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「大丈夫?」って聞かれたら…

相手を「大丈夫?」という言葉で気遣う状況は、どこで生活していようとも、頻繁に遭遇する場面です。頭が痛い、おなかが痛い、仕事がうまくいかない、恋愛で悩んでいる、家族やペットのことが心配、そんな人に対して、ごく自然に出てくるのが「大丈夫?」という言葉ですよね。そしてそんな「大丈夫?」への返答はというと「うん、大丈夫」とか「大丈夫。ありがとう」などが多いでしょうか。それには、心配して、声をかけてくれた相手の心遣いに対しての感謝の気持ちと、これ以上心配をかけたくない、という更なる気遣いが込められているように思います。本当は大丈夫でないのに、とりあえず「大丈夫」と言ったこと、ありませんか?でも、その場合でも「大丈夫」の後に「でも」とか「だけど」なんていう言葉を続けて、大丈夫でない状況を追加説明することもありますね。「うん、大丈夫。でも、彼がやっぱりやり直したいって言ってきて、もうどうしたらいいか分からないよ」なんていう風に。もちろん私にも経験がありますが、大丈夫でないのにも関わらず、とりあえず「大丈夫」と答えるのは、実はすごく日本人的な受け答えなのではないかな、と思うようになりました。日本人にとってはそういうものでも、アメリカ人にとってはそういうものではないのではないようでして。あくまでも、個人的な経験をもとに、私が感じることではありますが、「あぁ、そういうこともあるんだ」という参考程度に読んでいただけたら嬉しいです。

さて、日本語の「大丈夫?」は、英語にすると“Are you okay?”となります。場所問わず、また人種問わず、体の不調も心の不調も、仕事の悩みも、恋の悩みも、身近な人やペットを心配する思いも、あたりまえのことながら同じように存在します。でも「大丈夫?」に対して、とにかく「大丈夫」と答えるのが日本式なら、アメリカ式は“Are you okay?”に対して“No”が多発します。日本人の「大丈夫?」の感覚で“Are you okay?”と声をかけて、それに対して“No”と返ってきたら、ちょっとビックリしませんか?私の場合は、アメリカに移り住む前に、悩みを抱えていたアメリカ人の友人に“Are you okay?”と声をかけたら、当然のごとく“No!”と返ってきて、「おぉ、そう返ってくるんだ」と驚いたことを、今でも鮮明に覚えています。まぁ、こちらとしても大丈夫だと思って聞いたわけではありませんでしたが、ちょっとしたカルチャーショックでしたね。

その時は、果たしてそれが、アメリカ人によくあることなのか、私の友人ならではのことなのかを判断することができなかったのですが、その後、アメリカで生活をするようになり「私の友人が変わっていたわけではないんだな」というのが、今のところの私の結論です。身近な人とのやり取り、またドラマや映画、リアリティー番組などのアメリカ人の皆さんの普段の言動を観察するに、大丈夫ではないのなら“No”というのが、いわゆるアメリカ人にとっての¥ういうもののようにお見受けします。

例えば、うちの旦那さん。風邪をひいて喉が痛く、かわいそうに声もすっかり風邪声に。大丈夫でないのは分かりますが、私としては「Are you okay?大丈夫?」と聞きますよね。返ってくる答えが分かっていても、日本人の私としてはそういうものですからね。そして、体調悪く、カリカリしている彼の返事は「No!これで大丈夫だと思うの?」。はいはい(笑)。

私の友人や旦那さんに限らず、大丈夫でないときは大丈夫ではない、というのがアメリカ式。聞いた方にしても、心配させたくないからといって「大丈夫」と返してもらうより、だめならダメって言ってよ、といったところなのでしょう。

確かに一理あります。分かりやすいといえば分かりやすい。日本人のそういうものは、アメリカ人のそういうものではないのだし。ということで、ある頃からか、私も大丈夫でないときは“No”と言ってみることにしました。例えば歯が痛いとします。そんな私に“Are you okay?”と心配する旦那さん。これに対し、日本人式に「I'm okay(大丈夫)」と答えてしまうと、大丈夫なんだ、と思われてしまうかもしれません。それでは困るので、思い切って“No”と答えるのです。すると「歯医者を探す?」とか「痛み止めでも飲んでみる?」と言う流れになり、物理的にも気持ち的にもスムーズにサポートしてもらうことができます。合理的。

でも、これはうちの旦那さんならではのことだと思いますが、私の様子によって、あえて「大丈夫?」と聞いてこないことがあります。ケース①:見るからに大丈夫でないとき。心配していないのではなく、本人いわく「どう見ても大丈夫ではないから、わざわざ聞く必要はない」のだそうです。ケース②:なんだかんだ言っていても大丈夫そうなとき。こちらも、聞く必要はないといったところなのでしょう。でも、どちらのケースにしても、とりあえず「大丈夫?」って聞いて欲しいときだってあるのです!そんなときは、仕方ないので「日本では、とにかくこういう時には『大丈夫?』って言うの。はい、言って!」なんていう風に、なぜか「大丈夫?」を強要するという妙なカタチに(笑)。どこまでが冗談で、どこまでが本気なのか、どこまで大丈夫で、どこから大丈夫でないのかは、お互いに経験を通して理解できるようになってきたようには思いますが、それでも微妙なニュアンスの差、対応の差には「ふ~ん」と思うものですよ。

先日、アメリカの某リアリティー番組を見ていて、あるシーンに「ほぅ」と感心したことがありました。出演者のひとりの女の子が、思いを寄せていた相手にフラれて、とてもショックを受けて帰宅し、そのまま部屋へと姿を消しました。その様子に気づいた別の女の子が、その子の後を追って部屋へと入っていきました。日本人なら「大丈夫?」の出番ですよね。そこを、アメリカ人の彼女は、こんな風に声をかけていたのです。「今はひとりのスペースが欲しい?」黙って頷くお友達。「分かった。でも、誰かと話したくなったら、私、ここにいるからね」そう言って、部屋を出たのです。なんてかっこいい。

何事にも影響を受けやすい私、風邪っぴきが続いているうちの旦那さん相手に、新たな作戦にトライすることにしました。朝方に咳込んでいましたので、寝室に様子を見に行きました。答えは分かっていますが、まずは「Are you okay?大丈夫?」。とりあえずいつも通り、私にとって自然な日本式でスタート。彼の返事は「No...」はいはい、そうだよね、分かってますよ。さて、ここからが新たなステップです。

私:「何か欲しいものある?」

旦那さん:「ん?」

私:「水持ってこようか?薬とか飲んでみる?」

大丈夫ではない状況を承知した上で、今私にできることはありますか?の気持ちを、具体的に言葉にしてみたのです。返事は「今は大丈夫(いらない)」というものでしたが、心配しているよ、というメッセージは、より伝わったように感じました。「大丈夫?」「うん、大丈夫」に含まれる暗黙の了解は、やはり日本人ならではのものなのかもしれません。うちの旦那さんは、血こそ日本人で、超日本人の親に育てられてはいるものの、アメリカ生まれ、アメリカ育ちの日系二世なので、知識として日本のことを知っていても、素の感覚はアメリカよりなのでしょう。それをふまえて、いくらかアレンジを加えたほうが、コミュニケーションもよりうまくいうくようです。9年も一緒にいて、まだそんなことを学んでいるの?と思われそうですが、そんなものです(笑)。お互い妥協せずに、より分かりあい、それがよりよいコミュニケーションにつながっていくのなら、いつまででも、そんなことを学んでいきますよ~。

一概に、アメリカ人だから、日本人だからと決めつけることはできませんが、言葉に含まれたニュアンス込みのやりとり、つまり「これで分かってよ」または「分かるよね」を、異なるバックグラウンドをもつ人に望むのは期待が大きすぎるというものです。よく、『Noと言えない日本人』などと言われますが、確かにそうですね。はっきりと“No”と言わなくても、分かるよね、自分なら分かるけど、という思いから“No”を言わずして“No”を伝えようとしてしまうのでしょう。でも、本当に“No”の場合は、相手の理解力に期待するのではなく、自分の口ではっきりと“No”と言うことが、自分のためでもあり、また相手のためにもなるのです。特に、日本を飛び出して生活している場合、“No”のときに“No”と言えること、助けてほしいときに「助けが必要です」と言えること、そして、困っている状況をしっかりと言葉にして説明できることは、慣れない土地で自分自身を保つために大切なことなのではないでしょうか。私は今でも“Are you okay?”に対して“No”と答えるのに、思い切りが必要です。滅多にあることではありませんが、でもその分、その“No”には切迫感が上乗せされるのか、相手にはちゃんと伝わっているようにも感じます。我慢強さは日本人の美徳であり、また得意とするところでもありますが、誰であれ、我慢のし過ぎはいけません。だからこそ、Too lateになる前に、文句も言うし、Noも言う。これ、アメリカで暮らす日本人として、身をもって学んだことのひとつかもしれません。まぁ、どこまで実践できるようになったかは別として… やっぱ、日本人ですからねぇ…


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