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帰国/再入国日誌① 2020/12/25

帰るか、帰らないか

帰るか、帰らないか。そもそも帰れるのか。帰ったとして、戻ってこられるのか。

海外にいる日本人で、2020年にそういう悩みを経験した人は少なくなかろう。わたしもその一人だ。夏休みにも一度、帰国を考えはしたものの、住んでいる慶尚南道・昌原から郷里の北九州に入るには、あまりにハードルが高かった。

2020年6月のフェイスブックに、こんなことを書き込んでいた。

夏休みの帰国をたくらんでいたのですが、現時点での状況を整理すると、スケジュールはこうなります。
昌原 → 金海 → 仁川(再入国許可)
→ 成田(PCR検査+空港近辺で2週間隔離・交通機関利用不可)
隔離後 成田 → 福岡 → 成田(診断書)
→ 仁川(2週間隔離)→ 金海 →昌原
隔離だけでひと月。福岡に3日滞在するために、成田と仁川に一か月いないといけなくなる。
心が折れる。交通費も10万くらいかかるし、ホテルに1カ月って。
無理だってことを確認してしまった。
気の毒そうな領事館の職員の声に少しだけ癒された。

夏はこんな具合だったが、11月に日本入国後の行動規制が緩和され、さらに12月から福岡空港での国際線受け入れが再開されると、かなり条件が変わってきた。仁川まで行くのはやむをえないが、そこから関空や成田を経ないで福岡に行けるとなれば、ホテルでなく自宅での待機も可能だ。

帰るぞ

期末考査が終わったら帰るぞ、と心を決めたのはその頃。でも、コロナの状況自体は悪化に傾き始めた頃だった。また、韓国の大学教員が年末に出国するには、さらにいくつかのハードルがあった。まず、1年契約の外国人教員であるわたしは、冬に再契約をしなければならず、2月にその契約書をもって出入国管理事務所に赴き、滞留資格の延長を申請しなければならない。そして、年末調整。ふつう、12月末から1月はじめにかけて行うこれを早めにどうにかすること。それから、大学に出国の許可をとること。教員の海外出国は1年間で21日まで認められているが、それ以上の滞在には「自律海外研修計画」なるものを提出しなければならない。わたしは20年の1月に福岡や東京をぶらぶらしているうちにほとんど21日を消化してしまっていたので、現地での日本語教材研究とか、現地研究者との情報交換とか、もっともらしいことを書いて出さなければならなかった(じっさいは単なる帰省)。そして、再入国許可。

わたしの科目の期末考査が終わったのが12月17日。そこから採点と成績入力をしながらこれらの手続きを進めていき、12月25日のクリスマスの日、バタバタと昌原からソウルへと出発することになった。あまりにバタバタしていて、結局、昼の便を夕方の便に変更しての出発だった。

12月25日18:28 昌原中央駅発 KTX-산천 450 (ソウル到着21:25)

失策

ようやく乗り込んだ車内で、漠然と「明日の朝、空港で再入国許可をとらないといけないな」と思っていた。再入国許可といえば、それをとらないとビザが失効するというもので、かつては出国するたびに地域の出入国管理事務所や空港のオフィスでとっていた。それがいつからか、ビザ更新時にマルチプルでとるようになり、さらにいつからか免除となった。コロナ禍でその免除措置が停止されたので、かなり久しぶりの手続きだった。

再入国許可をとるのに3つの方法があることは、この方の手記で知っていた。

①ネットで申請(ハイコリア)
②近くの出入国管理所で申請
③空港で申請

バタバタと帰国準備に追われたわたしには、③の一択だった。通常より一時間ほど早く行けば、なんとかなるだろう。ところが、ソウルに向かう列車のなかで、再入国許可の申請場所を確認しようとネットで検索していると、こんな文字が目に飛びこんできた。

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「再入国許可全面オンライン制施行」
「対象者:すべての再入国許可対象者はハイコリアを通して電子申し込みでのみ申請可能」
「例外:家族の死亡等、緊急の事由で事前に再入国許可を受けられず、当日出国しようとする者は、空港でのみ申請可能」
「再入国許可申請は原則として当日申請不可であり、緊急の事由でない場合、不許可となりえます」

そして、オンライン申請は出国の4日前まで、とある。

現状は、ソウル経由で仁川に向かう列車。すでに列車は大田を過ぎている。飛行機は明日(12月26日)10時10分のフライト予定。今日の宿は仁川国際空港の施設内の簡易ホテルを予約済みだ。そして、再入国許可をとっていない。最近、死んだ家族はいない。

あれ、これダメじゃん。

聞いてないんですけど。メールもSMSも来てないんですけど。周りに日本人いないからうわさも届かないし。そんなしょっちゅう、入管のホームページなんか見ますか。思えば春以降、制度の変更にそのつど振りまわされてきた一年だった。そしてやっと帰国というこのときに、まただ。コロナ禍だからやむをえない。わかってますよそんなことは。自業自得。わかってますよ。

いろいろ電話やらカカオトークやらで人に聞いて、状況を整理した。

まず、空港での再入国許可申請がほんとうにできないのか、明日の朝、行ってみないとわからない。もしできない場合、明日の出国は無理である。仁川から福岡への便は、早くて一週間後の1月2日で、年をまたくごとになる。とすれば、不許可がわかった段階でチケットを変更し、再入国許可のオンライン申請をして、いったん昌原まで戻る。そして一週間後にまた同じルートで空港へ。

考えがやっとまとまった頃、列車はソウル駅に到着。空港鉄道で仁川に向かう。タラクヒュ(다락휴)という簡易ホテルにチェックインした。明日出発できないなら、おれはなんで仁川に行き、なんでこんなとこで寝てるんだろうという疑問を押し殺し、できるだけ淡々と、なるようにしかならんという悟りのような心持ですごしてみた(無理だった)。

とにかく明日。朝イチで行こう。考えるのはそれからだ。


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