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「推し、燃ゆ」を読了したヲタクの感想

宇佐見りん著「推し、燃ゆ」を読み終えました。感想文という程の物ではないけど一人のヲタクとしてちょっと衝撃的な作品だったので、ダラダラと感想を・・・。
※ネタバレとか普通にあります。

読み始めたきっかけ

この作品を読み始めたのはVtuberの大浦るかこさんと獅子王クリスさんの配信企画でみんなで同じ本を読んで一か月後に感想会を行うものがあり、今月の課題図書が「推し、燃ゆ」でした。ちなみに初回の課題図書「残像に口紅を」は最初に家族が消えたあたりから謎の気持ち悪さを作品に感じて中々読み進められてない・・・。

作品の印象に残っている箇所

主人公あかりの人生はアイドルである上野真幸への推し活が全てであり、それが芯になっている故に推し活を「背骨」と表現していた。
最初は斬新な表現だなくらいの印象だったが、読み進めていくと彼女は勉強がそれほど出来るわけでもなく、居酒屋のバイトでも融通が利かない・注文を多くなるとテンパってしまう、母親や姉との仲も良好とは言えない。唯一誇れるもの・自分を肯定してくれるものが、推し活としてのBlogやSNSだった、彼女にはそれが社会に自分を示せる唯一無二の物だったのだと思うと「背骨」という言葉に只の比喩以外の重い意味を感じた。
推しの真幸が人気投票でグループ最下位になってからは、彼女の様子がどんどんおかしくなっていく。それまでは推しが炎上したとしても自分はファンとして応援していくという事を貫いていたが、人気投票という目に見える形で推しの凋落が示されてしまった。社会が自分を認めてくれる物(=推し活としてBlogやSNS)が大したものではないと崩れていってしまった・・・。
彼女にとっては「背骨」とまで表現したものが崩れていく、背骨が無くなった人間は生きていく事は出来ない。その背骨を補強すべく更なる推し活にのめり込んでいくが結局高校中退、母親との確執による家族との別居というところまで行ってしまった。

もう一つは最後の綿棒のシーン。
最初はあれだけ推していた真幸が、アイドルを引退し結婚してしまい自分には何もなくなったことへの憤りや怒りで綿棒のケースを叩きつけたんだと、文書通りの感想だったけど、段々あのシーンを思い返していくうちにケースに綿棒を戻す仕草が、遺骨に骨を収めるものなのではと感じるようになってきた。
ファンの女性を殴ったことに端を発する真幸の炎上騒動。会見の様子や人気投票の結果、インスタライブにグループ解散発表と燃え続けてきた。しかし引退してしまい一般人になり、しかも特定されてしまった真幸のマンションまで行って確かに結婚しているという事実を突きつけられたことで、あかりの中で完全に推しが死んでしまった。人間が火葬されれれば最後に残るのは骨だけである。何となくあのシーンは、アイドルとして死んだ真幸の骨を綿棒に見立てて、ケースに入れなおす事が骨壺に骨を詰めるように重なって見えた。

推し活について

※ここからは軽い自分語りが入ります。
私自身はVtuberに嵌っており、ライブ配信にコメントをしたり、メンバーシップに加入したり、時々スパチャしたりなどの推し活はしている。
只主人公あかりの様な推しの発言をメモして整理したり、活動について纏めたBlogを開設したりなど、一人に対してあれほどの熱量を向けるという事は私には絶対に出来ないなと感じた。正直にそこまでのめり込める事に対しては若干の尊敬を感じたが、人生狂う程にのめり込みたくは無いなとも同時に思う。
Vtuberへの推し活について某Vの人が言っていた「推しは推せるうちに押せ。但しそれは自分の無理にならない範囲でだ」という言葉が指標になっている。また単推しではなく数名推してるVおり、彼女が言うところの背骨が幾つかある状態だったりします。

最後に

題材の通りアイドルでもVtuberでも現在進行形で誰かの推しになっている人には是非読んでもらいたい作品、刺さる人には刺さる作品だと感じた。文書自体は軽く読める感じでサクサク読み進められます。

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