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「家族がちゃんとみてください」それって「家族の責任」なんですか?

【家族のために人生を諦める?】
ある日のこと
認知症の人が、道に迷ってしまいました。
困ってるところを見て、どなたかが通報してくれたようで、
警察に保護されて、自宅に帰ることができました

この人は、一人暮らしでした。

離れて暮らしている家族のところに警察から連絡がありました。
家族は、警察から何があったか説明され、
最後にこう言われたそうです。

「こういうことにならないように、家族がちゃんとみてください」

この家族から、自分たち以外の人にも生活をみて欲しい、と訪問看護の依頼がありました。
そして
家族は私にこう言いました。

「私は、認知症になった家族のために自分の人生を諦めなくてはいけないんでしょうか」

この家族はすでに疲れていました。

認知症は何年も前から始まっていました。
困ったことが起こらないように、
家族は仕事の休みのたびに訪問したり、買い物に付き添ったり、できるだけの支援をしていました。

一人暮らしで困ることが増えてきたな、
それは家族も感じていました。

でも、同居をして介護する、ということは、
この家族にとって「今の生活」を全てやめ、この人のために人生を合わせる、という事を意味しています。

この話を聞いて
ある事故と裁判を思い出しました。

【認知症鉄道事故裁判】
2007年12月に認知症の高齢男性が電車にはねられて亡くなりました。遺族は鉄道会社から高額な損害賠償を請求されました。


事故は遺族の責任なのか。

遺族は一人で出かけてしまわないように対策をとっていました。

ドアが開けばチャイムが鳴るようにして、本人が外に出てしまったら、すぐ気づけるようにしていました。
出かけるところを見つけたら、気が済むまで散歩に付き合ったりしていました。
妻が、ほんの少しの時間、眠っていた隙に、一人で出かけてしまった結果の事故でした。


原告は
本人を一人で出かけさせた事を責めました。
本人が道に迷って困った時、周りの人がどこの誰だかわかって知らせてもらえるように、名前や連絡先を書いた物を衣服に縫い付けていました。
裁判では、これを「周囲の善意に甘えている」と非難されました。

遺族は、認知症があるとはいえ、意志のある本人を閉じ込めて監視することなんかできない、と考えていました。
一審では責任がある、とされ敗訴。
二審でもやはり家族の責任と判断されました。


どんなに気を配っていても、防ぎきれない事がある、だからといって、認知症の人を「監禁」するようなことはできない。

遺族は控訴し、最高裁では遺族が逆転勝訴。
「認知症の人による事故で、防ぎきれないものまでは家族が責任を負わない」とする判断が初めて下りました。

ここにたどり着くまで事件発生から
9年かかっています。

この判例は2015年の事です。


しかし、このような司法判断があったあとでも

現実には認知症の症状で危険なことがあれば「家族が責任持ってなんとかしなさい」と言われます。

【「暮らしにくさ」は家族の責任?】
認知症に限らず
「暮らしにくさのある人」の問題は
全て「家族の責任」なのでしようか。

こんな
日本の社会こそ
「家族の善意に甘えている」のではないでしょうか。


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