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#38 超個人的ショートショート(4)

ドウデュースが有馬記念を勝ったとき、俺は自宅で二杯目のコロンビアを飲んでいた。
甘い香りとまるい酸味、そしてまろやかなコクが口中を彩ってくれる。
それにしてもドウデュースは強かった。
前半から中盤にかけて約七馬身の差をつけて逃げるタイトルホルダーなど目にもかけず、終始己のペースを守り、最終コーナー手前でさも予定通りとでも言わんばかりにきっちりと差し切る。
決して派手な勝ち方ではなかったが、レース展開を読む嗅覚やラストスパートのタイミングなど、正に横綱相撲だった。
テレビ越しにも現地の興奮が伝わる。
約50,000人の観客が拳を振り上げ、歓声を上げていた。
皆がなりふり構わずに目の前で誕生した王者を称えている。
人間社会だってこんな賞賛を浴びる者は一握りしかいない。
今なら、誰だろう。
大谷翔平か藤井総太といった辺りだろうか。

有馬記念に勝ったから、今度は海外挑戦か。
年が明けて3月のドバイターフ辺りに出走するんだろうな。
そのレースで勝とうものならとんでもないことになる。
順風満帆、我が世の春。
きっと彼が引退するとき、ファンは惜しみない拍手を送るだろう。
そして打ち立てた数々の業績をいつまでも語り継ぐ。
全く、羨ましい話だ。

俺が親父の後を引き継いで社長になって5年。
親父の代の頃から勤めていた重役連中は、俺を経営から遠ざけて社の方針を意のままに操ろうとするし、そんな俺の姿に若い連中は失望していく。
最近の仕事といえば、持ち寄られた書類を内容も確認せずに承認するだけ。
要するに今の俺はカリスマ経営者だった親父の名前の前に無造作に飾られた単なる神輿だ。
親父、どうして急に死んだりするんだ。
こっちにだって心の準備ってものがあるんだって。
いきなり大海原に放り出されたこっちの身にもなれってもんだ。
でも親父もいいときに死んだよな。
過去最高の業績を叩きだして、メディアにも引っ張りだこで、いずれは政界に進出かなんて噂されて。
最高の人生だよ、あんなふうに呆気なく逝っちまわなければな。
嗚呼、俺もさっさと辞めちまいたい。
こんなこともうやってられないって。
勘違いしないで欲しいんだが、俺だって最初からこうだったわけじゃない。
自分なりに頑張ろうとした時期もあった。
でももうダメだ、やってられない。
こうなったらさっさと引退しよう、それがいい。
ちょっと待って、今もし俺が引退を宣言したら一体どうなるだろう。
社内で少しは話題になるだろうか。
次期社長の座を狙って、派閥争いなんてものが始まったりするのだろうか。
………………………。
そこまで考えて、自分自身に呆れてしまった。
何のことはない、それならとっくに始まっている。
「本命○○副社長」、「対抗□□常務」、そして「大穴△△常務」。
噂ではオッズまで飛び交っているらしい。
全く、人をバカにした話だ。
俺がいなくなって会社はびくともしない。
もはやここに俺のいる場所などない。
本物の神輿は祭りが終わると神社などで丁寧に保管されるが、俺に来年があるかどうか分からない。
そういえば、最近どこかの地方ニュースで、1,000年以上も続いていた祭りが終わりを迎えたとか言ってたな。
始まりがあれば必ず終わりがあるということか。
俺はまだ始まってもいないと思っていたんだけどな。
そんなことを考えていたら泣けてきた。
涙と一緒に鼻水も出て、俺の顔はグシャグシャだ。

嗚呼、俺もドウデュースになりたいなあ。
無理やり微笑んだ後、俺は冷めたコロンビアを飲み干した。


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