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N35°34’58.30” E139°33’23.37”   唯一、たまプラーザで水害にあった場所がここなんです。

好きな場所いっぱいあるんだけど、今日ここに来たのは偶然なのかなあー。
好き嫌いはともかくたまプラーザでいちばん記憶に残ってる場所がここ、三叉路のまさにここです。
それはなぜかというと、はるか40年以上前なんだけども、唯一、たまプラーザで水害にあった場所がここなんです。水害です。
これ、いままででも1回しかないことなんだけど、水がプールみたく溜まったわけ、ここに。水たまりじゃないですよ、そんなもんじゃない。この場所からいまの公園のあたりまで、一帯がこれ全部水につかりました。いちばん深いところでちょうど水の深さが150センチくらい。だから、わたしでちょうど首のへんでした、わたしが最後水からでるときには。
そのぐらいまで水が溜まるってどう考えても想像できないじゃないですか、いまのたまプラで。でも、まったくいまと道路は変わってない、建物変わってない、団地の場所もなんにも変わってないのにここだけ水が溜まった。昭和49年の9月でした。

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自分が勤めてたのがちょうどここにあったお店だったんだけど、お店から脱出するのに最後ドア開かなくて。よくテレビなんかでも車が水没するとドア開かないよーっていう話があるじゃない。あれといっしょで、溜まりきるまで開かなくて、外と中の水位が同じ高さになってやっとドアが開いて店からでることができました。そんな経験があるので好き嫌いはともかくとして、一生忘れられない場所がほんとうにこの場所のこの位置なんです。当時このあたりは全部駐車場だったのね、そのときに停まってた車はほとんどが浮いていて、指一本でぴゅーって、車がしゅーって、押せば動いた。そんな感じでした。そうそう、だからこの前まで肉屋さんがあったショッピングセンター、あそこで店やってた人たちはみんな商品水に浸かっちゃった。だけどくるぶしまでってのはしょっちゅうあった。だから水が溜まるってのはもうわかってたんで、天気予報が雨のときはもう、一晩中お店に泊まって、水や道路溝を確認しながら夜を過ごしましたよ。9月、ちょうど秋にはいって街路樹のユリノキの葉っぱが落ち葉になる時期、その葉っぱが、排水溝の蓋を全部塞いじゃうわけ。そのおかげでどんどんどんどん、この低いところに水が集まっちゃう。だからほかの時期だったら平気なんだけど、そういう時がいちばんこわい。
いまは地面の下に遊水池の役目を果たす大きな下水管がちょうどあの交差点からここだけにははいってます。水を貯めといて、あとで雨がなくなった時に、自然に下水管へ流していく。でもいまどの土木事務所にいってもその図面はね、ぜんぜん残ってなくて誰も知らない。わたしは下水管にはいったことがありますよ。上からずうっと梯子がついてるから。雨降るたんびに下水管にはいって巻尺持ってって、あー、いま何センチとか計って。いまわたしがいるのは駅のそばのコーヒー屋のとこじゃないですか、あそこが谷底ですっごく低い所だから、あの道路の下のうんっと下が下水管の位置。うんっと下を通さないと流せないんで15メートルくらいあるんですよ。普通下水管って道路から1メートルくらいのとこにあるんだけど。いまいるここの三叉路より低いとこはないんですが、当時はこっから公園過ぎて郵便局のあの通りへ、川のようになって水がどんどん流れて駅の向こう側へ、いまは、整備されてるけど、その当時はあそこは10メートルくらいの谷底でしたから、そこへじゃんじゃん流れてた。
まあ、そんなこんなでまさにこのいまいる場所が思い出の場所ということになりますね。

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