3.多重人格
彼女は悩んでいた。
デートに誘われた。今週、金曜日の夜。明後日だ。
「一緒に食事を」
誘われたのは、会計事務所の人。彼女は、その事務所で月曜日と火曜日にアルバイトをしていた。
仕事は三つ掛け持ちしている。会計事務所と車の販売、それにスポーツジム。
月曜日と火曜日は眼鏡をかけ、地味なスーツ姿で、静かにパソコンのキーボードを打っている。
水曜日は、明るい良く気のつくOL。素敵な笑顔で愛想が良い。
「車をお探しですか? お飲み物はいかがですか?」
金曜日は、元気なジムのインストラクター。暇な高齢者を相手にエアロビを教えている。
あとは、ネットでイラストを描いて、ブログで嘘を少し。
五つ星のホテルに泊まって、最上階のレストランでフルコースを食べるような余裕はないが、お気に入りのケーキ屋で新作のモンブランを買うぐらいはだいじょうぶ。
趣味も三つ。テニスと劇と歴史の会。最近は、日本刀を見るのが好きだ。
ボランティアは二つ。病院で絵本を読み、干潟でゴミを拾う。干潟は一年に二回だけ。
彼女は、会う人ごとに、少しずつ、自分を変えている。変に浮かないように、その場所にふさわしい自分を作っている。
月曜日と火曜日は、おとなしく、控えめで、誠実、無口な「峯岸さん」。
水曜日は明るく、誰にでも好かれる「ケイちゃん」
金曜日は、元気で少々乱暴な言葉遣いの「ケイコ」、
ネットの自分は……よく分からない。ハンドルネーム「フワフワ」と同じ、決まった形がない。
バイト先。趣味のサークル、ボランティア、ネット。みんな違う自分。
無理に演じている? 少し、違う。多分、その方が楽だから。
彼女は小学校で二度転校した。中学で一度。高校はそのまま。そして、大学。学校が変わるたびに、周りに会わせていた。
それが普通で当たり前。だから、今も、周りの雰囲気に自分を会わせている。
ただ、今は、いろいろ変わりすぎて、時々、混乱してしまう。
月曜日の自分。火曜日、ボランティアの私。水曜日のケイちゃん。木曜日、金曜日……。まるで、多重人格。
カラオケに誘われても、曜日によって歌う歌を変えている。アイドル、ポップス、演歌。
本当の自分は? 月曜日? 火曜日? それとも、土曜日?。
ともかく、問題は、明後日のデートだった。
彼は、好きなタイプ。清潔でキチンとしていて、偉ぶらない。アルバイトの自分も、丁寧に扱ってくれる。十分、お付き合いしたい男性だ。
二十代は今年で終わり。良い人がいれば、結婚したい。ただ、婚活パーティや合コン、結婚相談所に登録してまで、どうしても結婚したいとは思っていない。
一人は気楽でいい、それは、そうだけど、良い人がいれば、結婚したいのも嘘じゃない。
デートは、どの自分で行こう? 彼女は悩んでいた。
月曜日に会っているのだから、多分、彼は月曜の自分が気に入っているのだろう。でも、会うのは金曜日の夜だ。
金曜日の自分はジムのインストラクター。服装はパーカーにスニーカー。それと、リュック。コンタクト、眼鏡は掛けていない。
ジムが終わって眼鏡を掛けても、すぐに月曜日の自分に変わるわけじゃない。金曜日は、やはり金曜日なのだ。
彼女は迷って、結局、金曜日の自分で部屋を出た。
金曜日の朝になると、やはり金曜日の自分の気分になっていた。月曜日は無理。
ジムの仕事を終え、彼女は約束のレストランに出かけて行った。
服装はカジュアル。眼鏡はなし、コンタクト。基本、金曜日。でも少しだけ、おとなしくした。
レストランは、ちょっと、おしゃれなイタリアン。和のテーストを加えた、モダンイタリアン。何だか分からないけど、ホームページを見る限り、それほど堅苦しい雰囲気はない。
彼が先に来て、テーブルについていた。
「あっ……」
彼女がテーブルに近づき、目が合うと、二人とも、同時に、小さく声がでた。
「今日は、小学生の……」
金曜日は、サッカースクールのコーチをしていて、いつもは自転車でジャージなのだと、彼は言った。
眼鏡はなし。足下はスニーカー。一応、ジャケット。
「私も……」
彼女も金曜日は、ジムのインストラクターをしていると言った。
和やかな時間が過ぎた。料理も美味しかった。彼女は金曜日の自分だった。明るく元気。
彼も金曜日の彼だった。スポーツマンで優しいお兄さん。
「月曜日の僕も、僕なんです」
コーヒーを口に運びながら、彼は言った。
「私も……」
金曜日の自分と金曜日の彼は、相性が良さそうだ。月曜日も良かった……ような気がする。
他の曜日はどうだろう? 今度は水曜日に会ってみようか。水曜日の彼は、また違うのだろうか。
気がつくと、店は満席だった。みんな、金曜日の自分。そう、都会は、みんな多重人格。
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