■「詩作教室」 本日のご指導
「文学」と「作家」への道(3)
「詩人の独り言」改
◇ああ、それだ! 必要なことは…
僕の「詩作生活」は既に3年目に入っている――。noteへの投稿以外は、引き続き月に1度通うカルチャーセンターの現代詩実作講座のみ。
それ以外の詩作講座は、行きたいという気持ちはあるものの、行かないまま。専門誌への投稿もしていない。どこかの同人になりたい、と思いながら、探していないし、もちろん「仲間になりませんか」とのお誘いもない。
自分の「詩ノート」は20冊目になり、書きつづった詩の数こそ1000を超えたが、それに比例して中身、技量がよくなった感じはしない――。
さて、きのうの詩講座は、参加者、提出作品数も多く、過去2年では一番多かった印象。
きのうの夜中に「許しません」のタイトルでnoteに投稿したものを提出した。noteには、タイマー設定をして、詩講座の後にアップした。noteでの反応を見たうえで選び出した詩ではない。
詩作講座提出時には、写真のように、、「や・め・て」とタイトルも変更。行数を減らした。
先生が、直接この詩について語ったことを書こう。
・今の時代の生きにくさ、騒音とかへの過剰な反応とか-寛容性がなくなっていることを問うている
・その部分をもっと細分化して書く。中身が単純。白か黒かでなく灰色の部分を書く
・構成はできている。まだまだやるべきこと――「考えること」だ
・近代の詩は「感じること」を書けばよかった。戦後の現代詩は、「考えた」ことを書くようになって進化した――
なるほど、なるほど。お前の詩は、考えてないな、と。
バレたか!
さすが、素人玄人、古今東西、何十万編もの詩を読んでこられた先生だけあって、「考えた」ことが書かれていない、という部分で一刀両断である。
前回の当マガジン「文学」と「作家」への道(2)
https://note.com/machiya_toko/n/nac3ded4f0a4a
で、句作をしているかつての同僚・先輩に対して、
「私の場合は、見たこと聞いたことを書いてそれに語らせる。そして感じたままのことを書くようにしていますよ」とエラソーなことを話した、と書いた。
僕は詩作について、それでよい、とたぶん今も感じ続けている。
見たこと聞いたこと――感じたことが言葉として湧きあがり、書き記せば「詩」である、と。
だが、現代詩講座の先生は、それだけではない、という指摘・指導をされたのである。
「考える」と――時間がかかるし、考えて言葉にしたものって、何か違うな、と思うことが多い。
だから、感じることばかり書く詩がほとんどなのである、僕の場合。
考えるとはどういうことなのか。考えて、言葉のサラダになっているのがほとんどのようにも思うのだが、それはまだまだ詩を読み足りていない、というべきか。
聞いて、見て、感じ、そして考えたことを詩にする。次のテーマである。
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