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【濱本正道さんインタビュー】若者とは一味違う、スーパー親父の転身!


写真右:濱本正道さん(流山のスーパー親父=若者を応援する親父になりたいという)、写真左:北島(インタビューア)

プロフィール:1963年、大分県生まれ。大学から関東で生活。新卒でCADを扱う企業に新卒入社。26歳で国内お菓子メーカーへ転職。3人の子どもが成人した後、55歳で早期退職し、奥様の実家がある流山市に移住。現在は流山市スポーツ推進委員としての活動や、蔵出し焼き芋を販売するかいつかの店舗スタッフ。

目次1:第二の人生は自ら選択

濱本さんは、40歳から52歳の12年間にわたって家族と離れた単身赴任で過ごし、土日も仕事に奔走する生活を過ごしました。職場ではマネジメント職に就き、順風満帆な働き方をされてきました。

そんな濱本さんでしたが、45歳になった頃から、「この生き方は変えた方がいいのではないか」と考える様になり、3人の子ども全員が成人する52歳のタイミングから第二の人生を歩むことを心に決めたタイミングがありました。仕事中心で生活を続けたまま定年退職を迎えてしまうと、生き甲斐を持てず第二の人生がずるずるとスタートしてしまう不安な気持ちがあったようです。

そういった気持ちの変化から、52歳のタイミングでは勤め先と関わりがある公益財団法人に身を置き、東日本大震災で親をなくした子どもたちの進学サポートに携わりました。
そして、ついに55歳でお菓子メーカーを退職しました。ほぼ同時期に流山市に移り住んだ濱本さんは、第二の人生はスポーツに関わりたい、今までも長く携わった「食」に関わりたい、という気持ちを抱きながら働き方を探しました。

目次2:公私の状況変化に合わせた暮らし方

スポーツ団体での仕事は叶わなかった濱本さんでしたが、現在は流山市スポーツ推進委員として、市民の生涯スポーツの発展に貢献しています。
また、生き方から見直すことを考えた濱本さんは、職住接近で求人情報を探して、おおたかの森に店舗を構える蔵出し焼き芋を販売する『かいつか』で仕事を再開しました。

店舗では年齢の離れた年下の女性が多い環境で、さらに今までと異なる職種の仕事に戸惑いがありながらもレジで丁寧に梱包しお客様に提供するといった新しい職場でやりがいを見つけています。

お孫さんが来店し、大好きな紅天使を提供する濱本さん

2023年春からは店頭を離れ、新しいミッションに一肌脱ぐ事も決まり、「長年務めたお菓子メーカーで培った経験を若い営業のヒントになるような形でサポートしたい」と、モチベーション高く語ります。

かいつかでの新しい環境に身を置くにあたっては、奥様の病気も一つのきっかけとしてありました。生活のためには家計を支える必要があり、よりパフォーマンスを発揮できる環境への希望を出しました。

日々、大変な事に遭遇することはあっても、その時々の状況に合わせて新しい選択をすることに濱本さんの気持ちは前に向いています。

目次3:選択によって得られた幸福感

「仕事の変化や家族との時間を楽しむことで、心と身体のバランスがとても良い状態」と濱本さんは語ります。

長年、家族と離れて暮らしてはいましたが、今では家族との時間を大切に過ごし、時には成人した子ども達とお酒を一緒に飲める事に幸せを感じているようです。早期退職を決意した時に想像していた理想のイメージと全く同じではなくても、自分や家族のライフステージの変化に柔軟に合わせながら、今の日常への満足を感じられています。

三世代が集合!(一部、合成あり)

目次4:定年を迎えた後の自分を想像して

仕事を卒業した後、自分が生き甲斐といえるものを見つけていたいと考えたとき、2つ考え始めているとのことでした。
地域で頑張っている若者やこどもの応援をする「流山のスーパー親父になりたい」ということと、「没頭できる趣味と出会いたい」ということです。今の仕事に加え、次の準備もゆっくり始めており、まずは地域活動を覗いて話をきいているそうです。

編集後記

インタビューの中では「単身赴任の期間で小学校4年生だった子どもが22歳になった」というエピソードを伺いました。その具体例から長さをひしひしと感じると同時に、そうした暮らし方と働き方のバランスに違和感を持っていたのだろうと私の中で想像が膨らみました。とは言え、長年勤めた企業で役職者になった後、第二の人生へ転身する事は容易な決断ではない気がします。

また、濱本さんのようにその時々の生き様を選びながら幸せに暮らせることは素敵に感じます。人生の大先輩として背中を追いかけていきます!ありがとうございました!


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