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外国語を話すときに性格が変わる人、最強説

今までわたしは、「外国語を話すとき、性格が変わる人が結構いる」という噂を、ただの都市伝説だと思っていた。

でも、確かに、そういう人がいるのである(みなさん知っていただろうか?わたしが無知なだけ…?)

彼女とは最近知り合ったのだが、英語が話せる。一部のロマンス語も話せる。性格は、まわりの目とかグループの和とかを、ある程度気にする。ステレオタイプ的だが、わりと日本人的な人だと思う。

でも、なぜか、彼女の話す外国語から受けるイメージは、『強い』『勢いがある』と言った感じで、日本人的ではない(あくまでもわたし個人的に)。

例えば、英語を話している時。ネイティブスピーカーが話しをしている上から、ガンガン被せて発言をしていく。日本人と日本語を話している時の彼女ならば、おそらくしないだろう。
話すスピードも割と早めで、声も大きく、高くなる。話し相手との物理的な距離も近くなっているように思う。

初めてその場に居合わせたときは、驚いた。あれ、この子イメージちゃうやん…?と。

で、話終わって日本語に戻った途端、"するっと"、日本人的な彼女に戻る。

ショップ店員さんがお客様を笑顔で見送った後、すんっ…て真顔に戻るときの、あの、大変ですね…って労りたくなるあの感じ、ではなく!もっと自然な。息吸って吐くくらい自然な感じだ。
大切なのは、これ、彼女は言語の文化的な背景を知っていてやっている、ということだ。

この、言語と性格の変化についての研究は実際にされていて、日本のいろんなサイトにもまとめ記事があった…ほんまやったんや…。ちなみに、こことかここのサイトです。変わるんですね。ほんまに。

まあ、その外国語がまだ完璧でないから、性格が違うように見えてしまうだけだ、という主張もあるみたいなんだけれど。でもいずれにせよ、変わるってことは、すごいことだと思う。

なぜなら、その人、めちゃくちゃ柔軟な人だから。日本語話している自分と、外国語話している自分。人によっては、もしかすると言語的にレベルがまだ足りてなくて、その結果、性格が違って見えてしまう自分。それらを、まあ、いいじゃない、と同居させていられるのだから。

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実はわたし、この噂(いや、真実)を聞いたとき、ぶっちゃけ、「いやいやいや、自分の性格が、言語によって変わってしまうの、嫌じゃない?」と思ってしまった。頭、固い人なので。

特に、noteなんかに日本語で文章を書くのが好きな人には賛成してもらえるんではなかろうか、と思うのだけど(勝手にすみません)
言葉はすごく繊細だ。例えばどんな言葉を使うかや、言い回しとかって、すごく個人を表すものだと思っている。いわば、パーソナリティの一部
で、きっと外国語にもそういう細かい表現の仕方ってあるんだろうけど、ネイティブに近いレベルに達するまで、それってとても難しい。
あー、大体は言いたいこと伝わってるんだろうけど、細かいニュアンスが違うよ…!みたいな。つらくないですか?この状況。わたしは、まあまあ、つらい。

でも、でも、そうはいっても。
話さないと、話すことは上手くならないから、話さないといけない。その言語を操りたいのならば。どんなにもどかしくても。

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【結論】
外国語話すときに性格が変わる人、最強説を提唱。

まず、その言語の背景にある文化や、ネイティブスピーカーを意識して、それらに合わせて話す結果、(意図的か否かは置いておいて)自分の性格をも変えられる人、最強。

次に、まだその言語のレベルが足りていなくて、思い通りに表現できない結果、性格が違うようになっちゃった、でも、そんな自分も受け入れて、話し続けられる人、最強。

わたしはまず、後者を目指したい。
思うような表現ができなくても、もどかしい自分も受け入れられる、しなやかで柔軟な人に、なりたい。
言語を勉強することで、人間的にもブレイクスルーしたい。そう、思っている。

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あ、言語によって性格が変わらない人がたくさんいることも、確かだ。

うちの夫は、そのひとりだ。なぜか。たぶん単純に、性格によるのだと思う。
あくまでもうちの夫の場合、元からゴーイングマイウェイな、あまり日本人的な性格ではないからかもしれない。言葉のこだわりも少ない。大切なことが理解されていて、方向性がずれてなければ問題ないと思っている。

まあ、ね。こういう人もいるんですよね。それはそれで、いいよね。

唐突におしまい。

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