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■現代詩の「言葉遣い」…蜂飼耳と川口晴美

「詩集」を読んで(2)

都内の図書館…自宅のある区だけでなく、隣合う区の図書館、通勤途中にある図書館、ちょっと足を延ばして行く都心の図書館などなど。
どこにもそれなりに「詩集」が並ぶ。朔太郎、中也、白秋といった古典から、谷川俊太郎、高橋睦郎といった存命の大御所はもちろん、近年の萩原朔太郎賞を受けた和合亮一、最果タヒ(候補だが)やマーサ・ナカムラといった「若手」らの新刊詩集もそれなりに並ぶ。
詩集は薄いのに、ハードカバーで凝った装丁にしたカッコつけたものが多く、案外に値が張るので、自分でカネを出して買うのは現代詩文庫くらいかな。詩集を所有することにほとんど関心がない。

図書館で借りてポツポツ読んでいる。一冊はまあ、あっという間に読める。

今回取り上げるのは、蜂飼耳の「顔をあらう水」(2015年10月刊)と川口晴美の「Tiger is here.」(2015年7月刊)。いずれも、月刊詩誌「現代詩手帖」を発行する思潮社が版元。

現代詩「村」の中で、少ない人たちの間で通じる符丁のような言葉がそこかしこに見られる。想定内だが、それほど関心を引く詩はなかった印象。

蜂飼の「話題」と題した詩の最後の行にある「わたしたちは林檎の授受を完了した」(顔をあらう水)――これを見た途端、僕は「あー、この言葉遣い。自分にはできんわー。でも、これなんだな、きっと」と感じた。
川口の「ワイルドフラワーの森」(Tiger―)という詩の最後も「妄想を食べて虎は増殖する/妄想のなかで虎は増殖する」――といった感じなのだ。
彼女らが使う、地に足がつかない言葉ども。それに共感できるかどうかが、現代の「現代詩」世界のお仲間になれるかどうか、の差か。
現代詩でなく、「現代の詩」の世界でちょっと腕試しをしたいと考えている僕はいつまでも彼ら彼女らの仲間になれなくて結構です…。

川口は、いや、一応センセイをつけよう。川口先生は3度ほどカルチャーセンターで話を聞いたこともあり、ちゃんとした方だとは思うし、機会があれば、また講座に参加してもいいと思わないでもない。現代詩からサブカル系の文章、軽い詩やエッセーも仕事としてカバーされているんだろうが、この詩集、彼女が50歳を過ぎてから書いたものだとしたら、ちょっとねえ…の思いが消えない。

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