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元気と癒しをくれるラジオ

早速radikoのプレミアムサービスを利用して、実家のある地域の番組を聞いている。リアルタイムで聞ける、こんな時代が来るなんてね(笑)

「時刻は午後6時になりました。みなさんこんばんは、〇〇です。」

昔よく聞いていたなつかしい声。違う場所で聞く地元のラジオ。何だかじーんとくるものがある。今、私は、そこにいないんだなと。

そして、そっか日本だから時差ないのか、と当たり前ながら何だか違和感(笑)。ここじゃないどこかの局でも、時差なし。

ラジオが好きな理由は、やる側の、気合の入れ方が、好き。

先日も、あるお笑いコンビが10年ぶりに復活し、一夜限りで、ラジオを復活させていた。

めちゃくちゃ面白く、泣くほど笑わせてもらったが、それは、綿密な打ち合わせと、ハガキ、メールの下読みと、リハーサルから成り立つものだと合間のトークでわかった。

手を抜いてる、力を抜いているように見せながら、緻密な計算。

ラジオだから' 見せながら' じゃなくて、聞かせながら、か(笑)

テレビなら、映像があることで、かなり救われている。沈黙でも間がもつ。ニコニコ笑っていればいい。
しかし、ラジオでのしばらくの沈黙は、いくらニコニコしていても放送事故だ。

だから、間も空けられないし、基本的に美しい言葉を話さなければならないし、ラジオのDJ、パーソナリティーは、技術があってすごいなと思う。

ラジオって、話す側の、知性や品、性格、考え方、生き方が伝わってくるので、どんな人か、すぐバレるのだ。そのあたりも面白い。

この世には、ラジオを聞く人か、ラジオを聞かない人か。この2種類しかいない。と昨日書いた。

こう思うのは、私の中で指標になっているからかもしれない。
面白い人か面白くない人かの判断。あくまで個人的(笑)

だから好きなラジオ番組によって、この人そういう人か、と理解したり、初めて出会った人が、「ラジオが好きでよく聞く」と聞くと、あ、気が合うかも^^いい人に違いない!と思うのだ(笑)

最近ラジオ局がいくつか閉鎖になったと聞いて、心を痛めた。
テレビ局がクローズするより、何か悲しい。

そこにいたリスナーの存在は、これから、どこに癒しを求めるのだろう?
そうだ、癒しだ。

ラジオには癒しの魅力がある。

今ではアプリで世界中のラジオも無料に聞けるようになっていて、便利な時代だ。他国のラジオを聞くのも楽しい。

ラジオの魅力は、話し手の存在が近いことだが、それが、どんなに遠い場所にあろうと、距離なんて関係ないことを改めて実感した。

当分はradikoで、たっぷり癒されよう。


本当にありがとうございます😊嬉しくて小躍り!!💖