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「戦争トラウマ」に抗うということ

こんにちは。

カウンセラーの信田さよ子さんが朝日新聞に出された記事が、Twitter等で「プレゼント」されていて話題になっています。私は、小川公代さんのツイートでそれを拝見する機会を得たのですが、とても考えさせられる内容でした。

小川さんのツイートで表示された画像より

1995年に開業された当時に信田さんの元を訪れた40代の女性クライアントたちが受けていた暴力が、他の世代とは質を異にしている点から、それが「戦争トラウマ」に起因していると気づいた、しかしそれに気づくには、とても時間がかかったという内容でした。

そうした女性クライアントたちは、ラフな計算をすると、1940~50年ころに、つまりは敗戦の前後に生まれ育っていることになります。要するに、その父たちは、戦争の暴力を当事者として生きた人々であるということです。

生半可な知識でしかないのですが、トラウマとかPTSDとかといった考え方は、第一次大戦やベトナム戦争の帰還兵たちに現れた症状についての研究から生まれたもののようです(もっとよく知っている方は、ぜひご教示ください)。つまり、戦争を「被害」として捉えた国々での研究から生まれている。ということは、第二次大戦で「勝った」当時のアメリカでは、あまり深刻なものとして捉えられていない可能性があったということではないでしょうか。

とはいえ、第二次大戦での敗戦国であった日本で、真剣に戦争の「影響」を考え抜いているかと言えば、残念ながらそうとも言えないのが現状です。

今回、信田さよ子さんの記事を拝見して即座に思い出した、文学上の人物がいます。彼の名は、宮本輝さんの畢生の大作『流転の海』全9部の主人公たる松坂熊吾。宮本輝さんのご尊父がモデルと言われています。

熊吾は戦前、中国との交易で財を成し、関西財界では名の通った人物でした。しかし、40代にして再度の徴兵をされます。生還したものの、敗戦で事業は壊滅しており、焼け野原となった大阪で、事業の再建に取り組み始めます。

出征前から熊吾は妻の房江と生活していますが、昭和22年、50歳にして初めての実子・伸仁を授かります。しかし嫉妬を火種とした、熊吾の房江への暴力は凄まじいものがありました。

その一方で、この小説では、熊吾の戦争への憎悪が雄弁に語られていきます。この二つが同居する熊吾とは、戦争の「鬼子」(と言うには年を取っていますが)だったのかもしれません。

実はこの小説郡については、何人かと全巻読破を企てた「読書会」をしています。いまここで述べ来たったモチーフは、その会で指摘されているものでした。「近代」の日本とは、明治期の「内戦」も含めて、戦争が日常的になされていた時代でありました。その「影響」は、例えば政治・経済上の影響とか、外交上の影響といった側面では語られます。しかし、その戦争を生きた人々が、「日常」に戻った時、その生活に落とし落とされた影響はいかなるものであったかを語られることは、少なかったのではないでしょうか。

いま、家庭内でのものを始めとした虐待が、「連鎖」として把握されつつあるように思います。それはまだ「端緒」でしかないのかもしれませんが、戦争こそがそうした暴力の温床であったのなら、私たちは、より一層、強く戦争へ抗いを続け、「平和の文化」を切実に掲げることが大切なのではないでしょうか。


今回はここまでといたします。「平和学の父」ヨハン・ガルトゥング氏の死去についても触れるつもりですが、その余地がありませんでした。機会を捉えて、言及できればと思っています。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!

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