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「雨沢の思い出」

雨沢あめざわの町から 港に向かう
街道を 一直線に伸びる街道を 歩く
今は小さな漁港しかないが
19世紀初頭までは
北前船の中継地として
江戸後期の豪商のひとりを輩出した
大いに栄えた港町だった
その近くに移り住んだ1960年代の末
港町の中を歩いたところで
過去の繁栄の跡はすっかり消え
民家には板葺きの屋根に 丸石が置かれ
並ぶ商店街も人はまばら
ひたすらさびれた印象しかない
小さな港町だった
その町まで
母に手を引かれて
幼いころに何度も買い物に行った
「あんた どっから来た人や?」
問われた母は 中国·大連で生まれ育ち
戦後に引き揚げ
18歳で初めて日本の土を踏んだ
北陸の片田舎で生活を立てた母
引き揚げから20年もたたないころ
地元の訛り イントネーションより
標準語が出る人であった
引揚者であり
地元で育ったものではない旨を
母は語ったろう
店番の老女は 母の来し方を聞き
「ふんっ そうけ 旅の人やねっ」
と言い捨てた
母にとって その言葉の持つ
何のぬくもりもない言い回しは
終生つきまとった
だが しかし
だれもが この世の
旅の人でないか
引揚者という デラシネ
大きな体制から捨てられた 人びと
その意味では
さびれた小商店にいた
老女と 母と
どれだけの差があったか

雨沢の冬に 青空はない
ずっとずっと 鉛色の空
時に雨 時に雪霰
目まぐるしく変わる空模様
それでも青空が一瞬 見えるときがある
その青空は貴重だ
そんな青空のような心を持つ人は
「旅の人」などという言葉を吐かないだろう
母にとり
そんな青空との出合いは
終生 なかった
そして ぼくも

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