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レナードを思い出した

(平成五年八月)

 人間の脳について人間自身が知り得ているのはごく一部だと言われているが、それはひとえに生きている人間の脳を実験や研究のために使うことができないという倫理的理由によるものである。実験に使われるのはサルやウサギ、ラットなどで、脳の大きさや機能からして人間とは著しく異なっているので、だいたいこういうものであろうという推測以外には何も生まれてはこない。
 六時間目は「大脳基底核」の講義であるが、これまでの授業ではまるで興味をそそられなかった脳に関する話で、初めてやや関心のもてるところへきたという感じがした。
 
 以前観た「レナードの朝」という映画を思い出した。
 脳に関するこういう講義を受けることになるとは思わないから注意してみなかったのだが。
 アメリカで二十世紀の初めごろに嗜眠病という脳性の病気が流行した。この病気にかかった人はただ眠るだけで意識もなく、その介護にあたる家族の苦労はたいへんなものであった。眠ったままで何十年も経ってしまい、からだはちゃんと成長して行く。こういう患者を集めた施設に来たオリバー医師が、非常に興味深い事実に気づくことから話が始まる。
 ほとんど痴呆症のような愚鈍な行動しかできない患者が、ボールを投げるとパッと反応してそのボールをちゃんと受け取ることができる。つまり反射神経は正常に働いているのである。このことは医師がある女性患者に問診しているときに、落ちそうになった自分の目鏡を彼女がすばやく、まことに驚くべき完壁さで空中でそれを取ったことを見たことがきっかけになっている。それから患者同士が輪になって椅子にかけ、互いにボールをパスし合うひとつの実験的な訓練が始まるのである。医師はある学会で「L‐ドーパ」という新薬をこの患者に使ってみようと思い立ち、投与の量を相当多くして、何十年も眠ったまま同然であったこれらの患者達に「目覚め」 の状態をもたらすことができるようになる。
 L-ドーパは目覚ましい効果を上げて、かつての嗜眠病の患者達は小さい頃か、若いころに経験したことのある人間らしい生活を取りもどすことができるようになる。ところが、この薬の効果は一時的なものであり、その次には投与の量をかなり増やさないと効果が出なくなってしまう。 顔面の歪みや、手足の痙攀などの症状が薬の副作用として現れ、やがてはどの患者もまたもとのような眠り病の症状にもどっていく。
 この映画の中で女性の患者が、模様のある部分は歩けるのに模様のなくなったところから先へ進めなくなるのを見て、オリバー医師がフロアにペイントする場面がある。このこともまた今日見た「大脳基底核」の講義の中のパーキンソン病と症状と共通するところがあり、非常に興味深く思った。「すくみ足症状」と言われる症状であるが、本人はなんとか歩こうとするのだが足がどうしても前に出ない。ところが不思議なことに床に何か物を一定間隔に置くと、それに従ってスムースに歩けるのである。
 パーキンソン病の患者は脳の黒質細胞という部分が働かなくなる。黒質細胞ではドーパミンを分泌している。ドーパミンは、マムシの毒に匹敵しかねないほどの毒性を持つと言われるアドレナリンやノルアドレナリンと同類のものではあるが、ドーパミンの毒性はずっと低く、脳に多く分布しているものである。ローソクの炎を見つめるとある種の催眠効果が生れ、脳がアルファ波を多く出すようになる。 脳波のリズムが整うと満ち足りた気分が全身にひろがるが、このメカニズムは過剰になると精神分裂症とも結びつくことになる。これにはドーパミンと、エンドルフィンという一種のモルヒネのような作用を持つ神経ホルモンが関わっている。そしてこのエンドルフィンが脳の働きそのものの鍵を握るものとも言われている。人間が死ぬ間際にはこのエンドルフィンが分泌されて、死ぬことの恐怖や、あるいは痛みを伴う臨死の状態の、その痛みを緩和する働きがあるそうである。
 先日A氏はこのことについて、たとえば指の先をちょっと傷めるとその痛さは傷の大小に応じそれなりの痛みではあるが、これが腕一本パッと切れてしまった、という場合には、本来ならば失神するほどの痛みを伴うはずがこのホルモンの分泌によって痛みを感じないように人間のからだはできていると話した。
 パーキンソン病の症状とこの眠り病の症状は、わたしにはもちろん専門的なことはわからないが、非常によく似ているらしい。人工的に流産させた胎児の脳の黒質細胞をパーキンソン病の患者の脳に植えつけると、一時的に機能を取りもどすことができるが、またしばらくすると元の状態にもどってしまうという研究結果が得られているそうである。
 映画の中では、オリバー医師が研究のために自分を冷静に観察しているのを知っているレナードが、激しい痙攀の中で「先生、これをよく見てちゃんと記録してくれ!」と叫ぶ。手には自分のカルテが握りしめられている。自分に一時的にしろ人間らしい生活と感情を取りもどしてくれた医師にたいして、やはり元の状態に逆もどりするしかないことを知った絶望の中でなお、彼は研究のために自分の身を挺しようとしているのである。この場面は非常に感動的であった。

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