見出し画像

飛騨高山における新規店舗と地元住民の確執

 インバウンドの影響もあり飛騨高山では観光客数が毎年増加しており、それに伴って飲食店や土産店などの店舗も大きく増えた。住民の肌感覚ではあるが、この30年間で古い町並みの店舗はおよそ倍近くになったのではないか。当初は古い町並みの住民が自宅を店舗に転用していたが、少子高齢化や県内外で働いている住民の子供達が商売を行わない場合には、他人に店舗を貸すようになった。折しも不動産価格が上昇して、それに伴い古い町並みの店舗の賃料も大きく上昇した頃であった。

飛騨の3つの暗黙のルール
 白川郷を含む飛騨地域では、街並みと伝統を守るために、暗黙の3つのルールというものがある。自宅を「売らない」、「貸さない」、「壊さない」というものである。決して法的に規制されているものではないが、住民の暗黙の了解で先祖代々の古きよきものを残し、継承していこうという気持ちの表れである。実際に白川郷では現在もこれらが守られているところが多い。そのため、店舗などもあまり多くなく、そのままの形が残されており、世界遺産の認定へとつながった。
 一方で飛騨高山の古い町並みはどうだろうか。以前はこれらが守られていたが、ここ10年くらいで一気にこの暗黙のルールが崩れてつつある。町内の人々には「絶対に売らない」と話していたにも関わらず、知らないうちに売ってしまったという事例もある。そして、一度そのルールが破られたら歯止めが利かなくなってしまった。そしてついに、現在のように住民が実際に運営をしている店というのは半分程度まで減少してしまったのだ。さらに、それらは親戚や知り合いに貸すくらいであればまだ理解はできるのであるが、それを県外企業に貸し出したり、売却されるケースもある。
 もちろん、新規店舗や県外企業が出店することにより通りは活性化されて観光客の購買意欲を増幅させることも考えられる。店があればさらに観光客も増え、良い点ももちろんある。一方で実際にはそれによる弊害も出てきた。


<暗黙のルールが崩れた>
 飛騨の田舎でもさらに封建的で保守的な古い町並み周辺にとっては、住民たちが互いを思いやってその雰囲気や流れに背かないように生活をするという暗黙のルールがある。これは日本でも古いところは現在でも残っているのかもしれないが、中でも「恥の文化に従う」という点は大きなウエイトを占める。例を挙げると下記のようなものがある。
●派手なものを家の前や店舗の前に飾らない。
●過度な広告はしない、大きなものは置かない。
●客引きはしない。
●類似商品を置かない、地元の食材や名産品を使う。
●家の前の道路の雪かきは自分たちでする。
 他にも多くのものがあるが、この恥の文化については非常にあいまいな部分もあり、育ちや生活環境によって異なる部分もある。今までは、古い町並みの町内のつながりが強かったため、町内の上の世代が行っていることを前例として考え方を学び、それにより町内では一定のコンセンサスを保つことができた。しかし、新規店舗や県外企業がでてきたことで、町内のコンセンサスが一気に崩れてしまった。新規店舗や県外企業は国の法律や一般事例を根拠に、古い町並みのコンセンサスを否定して、町内住民からの指摘を黙殺したり、裁判をちらつかせて歯向かうようになった。そう、これが現在古い町並みの中で起こっている、新規出店者と地元住民の大きな確執なのである。以降、事例をもって問題を紹介、解説していきたい。


①類似店の乱立
昨今、飛騨高山名物と言われる「飛騨牛握り」、「飛騨牛の串焼き」。地元の人間から言えば、これらは飛騨高山の名物ではない。飛騨牛は名産としているが、山間部の飛騨には握り寿司の文化は無い。
また、江戸時代から馬、牛などの肉食の文化もなく、串にさして焼くのは「みたらしだんご」くらいである。しかし、ある店が考えた店独自の名物を他の店でも模倣するようになった。最低限、1ブロック程度離れたところであれば許されるのであるが、目の前に出店をしたりするのは如何なのであろうか。特に飛騨牛握りについては、模倣店が多すぎて古い町並み周辺に10件程度はあるのではないか。模倣ばかりして、飛騨牛を使った別の名物を考えずに、人のふんどしで商売をするようなやり方では確執が増えるばかりである。これだけ多くなってしまって、メディアなどにも取り上げられたため、今では飛騨牛握りは飛騨高山の名物となったのかもしれないが、実は飛騨の人間は殆ど食べないのが実情である。

②大きな広告・客引き
 高山市は看板や広告を規制する条例があり、区域ごとにレベルが異なる。特に古い町並みの中でも特に上三之町と大新町二丁目については最も厳しい規制がある。これまで住民は恥の文化として大きな看板を設置することは避けていたのであるが、それが条例化されたものなのであろう。
 しかし、これを無視する企業がでてきたのである。特に置き看板などは1㎡未満と決められているがこれを守らないところが多い。また、原色を避けるように高山市は色彩マントル値まで定めているにもかかわらず、これも無視するところが多い。取り締まりが緩い高山市にも責任はあるが、新規企業がやりたい放題をして、改善しないところが多いことから、客を取られた地元住民の店までもが条例を無視して大きな看板を設置するようになった。まさに、悪貨が良貨を駆逐して、悪貨に染めてしまった事例である。
 また、客引きについては特に県外企業が実施する場合が多く、ここ数年の間に京都の企業や岐阜の企業が古い町並みで客引きをして高山市や住民から注意を受けている。 このことによって、条例を守っている地元住民の店や住民はこれらの企業に対して大きな不満を持っている。これは大きな確執を作っている一つの原因となっている。

③騒音問題・長時間駐車
 古い町並みは夕方になると観光客が宿に戻り、夜六時には静かな時を取り戻す。しかし、最近では居酒屋ができたり、飲食店の中で知り合いとパーティーをしたりすることも散見されるようになった。古い町並みの夜の静けさは、足音一つでも家の中まで聞こえてくるほどで、住民は騒音には極度に気を使っている。それを知らない新規店舗は、ドアを開けたままパーティーを行い、酔った勢いで大きくなった声が近所に響き渡る。また、夜中まで通りで大きな声で電話をしたり、禁煙区域で煙草を吸ってポイ捨てしたりという行為が住民の反感を買っている。また、道路に数時間違法駐車する行為も散見されるようになった。住民らが特に気を使っていることをないがしろにするため、これも新規出店者との確執を作る原因となっている。居酒屋をすることやパーティーをすることは悪いわけではないが、もう少し配慮をしてほしいところである。

④公共財の独り占め
 行列ができてしまう飲食店や販売店では他店に迷惑をかけないように、隣の店には配慮することが必要である。しかし、それらも対応がされていないことから苦情が多い。特に上三之町では基本的には食べ歩きは禁止されていたのであるが、いつの間にかあいまいになってしまい、非常に残念なことにガイドブックでは食べ歩きを推奨するような記載もある。通常であれば待合室を作ったり、店内で飲食をするように対応するのであるが、新規出店者は店舗面積がせまくなったり、土産物売り場が狭くなることを懸念してこれらのことを行わない。
 また、最近ではあるスイーツ販売店が、商店街が一般の方に開放している休憩用ベンチを勝手に店の前に移動して、新規出店者で販売した食品をベンチに座って食べてもらうといった公共財の横取りが行われていた。住民からのクレームでこれらは改善をしてもらったが、このような公共財を自分のものにしてまでも金儲けをするということが住民の大きな反感を買っている。

⑤歴史と文化のタダ乗り
 最後に歴史と文化についてであるが、新規企業が高山祭について、屋台組や神輿組といった町内で組織される組での集まりや文化の継承にほとんど参加しないという点が大きな問題である。高山祭の時には自分の店舗が忙しいために、まったく祭礼関係は参加せずに、金儲けに専念をするのである。一方で住民たちは祭礼に参加するため、人手が不足して、店を縮小営業をしたり、人を余分に雇ったり、閉店するところまである。文化と歴史を守る住民が高山祭の人出が多いときには稼ぐことができずに、それらに関わらない新規企業の出店者たちが儲けているのである。お祭りなどの地域活動に参加せず、飛騨高山の古い町並みという名前を利用しているにも関わらず、実際には商売をして稼ぐだけに注力をしているということが大きな問題といえる。数か月前にもコロナ禍で撤退する店があったが、この店に町内の会計担当が屋台組の運営資金を集金に行った際に、撤退が数か月後に決まっていることから、屋台組の費用を支払わないという事態が起こった。この店の経営者は高山市内の出身者であるようだが、市内出身者でさえもこのような対応のため、さらに町内の人々にとってはマイナスのイメージがついてしまった。これらのことが高山祭の縮小や実施が年々厳しくなっていることの一つの原因となっている。


〈良い事例をもっと応援〉
 筆者の思いは決して排外的なものではなく、見えざる暗黙のルールがあることを事前に知っておくことの必要性を訴えていきたい。実際に新規出店をした麵屋力(ラーメン店:高山市内)や凸凹堂(雑貨店:山梨県)、地元の方が経営するコンビニ(ファミリーマート)については景観に配慮し、経営者自らが高山祭に積極的に参加して町内で守ってきた文化に積極的に協力してくれるような素晴らしい方もいるのは事実であるが、いまだ少数に限られている。また、飛騨牛ミンチカツを販売している経営者は飛騨高山が好きで大阪から高山へ移住をして、高山市民となって地元に根差して商売を行うほどの思い切った対応をしていただいているところもある。このような店舗は地元の方々は大歓迎であり、新しいものを逆に教わることもあり、切磋琢磨していける良い関係が構築できそうである。
 飛騨高山のような弱小地方都市では、少子高齢化が進み、年間1000人の人口減少のペースで進んでいる。今後30年を見ると、ほぼ消えていく地方都市といえるのではないか。そのような事態にならないように、都市部からの移住促進や店舗があるまる活気のある街づくりが欠かせないと思っている。同時に文化の伝承に、新しい方々にも参加してほしいものである。
 古い町並みの若手からは「古い町並みはもう終わりが近い」という声が多々聞こえる。あまりにも観光地化され、外部の人間に荒らされて町内住民の子孫が戻りづらい環境になっているのも事実である。
 高山市の機能していない景観保護条例や、もっとも現場に近い‘’町並み保存会‘’にプロセスの不備や機能不全があるのは間違いはない。これだけの状況になるまで結果的に名にもできなかった事は地元の努力不足は明白だ。
古い町並みの地元住民も時代に応じた対応の変化も必要であるし、守るべきものは守っていく必要もある。また、新規出店者も飛騨高山の観光地に店を出すということは、商売をするということではなく、その環境を借りて商売をする以上は、高山祭の行事などの町内の付き合いには協力をしていただきたいと切に思っている。
伝統と文化の中で、現代的な金儲けのビジネスの考えを持ち込むことは決して得策ではない。本来の商人が行っていたような地元、地域に根付いたもとが必要である。それが、ビジネスではなく、商売というものなのであろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?