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藤村龍至×加賀崎勝弘「まちなかリノベ賞」審査員対談【後篇】 「変化の先端で起こる『イメージ』のリノベーション」

まちなかリノベ賞」は、埼玉県内の空き店舗や空き地を広義のリノベーションを通して活用し、街に賑わいを生んだ事業プランを表彰するコンペティション。その審査員を務める建築家の藤村龍至さん(右)と、パブリックダイナー代表取締役の加賀崎勝弘さん(左)が、今回のコンペと、その背景にある課題を語り合いました。公共施設などの設計だけでなく、県内の数多くのまちづくりプロジェクトに参画する藤村さんと、熊谷市内で複数の飲食店を経営し、地域に賑わいを生み出す活動を精力的に行う加賀崎さん。ふたりの視点を通して見える、埼玉の「今」の姿とは?

藤村龍至/建築家
1976年東京都生まれ。幼少期から大学までを所沢市で過ごす。2005年より藤村龍至建築設計事務所(現RFA)主宰。2016年より東京藝術大学准教授。2017年よりアーバンデザインセンター大宮(UDCO)副センター長。主な建築作品に「鶴ヶ島太陽光発電所・環境教育施設」(2014)。埼玉県内では鳩山ニュータウンの空き店舗を利用した交流拠点「鳩山町コミュニティ・マルシェ」、所沢市の椿峰ニュータウン「つばきの森のマーケット」、さいたま市の公共施設「OM TERRACE」などを手掛ける。
加賀崎勝弘/有限会社PUBLIC DINER 代表取締役
博報堂を退社後、熊谷市内で飲食店等を8店舗展開。その土地に根差した活動を行う。「熊谷圏オーガニックフェス」の統括プロデューサー、「埼玉県全63市町村キーマン」展の編集長として、全63市町村を4か月半かけて回る。

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ベッドタウンから理想の未来像を示す街へ

藤村 今、団塊ジュニア世代が東京で仕事をして、いろんなネットワークを築いてから埼玉に戻るパターンが増えていると思うんです。私が地元に戻ったのが10年ほど前ですが、加賀崎さんはいつごろ戻られたんですか?

加賀崎 2001年です。以前は博報堂に勤めていて、仕事自体は面白かったんですが、広告会社にいると、手掛けた広告を目にすることはあっても、商品が売れる瞬間を見ることはないじゃないですか。当時、コピー1本、CM1本で売れる、売れないとやっていたことが、結果的に大量生産・大量消費、大量廃棄を後押ししているんじゃないかという違和感を感じ始めたんです。

藤村 なるほど。

加賀崎 でも、あるとき、身体の不自由な方が使う器具の展示会を担当して、目の前で起こった「商品を知ることで生活が豊かになる」という消費の形にリアリティを感じて。ふと考えてみると、両親が営んでいた食堂は、そういう実感の塊だなと気づいたんですね。それで2001年に地元に戻ることにしました。

藤村 2001年に戻られたのはずいぶん早かったですね。2000年くらいの博報堂というと、雑誌『広告』で「スーパーフラット元年」という特集をやっていた時代。すごく面白かった記憶があります。

加賀崎 もう20年前の話ですね。

藤村 所沢あたりでは、地元に戻る人が最近になって増えてきているようです。一時期は飲食店もナショナルチェーンばかりだったんですが、最近は地元の個人店が盛り返していますよ。

加賀崎 そうですね。みんな未来を捨てていないというか、諦めていないという感じがありますね。全国的な傾向かもしれないですけど。

藤村 だんだんそういう感じになってきていますよね。行政が観光や商工系の企画で仕掛けようとする動きもありますが、地元にはもっと面白いコンテンツがあると思うんですよ。椿峰ニュータウンでの「つばきの森のマーケット」という取り組みもそのひとつです。

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つばきの森のマーケット(photo: Ryuji Fujimura)

加賀崎 そういった地元発の新しいコンテンツを、行政はただ支援すればいいと思うんですよね。何事も、既存の枠組みで括ってしまうと、どうにも格好悪いですから。

藤村 のぼりを立てたりされてしまうと……(笑)。ただ、埼玉県の行政の方は次々と生まれる課題への対応を迫られて本当に大変なんだと思います。

加賀崎 それはそうなのかもしれません。

藤村 埼玉って、もともと郊外のベッドタウンとして発展してきて、80年代に二桁成長を遂げてものすごく人口が増えたんですよね。私の両親もその流れで所沢市の椿峰ニュータウンで暮らすことを選びました。人口の多くを占めるこの新しい住民、つまり団塊の世代がこれから高齢化していって、あと10年ほどで自立度が低下します。医療や福祉など、近代化の終わりに生まれるいろんな課題が凝縮しているのが埼玉なのかなと思います。

加賀崎 なるほど。藤村さんはニュータウンの再生に関わっていますよね。どんな未来像を描いているんですか?

藤村 私が考えているのは、自分の親の世代が楽しく人生をまっとうする、明るいリタイアメントコミュニティがつくれないかということなんです。そのためには、若い世代がそこにうまく混ざっていくことが必要で。鳩山ニュータウンは高齢化率が50%、自治体の加入率も三分の一という状況ですが、我々が設計した「コミュニティガーデン街区」がある白岡ニュータウンは30年掛けて徐々に開発したので人口のバランスが比較的よく、いい感じにコミュニティが盛り上がっています。ただ、ニュータウンによっては若い世代が公園でフェスをやりたいといっても、上の世代が反対したりするんですね。そういう対立構造に私たちが入っていって協調するやり方はないかと考えています。高齢化社会のひとつの理想像を埼玉が示せれば、未来を先取りすることになりますから。

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白岡ニュータウン コミュニティガーデン街区(photo: Anna Nagai)

加賀崎 明るいリタイアメントコミュニティですか。僕は両親がまだまだ健在ですから、ちょっとリアリティを感じないかもしれません。

藤村 今後、高齢者が増えていくのは、高崎線でいうと上尾駅から行田駅にかけての、我々が「変動通勤圏」と呼ぶ、都内への通勤率が下がるエリアです。つまり、かつて私の親の世代が都内に通勤するために家を買った場所ですね。熊谷市から先は群馬とつながる自立した経済圏があるので状況は異なります。だから、加賀崎さんが発信されている埼玉のイメージって、いわゆるステレオタイプのベッドタウンとしての埼玉ではなく、自立した、新しい埼玉像だと思うんです。

加賀崎 そうですね。埼玉には何もないと思われることが多いですが、「実はそんなことないぞ」というところをどう発信するか。すでに存在している独自の魅力をいかに伝えていくかが大事だと思っています。

「具体的なローカリティ」と「場というリアルの力」

藤村 そもそも、埼玉のイメージはフィクションじゃないですか。埼玉の小学生はみんな、社会科見学で埼玉古墳群に行って「ここが埼玉の発祥の地ですよ」と教えられます。でも、本当は今とは範囲が異なる武蔵国を切り取って、明治時代に突然できた県なんですよね。だから埼玉のローカリティって、ちょっと曖昧というか、フワっとしている。そこを突いて、80年代にタモリが「ダサイタマ」と呼んで揶揄したんですよね。

加賀崎 それはもう、呪いのように言われてきました(笑)。

藤村 福岡から上京して、貧乏芸人としてキャリアをスタートさせ成功したタモリからすると、住宅開発で突然金持ちになった埼玉や千葉の地主の子どもたちが原宿や渋谷に出てきて、親の金で遊んでいるように見えることに複雑な感情があったようです。

加賀崎 ダサイタマの呪縛に囚われてるのは30代後半以上の世代ですかね。30代未満の人たちはそうでもないような気がします。その言葉を散々浴びせさせられた僕の世代とは違う感覚があって、地元が好きだという人が増えている。

藤村 宮台真司が指摘していたように、以前はどうしても渋谷や原宿に行かないとカルチャーに触れられなかったのが、90年代くらいから郊外化して、地元でまったりするようになったといわれていますよね。渋谷の路上から、郊外のペデストリアンデッキに移って、さらに地元にそのままいるようになって。それでもカルチャーのコンテンツは入ってくるし、自分でつくることもできるという感じにだんだんなってきたんじゃないでしょうか。そういう意味では、東京の優位性も以前ほどではなくなってきていますね。

加賀崎 そうですね。マイルドヤンキー的な人ももちろんいますが、仕方ないからそうなっているというより、もっと前向きな感覚で捉えていると思います。

藤村 大宮駅東口駅前の公共施設「OM TERRACE(オーエム テラス)」も、今日的なパブリックスペースの考え方に呼応する建築をつくりたいと考えて、設計として関わりました。

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OM TERRACE( photo: Takumi Ota)

加賀崎 埼玉の新しい駅前のあり方ですね。最近では、80年代のイメージに囚われている世代を見て、むしろそれがダサイと感じている世代が、違う感覚を作り出しているように思いますね。

藤村 80年代はイメージの力が強かったんだと思いますが、今は、それこそ加賀崎さんがおやりになっているように、この街にはこの人がいて、こういうプロジェクトをやっていてという、具体的なローカリティが説得力を持つ時代になってきていますね。そういう街のムーブメントを浮かび上がらせてネットワークしていく。それが「まちなかリノベ賞」でできるといいなと思っています。

加賀崎 弊社では「D&DEPARTMENT SAITAMA by PUBLIC DINER」も運営していますが、D&DEPARTMENT PROJECTを主宰するナガオカケンメイさんが、トラベル誌『d design travel埼玉号』の編集後記で「埼玉には未来のデザインがありました」と書いているんです。今回のコンペが、まさに埼玉の未来のデザインを発見するきっかけになったらいいですね。藤村さんがリノベーションの意味を広く捉えたいと言うように、デザインの意味も拡大して。そのこと自体が、埼玉らしいのではないでしょうか。

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D&DEPARTMENT SAITAMA by PUBLIC DINER

藤村 そういう意味で言うと、私が埼玉で関わったプロジェクトは全部“まちなかリノベ”ですよ(笑)。さいたま市も、所沢市も、鳩山町も。埼玉って、今、そういう場所になっているのかもしれません。きっと加賀崎さんも同じですよね。

加賀崎 そうですね。店名になにかと「パブリック」と付けているのは元々が大衆食堂だったからで、その土地に開かれている場所を目指すという思いを込めています。コロナ禍で、ご多分に漏れず飲食店の経営が大変ですから、私も応募できるなら最優秀賞の100万円を狙いたいぐらいです(笑)。

藤村 私たちも応募したいですよね(笑)。ただ、審査員としての都市的、建築的な視点から言うと、今回のコロナ禍は埼玉にとって追い風だと思います。大宮の中心市街地では昼間人口がすごく増えたと聞きますし、都内のチェーン店は厳しいと思いますが、ローカルでちゃんとコンテンツを持っている人の中にはチャンスと捉えている人もいますよね。

加賀崎 そうですね、もちろん厳しさはありますが。

藤村 ここ50年間ほど続いた大都市に通勤する形がコロナ禍で終わり、これからまた50年くらいかけて次の形に変わっていく。その変化の先端が埼玉にあると思うんですよ。加賀崎さんは、大都市型の生活を止めて、地元で新しいモードに入って20年経つわけですよね。そういうスタイルがいよいよ世の中に浸透してきていると感じていますか?

加賀崎 そうですね。ただ、「変わらなきゃ」という同調圧力は僕はどうも苦手で。身近な例で言うと、これまで自分の店ではウェブサイトやSNSをやらないようにしているんです。ところがコロナ禍で外出が自粛されたことで、リアルな店舗を媒体として集客することが難しくなった。それでも、本当にデジタル化が必要なのかを今すごく考えていて。

藤村 たしかに、コロナ禍だけを理由に変わるのは不自然ですね。

加賀崎 変わらなきゃいけないから何かをするのではなく、もっと自分の欲求に基づいて選択していかないと。今回のコンペで表彰するのは、リノベーションして人が集う「場」を生んだ取り組みじゃないですか。そのリアルの力を僕は信じていきたいなと思っています。

藤村 今日のこの対談もオンラインですからね。たとえば受賞パーティーのようなリアルのイベントを行って、応募者も受賞者も審査員もその場でつながって、シナジーが起こることを期待したいですね。

加賀崎 それは絶対にやるべきですね。僕、藤村さんにとっても会いたいですもん。画面越しに話しているだけだとどうも寂しくて(笑)。

藤村 埼玉論の続きは、リアルで語り合いましょうか(笑)。

【前編はこちら

「まちなかリノベ賞」は、地域の賑わい創出や魅力向上につながる、空き店舗の改装、空き地の有効活用などの優れたリノベーション事例を表彰するコンペティション。埼玉県内(さいたま市内は除く)で、もし自身が関わったプロジェクトがあったら、ぜひご応募を。Facebook特設ページで情報を随時発信しています。
□まちなかリノベ賞 概要
【賞】最優秀賞100万円(1件) 優秀賞25万円(2件) 奨励賞5万円(10件)
【募集期間】 8月28日(金)〜10月16日(金)
【募集要項】 埼玉県のウェブサイトをご確認ください
【申し込み】 専用のフォームからお申し込みください

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