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N35°35’11.99” E139°33’12.40”   そこに転機がおとずれたのが、AOBA+ARTでした。

すごく気になるのが、第四公園、ABC公園。
思い出が、だいたいABC公園なんです。
わたし、2005年かな、この街に引っ越してきたのが。主人はもともとここの人なんですよ。だから実家もあるし、この街のことがわかってる。わたしはひとりで、ぜんぜんわからない。お店もどこにあるのかわからなくて、公園デビューしようと思っても、いっても誰とも話さないで帰ってくるような日々で。ほんと孤独で、結婚して数年たってからなんですけど、もうこの街からでていきたいって思っていました。いままでわたしは神社が近所にあるような歴史のある街に住んでいたので、祭やイベントがよくあって、仲間もできやすかった。でもここにはそういうのがぜんぜんなくて。でも、そこに転機がおとずれたのがAOBA+ARTでした。あれは2008年、たまたま自治会の班長の順番がまわってきたんですよ。それもあってちょっと顔見知りができはじめたときにAOBA+ARTがはじまった。ABC公園に建築家のかたが木材で、登れるすごくおおきな作品をつくった。うちの子がもう何度も何度もいって、もうやめたら?っていわれるくらい登っていたんですよ。それでアーティストの人と顔見知りになって、街の人と顔見知りになれて。でもABC公園のその作品に登って街を見下ろしながら、わたしはまだ、自分はこの街で生きていけるかな?って、そんなことを思っていました。
自治会の公園清掃が年に1回あって、うちの担当エリアがABC公園。そこでも近所の人たちと知り合うことができました。子どもたちがかよう幼稚園で飼っている亀を、夏休みに2、3日おあずかりする亀のホームステイのときには、ABC公園につれれていって甲羅干しさせたり。あと、これもAOBA+ARTですが、ABC公園に展示作品があったときに台風がきて、大荒れの天候のなか作品の状態を見にいったら、公園のなかにうわーーって針金のハンガーがいっぱい落ちていたんです。これも美術作品?と思うくらい大量に。ハンガーを使ってカラスが巣をつくっていたらしく、それが全部おっこちたんですね。あれは衝撃でした。
あ、わたし、滑り台の真下にちょっと思い出があるんです。ABC公園がわたしたちの住む場所の一時避難場所なんですけど、東日本大震災のあと余震がひどくて、家具が揺れてガタガタガタガタうるさかった。子どもたちが怖がって、誰かいるかもしれないし、ABC公園にいってみようってことになり、いったら誰もおらず、でも家にいるよりはそこで遊んでいたほうが気が紛れるかな、と思ってそこにいたんです。そうしたら、大粒の雨が降ってきてね、どうしようどうしよう、って避難したのがその滑り台のした。そこしかなかったんですよ、屋根がある場所が。すごく狭いところに3人でかたまってね。でも雨がだんだん激しくなってきちゃって、やみそうになかったから、帰れるうちに帰ろうかぁ、なんて言って走ってもどったんですよね。そう、すごい大粒の雨だったんですよ。
そんなふうになにかあるのがABC公園。

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ABC公園の名前の由来なんですが、わたし、ABCの形の遊具があったってきいていたんですが、友達があっさり「なかったよ」って。昔、美中のそばにハイバックさんっていう外人さんが住んでいて、その人がいつもABC公園を掃除していたそうです。それで、友達のお兄さんたちが、外人さんがいつもいるからABCって名づけたそうです。知ってびっくりしました。

朝貝智香さん

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このはなしは2016年No.003号に収録されています。冊子をほしい方はご連絡ください。650円(送料込み)でお送りします。

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