見出し画像

音楽は恐ろしく、そして、素晴らしい。ー『蜜蜂と遠雷』を読んで


社会人になってから通勤時間に本を読むようになった。週末に図書館に行って今週読む分を選んで借りる。
ついつい、いつも音楽にまつわる本を借りてしまう。

恩田陸さんの書いた「蜜蜂と遠雷」を読んだ。
2017年に直木賞と本屋大賞をダブル受賞し話題になった作品である。のちに松坂桃李や松岡茉優で映画化したことも記憶に新しい。そんなこの作品は構想12年、取材11年、執筆7年と膨大な時間がつまった507ページの超大作だ。

舞台は芳ヶ江という架空の地で行われた国際ピアノコンクール。
神童としてその名を馳せながらも母の死以来ステージでピアノを弾いてこなかった栄伝亜夜(えいでんあや)、
圧倒的な音楽への才能と解釈を持ち王子様のような甘いルックスのマサル・カルロス・レヴィ・アナトール、
家庭を持ちながら「生活者の音楽」を求めコンクールを志す会社員高島明石(たかしまあかし)、
そして半年前に亡くなった大ピアニストの秘蔵の弟子である初出場の謎の少年風間塵(かざまじん)の4人のコンテスタント達の物語が交差し、お互いの音楽を触発し、触発されながらコンクールは進んでいく。

先述したように、これまでも音楽をモチーフにした小説はたくさん読んできた。(特に中山七里さんの音楽ミステリシリーズが好き)
それでも、特にこの本に惹かれた理由は、この本を読んでいる期間に自分の身の回りの音楽に色々な出来事があり、作品と重なりを感じたからだ。



とある日曜日、自分の市の新人演奏会があるというので聴きに行ってきた。
新人演奏会とは、音大を卒業しオーディションの通過や優秀な成績を残した学生が出演する、今後の演奏活動のデビューにあたる演奏会だ。
この新人演奏会に、高校の音楽科時代のクラスメイトが2人出演するというので足を運んだのだ。

管楽器、ピアノ、声楽、どの奏者もとてもレベルが高かった。
自分も高校大学と音楽を専攻した身ではあるけれど、音高音大の卒ではないのでこんなにも違うのだなぁと衝撃を超えて感心してしまうほどだった。
そして、2人のうちフルートの友人が市長賞を受賞した。賞にふさわしい、素敵で素晴らしい演奏だった。

でも、高校時代の彼女が飛びぬけた演奏技術の持ち主であった記憶はあまりない。クラスでも部活でも、正直彼女より上手く楽器を操る人はいたし、何より彼女と私は、高3の部活のコンクールオーディションに選ばれず、別のコンテスト出場メンバーとして共に夏を捧げた。

大学4年間で想像もつかないぐらいの時間を練習に費やしたのだろう、また彼女は高校時代から音楽への感性がとても優れていたし、いろんな要素が重なって才能が大きく花開いたのだろう。
高校の同級生が活躍している姿を見れるのは誇らしいし、尊敬している。それはフルートの彼女だけでなくあのステージに立った全ての奏者に当てはまる。華やかな音楽は血の滲むような見えない努力が輝かしいステージを作るのだ。


いつも自分の中で不思議だったことがある。
音楽においてどこまでがアマチュアで、どこからがプロなのだろうか。
ステージの彼彼女らも、客席の私も、あくまで1人の奏者であることには変わりはない。

でも、新人演奏会を聴いて、プロというのは『音楽を手放さない覚悟』、そして『自分の才能を見失わない覚悟』なのではないかと漠然と感じた。

芳ヶ江国際ピアノコンクールに出場した高島明石は28歳と、コンクールの年齢制限ギリギリで出場するコンテスタントの中でも最高齢の登場人物だ。
大学時代にコンクールで5位入賞するも楽器屋に就職の道を選び、妻子を持つ一家の大黒柱として働いている。
彼は日々のほとんどの時間を会社員として過ごしながらも、音楽を決して手放すことはなく、一般市民のこの年齢の自分であるからこそ醸し出せる音楽を見つけるべく必死にもがく姿がとても印象的であった。


突然だが、私は現在演奏の活動を休止している。
理由を簡単に説明すると、モチベーションが迷子になってしまったからだ。
2020年は、文字通り何もすることができなかった。ずっと夢見ていた舞台も儚くどこかへ消えてしまい、大切な仲間たちと1音も奏でられないまま大学と部室にさよならを告げた。

「辛いけど前向きに頑張ろう」そんなメッセージを1年間で何度も見たり聞いたりしたけれど、結局何もできなかった。Twitterを見れば演奏会を開催してる高校や大学がいくつもあって比べてつらくなる日もあった。
でも、いつしかそんなやるせなさやもどかしさに触れるのすら億劫になって、なるべく色んな事を思い出さぬよう、2021年になった今もなお心に蓋をすることが増えた。

こんな風に、私は自分の気分に合わせて音楽を手放すことだってできる。だが、プロでありつづける人は、こんなに自由気ままにいるわけにはいかない。ただ好き勝手音楽をやるのとご飯を食べるために音楽をするのでは背中に乗っているものが大きく違う。

常に自分をプロデュースし続け、音を手放さない覚悟を持つ。
私の想像もつかないくらい大変なことなのだろう。かつて同じ教室で休み時間にしょうもないことで爆笑していた彼彼女らは、その長い長い道のりを歩み始めているのである。


作中で高島明石は、特別賞を受賞するものの、残念ながら本選には進めずコンクールを終える。
勝つ者が決まると同時に、負ける者が決まる。残酷ではあるが、コンクールである以上避けられない。

私も過去に数えきれないくらい落ちまくってきた。
コンクールメンバーのオーディションから、ちょっとしたソロのオーディションまで落ちた。人間が一度かけた色眼鏡を外すのはなかなか難しく、自分の力だけではどうにもならないこともあった。
高校と大学の実技入試は合格したが、本当に運よくすり抜けたようなもんだった。

言ってしまえば実力不足に尽きるのだけど、それでも苦しくてしょうがなかった。何度か、本当に音楽を辞めてしまいたいと思ったが、それでもいつも心を救ってくれるのは音楽だった。
毒になり薬にもなる音楽をも愛してしまう自分を恨んだ日もあるし、そのような魔力を持つ音楽を恐ろしいとも思う。まるで殴ってくるくせに翌朝は優しいDV彼氏のようだ。それでもやっぱり音楽が好きなのだ。

稀に、演奏会本番中に時間がとてもゆったり流れるように感じ、私たち奏者と指揮者とお客様と、ホールの中のもの全てが同じ音楽の喜びを共鳴しているような感覚になることがある。
高校時代の顧問は、それは音楽の天使が降りてきたのだよと教えてくれた。



楽器ケースを開けなくなってかなりの時間が経った。
中学生や高校生の頃は、1日楽器を吹かなければ3日分戻るという話をよく聞いた。流石にそんなことは無いと思いつつ、どのバンドにも所属しない人生は10数年ぶりなのでどうなってしまうのか不安な部分もあった。

だが、心配は杞憂に過ぎなかった。
新人演奏会以外にいくつかの演奏会に足を運んだり、YouTubeで様々な音源を聴いたりした時に、なんだか前より耳が良くなった気がした。
毎日の生活が養分となり、まるで私自身が熟成されたかのように、音楽というものをより繊細に、高い解像度で感じ取れるようになった。
もちろんまた吹き始めた時に、きっとすぐには思うように唇は振動してくれないと思うけれど、小手先の事よりももっとスケールの大きな、揺らぎない音楽の軸が私の背中を押してくれる、そんな気がしている。

大学3年の頃、自分の音楽観にとても悩んでいた時期があったが、最近ようやくその答えを見つけ出せた。
数年前にとある指揮者が「今日の演奏会は、私の30年の音楽のすべてが繋がり1つの大きな丸になり、まるで人生の答え合わせのような時間でした」とツイートしていた。いつか私もこのような日を迎えたいものだ。

また新たな仲間と素敵な音楽を紡ぎたくて、また音楽の天使に会いたくて。
もう少し経ったら、次の住処を探す旅に出たい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?