なのよ!お母さんの気持ちを分かって!」

いや、赤ん坊でも、家畜じゃないんだから、言葉で伝えなよ。
コミュニケーションに制限がある海外にいる訳でもなく、同じ言語使っているんだから、ちゃんと言えよ。

マジで理解ができない。
極め付けは年末年始は諸事情あり、母と私と仲の良い友人の三人で東京でお正月を過ごした。
正月準備にあたり、友人と一緒に買い物し、年越しは友人が持参してくれた良いお肉ですき焼きをし、蕎麦を茹で、お雑煮とお節の準備をした。
友人と二人で忙しく立ち回ってる間、母はまたしても新聞を読み、テレビをのんびり見てこう言った。

「娘が二人いるみたいで助かっちゃうわー」

一人で年末年始の食事の準備する私を見兼ねて、料理上手な友人は大いに料理を手伝ってくれたが、私はめちゃくちゃ申し訳なかったし、本当に母が恥ずかしかった。。。。
その子には後で御礼に、めちゃくちゃ美味しいケーキ屋のアレコレを送ろうと思ってる。

因みに母は近所からもらった野菜を持ってくる程度で、我が家に滞在中は一切お金を入れない。
年金生活者なので、出されても受け取り辛いし特に請求しないのもあるが、それでこの態度なのである。

とてもつらい(3回目)

母、またの名を気遣い強盗と申す

母の嫌な事を書き連ねると止まらない。
ここまで書いてきて、これを純度100%の愚痴で聞かせてしまった友人や、巻き込んでしまった別の友人よ本当にすまない。
でもまだ続きます。三連休の浮いた時間よ有難う。怒りはここに置いていきたい。

では続けよう。
母はすぐに拗ねる。言葉尻を捉えてすぐに拗ねる。地雷がどこに埋まっているかマジで分からない。

例えば、私が何気なく「今日はどこかにでかけたの?」と聞くと「一日中家にいても、何もしてないって言いたいの?!」と言って睨んでくる。

会話しようにも、一事が万事こんな感じなので、私から母に話しかけるのは要件のみになる。

夫との普段の会話に母が入ると盛り下がるので、母がいる時は夫婦間でもそれほど会話をせず、母がいない所で夫婦の(はたからか見ると楽しげな)日常会話がなされる事となる。
そうなると、母は我々から除け者にされている、夫から嫌われているのかとまた拗ね始める。

とてもつらい(4回目)

母は娘のネガキャンをしていると水を得た魚になる


これもあるあるだと思うが、ヤバい母は娘を娘の友人や家族の前でこき下ろすのが大好きである。
しかも無自覚だ。

マジで厄介。とても厄介。一介にいっぱしな口、貴女にご厄介!

思わず韻を踏んでしまった。
私と家族や友人との会話に母が入って欲しくない。
でも、母が家にいる時に友人が来ると嬉しそうに会話に参加する。そして、その場を盛り下げる。
以下に具体的なエピソードを紹介したい。

前述した通り、大晦日の夜には良いお肉ですき焼きをした。お料理上手な友人が自ら割下を作り、振る舞ってくれた。
お肉はとても美味しいし、遊びに来てくれたのに料理まで作ってくれた友人を私は褒めたたえ、なんて美味しいすき焼きだ!と声高に感謝を伝えた。
お料理上手で聡明で美しく、ユーモアのセンスも素晴らしい自慢の友人を手を叩いてやんややんやと、私は心のままに、お酒の勢いもあって賛辞を送りまくった。
それを見た母はこんな一言をしたり顔で言った。

「娘(私)ちゃんの褒め言葉は本当に大袈裟で嘘くさいわよねー」

私は黙りこんだ。
その場は勿論冷え切った。

大袈裟な口上の中に、最大限の感謝を込めていた私の本音を正確に受け取っていた友人は困った顔をした。
母はそんな空気に気づかず、言ってやったと少し得意げになりながら、すき焼きをむしゃむしゃ食べていた。
友人のアシストもあって、その場はすぐに会話は戻ったが、私の心は大いに冷え込んだままだった。

とてもとてもつらい

後日、この事を伝えると、母は自分の失言を覚えていなかった。そして謝らなかった。
虚しい。
なぜ私がこれほど怒っているのか、なぜ嫌悪に至っているのか、母には全く伝わらない。

母なる病

毒親の名付け親で、母娘の問題の第一人者の信田のぶ子さんの本を読むと腑に落ちる事ばかりだ。

母に対して私が怒ったり、要求を伝えると途端に母は自己防衛に入る。
最初は出来ない理由を饒舌に語り、怒り、風向きが悪くなると拗ねだし、最後には自分が高齢者で身体も弱い、弱者である事を殊更に主張しながら従属の構えをとる。
そうなると私はいたいけな老母を責める酷い娘になる。

また私の方が母と比較して、経済的かつ肉体的に強者である事は事実であり、お互いに嫌〜〜な気持ちになりつつ、落とし所は老母が高圧的な娘に従う形をとって終わる。

母が私に求めているのは、母の気持ちを絶えず考慮し、母の出来る範囲で家の仕事を割り振り、そして感謝して居場所を与える優しい娘なのだろう。
でも、それは介護職員と老人ホームの入居者のような一方通行な関係性でないと成り立たないと思う。
もしくは信頼関係と尊敬がある稀有な関係性の中でしか成立しない気がする。

母と共に過ごすと、絶えず心を搾取されている気になる。基本的にはギブしかない。
それはまるで、穴のないバケツに水を入れるような行為だ。
こちらからの気遣いと優しさは絶えず求められて、バケツに一生懸命入れてもそれが満たされる事はない。
私からの気遣いや思いやりは母の穴の空いたバケツにはたまらず、虚しく流れ落ちて行くだけだ。

母は私の父と離婚をして以後、再婚していないのがとても腑に落ちる。
他人に対する気遣いはそれなりにあるが、身内に対する気遣いができないのだ。
ツンデレは最初はツンツンしてるけど、段々デレて可愛くなっていくが、母はデレツンだ。
最初は気遣いをし、ニコニコしているが、身内になればなるほど配慮をしなくなる。
釣った魚に餌をやらずに死なせてしまうタイプだ。
事実、姉も私も母に対しては苦手意識があるし、夫だった父とは私が乳飲子の時に離婚している。

今の私は母に対しては義務感しか残っていない。
母が求める娘の優しさや、気遣いはとうに枯れてしまった。
親の愛は見返りのない無償の愛とは言うが、逆に母は本来ならばパートナーや親から得られるべき無償の愛や心理的なサポートを、娘に求めているのだろう。

大変な中で十分な教育を受けさせて貰ったのは感謝している。
母は苦労が多かっただけ、元気に楽しく生きてほしいと思う。
でも、それは私の近くにいない所である事を、切に願っている。
そういう形でしか母と折り合えないのがとても辛いし、とても悲しい。

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