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③地元のラジオ

取材依頼を受ける

MBC慶南から取材の依頼があったと学校に連絡が来た。展示「関釜裁判と終わらないHERSTORY(관부재판과 끝나지 않은 HERSTORY)」と、先日のセミナーに関することだという。わたしたちの共同研究者は数人いるのに、なんでわたしなのかと不思議に思ったが、いちおう主催者のひとりなので応じるべきだと思った。あとでわかったのだけれど、「慶南道民日報」という地方紙の記事を見て、わたしの話を聞きたいと思ったのだそうだ。わたしもそう言われて初めて記事を見た。

경남도민일보(2023.2.16) 韓国語

記事は韓国女性家族部傘下の女性人権振興院、そのまた傘下の日本軍慰安婦問題研究所の所長である鄭柚鎮(チョン・ユジン)さんとわたしの発表にフォーカスしていた。ユジンさんは慰安婦問題とアジア女性基金をテーマに、大阪大学で博士号をとった人で、学術的な意味で慰安婦問題の専門家といえる数少ない人のひとりだ。今回の発表でも、2020年の李容洙(イ・ヨンス)さんの記者会見への反応について取り上げた。彼女のような存在は、韓国でのこの問題に対する風向きの変化を如実に示すものだと思うが、この話は機会を改めて書くことにする。

依頼は、録画かと思ったら、ラジオの生放送だった。そんなわけで2月24日、午後6時の「ニュースと音楽のあいだ(뉴스와 음악 사이)」に出演した。声だけとたかをくくっていたら、YouTubeでもライブ映像が流れるという。

 せっかくなので日本語で要点をまとめておく。

インタビュー要旨


【最近、韓国で慰安婦や勤労挺身隊問題について声をあげていらっしゃるので招待しました。日語日文学科の教授として声をあげるのは容易ではないと思うのですが、なにがきっかけですか?】

「声をあげた」とほめてくれて嬉しいのだけど、じつは、昨年春、昌原大の史学科の先生が訪ねてきて、こういうプロジェクトをやるが日本語を読める人がいない、手伝ってくれないか、と言われたのがきっかけ。わたしは専門家でもないし、それに、日本人が韓国でこの問題で発言するのには一定の負担がある。しかし考えてみると、これを避けたとして、今度は避けたことが心の負担になるだろうと予想した。

【その教授から言われて勉強するなかで、これが正しいと判断したのですね。】

学生時代にあるきっかけで、被害者の方にお会いすることがあった。そのことが心のすみに残っていて、当時は何もできなかったが、今回はやってみようと思ったのも、理由のひとつだ。

【勇気を出してくださったことに感謝します。】

勇気……?

【まず、関釜裁判とは何か、知らない人も多いと思うので説明してください。】

関釜裁判というのは一種の通称で、正式には釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟だ。1992年12月25日、クリスマスに提訴され、第2次、第3次訴訟を通じて、結局10名の原告が日本政府に謝罪と補償を要求した裁判だ。

【最初は4名の方が始めて、そのあと6名の方が合流したわけですね。そうなった理由は?】

理由はいろいろあると思うが、まず、釜山の「民族と女性歴史館」という記念館を開いた金文淑(キム・ムンスク)という方が、「挺身隊申告電話」を開設し、被害者の家を訪ね、「解決しよう」と説得して、この裁判が始まった。

【それまで隠していた方が勇気を出していっしょに声をあげたのですね。一審では、当時の被害者が勝訴したんですよね?】

勝訴というには議論の余地がある。ただ少なくとも日本の司法機関が被害事実と非人道性、日本政府の責任を認めた唯一の事例ではある。ただし、慰安婦被害者の一定の補償を受けるという結論に対し、女子勤労挺身隊は、被害事実は認めたものの、補償の実現にはいたらなかった。そういう意味で、評価の分かれる判決だったといえる。

【二審と最終的な結果は?】

広島高裁での控訴審は原告の請求をすべて棄却、最高裁は上告を棄却して、裁判は終わった。

【この裁判では、金文淑さんや李錦珠(イ・クムジュ)(イ・クムジュ)さんなど女性運動家の努力もあり、日本でも、被害者を支援する市民団体の努力があった?】

金文淑さんは釜山の支援者で、李錦珠(イ・クムジュ)さん(太平洋戦争光州遺族会)は光州や全羅道の被害者を支援した。この人たちが弁護士を説得し、支援者の心を動かした。日本では、福岡を中心に、「関釜裁判を支援する会」という市民団体におよそ500人の会員が集まり、原告の日本滞在費用や、訴訟にかかわる費用を会費やカンパでまかなった。

【当時、被害者を支援した日本の市民社会の雰囲気は、今とは違うように思うが?】

1993年には河野談話が発表され、慰安婦の被害と軍の関与を認めている。政府がそうした談話を発表したことは、日本社会の世論や一般の気持ちをある程度反映したものといえる。関釜裁判に関するメディアの報道も、基本的には原告に好意的だった。こうした機会に、過去の戦争における過ちを明白にしようという空気は、1990年代の日本社会の雰囲気だったと思う。

【被害者は過去にたいへんな思いをしているだけに、日本で気まずい思いをすることはなかったか?】

当初、被害者が日本に行ったのは、行きたくて行ったというより、金文淑さんの説得によるものだった。日本に行くことにも、日本人に会うことにも拒否感があったという。日本の市民の側も「加害国の国民」という意識があり、最初は互いにどう接していいか、緊張していたという。
しかし、日本の支援者は、裁判所の傍聴席を埋めて、原告を応援した、韓国では隠れて生きていたような被害者が、そういう応援の気持ちに包まれて証言をしたのであり、そうした経験を通して、少しずつ自尊感情を取り戻していった過程だった。

【リスナーのコメント:「悪夢のような経験をしに行く人がどこにいますか」「マチダ教授の素晴らしい心に頭が下がります。歴史を忘れた民族に未来はないというように、正しい歴史を伝えてくださって感謝します」】
【タカシ教授の発表にある、「関釜裁判は韓国と日本、国家対国家のあらそいではなく、日韓の市民対国家があらそった裁判だった」という言葉がどういう意味か、話を聞くとわかる気がします。民族的な対決構図から脱して、被害者の多様な痛みに注目した点が、重要な価値を持つのではないか?】

こういう話を、日文科の学生にもときどきするが、韓国の学生たちは、日本人の話す慰安婦問題をどんなふうに聞けばいいか、やや戸惑うこともある。

【ニュースでは日本の右翼団体が、こうした歴史を否定し、反対する場面がたくさん見られますから。】

韓国がこの問題を提起しても日本はずっと認めない、という構図が一種、常識となっているように思うが、関釜裁判や河野談話を見ても、日本の政府あるいは司法機関までも、一定のところまで認めていることがわかる。日本の市民も、被害者が残りの人生を平和に生きてほしいと願った。つまり、韓国でも日本でもほとんどの人が、被害者のために何ができるかを考えたのに、なぜこういう状況、つまり、反日や嫌韓という民族的対立構造が生みだされた原因は何なのか、それが、わたしたちが考えるべき宿題だと思う。

【個人的な意見ですが、日本の右翼的なカラーの政治家が政権をとるなかで、反韓感情を誘導することがかれらの政治勢力に得になるのではないかと思うのですが。】

うーん。そういう人はそれほど多数なわけではないと思う。どうしてもそういう部分が、韓国のメディアに露出するため、そういうイメージが固定される状況なのではないか。

【産経など、極右的な報道が多いだけで、市民社会ではちがう見方の方が相当数いらっしゃると?】

そう思う。

【リスナーのコメント:「先生、ほんとにたいへんな選択、応援します」】
【関釜裁判の歴史から、いくぶんか希望を見出すとしたら、慰安婦問題や勤労挺身隊問題、強制徴用問題の解決に、どういう方向があるでしょうか?】

日本語教師には難しすぎる質問だ。まず、この問題の第一義的な責任が日本にあるのはもちろんであり、日本人がまず考えるべきなのも確かだ。ただ、たがいに相手のせいにしても解決は遠ざかるばかりだ。1990年にあった一種の連帯のようなもの、あるいは共感というものが、どのようにして可能だったか。その事実のなかから、わたしたちはヒントを見出すことができるかもしれない。それが今回の展示を見るうえでだいじなことではないか。

【そうした意味でも、昌原大学の博物館で特別展示会が開かれています。「関釜裁判と終わらないHERSTORY」。5月19日まで開催しているので、こうした歴史を知り、自分に何ができるか、考えてみるよい機会になると思います。】

インタビューを終えて

アナウンサーはとてもさわやかで、しゃべりやすい空気をつくってくれた。質問には、良くも悪くも、まさに韓国社会の最大公約数といえそうな感覚がにじみでている。リスナーのコメントもそうだけど、それがメディアに向きあうということなんだろう(地方局だからちょっとだけ気が楽だった。全国メディアとなると、取材を受けたかどうかちょっと自信がない)。

まず、日本社会が慰安婦制度の事実を認めず、そうした歴史を否定しているという、ほとんど根拠のない認識が前提になっていること。このことは韓国メディアの責任が大きい。日本人の多くが不快に思っているとすれば、おそらく、その解決に向けたいくつかの取り組みがあったにもかかわらず、それが韓国側の政治的事情によってくつがえされたり、反故にされたりしたことだ。この具体的な経緯を解きほぐさないかぎり、話はけして前に進まないのだろうけど、韓国でマスを相手にそれを果敢にやっていく力も意欲もはわたしにはない。

もうひとつは、そんな歴史を認めない日本社会で生まれ育ったにもかかわらず、慰安婦問題を正しく理解するめずらしい勇気ある日本人の役に、わたしをはめたがること。これは、はなはだ迷惑だ。勇気を出して声を上げたと言われたときに困った反応をしているのはそのためだが、照れて謙遜しているというふうに片づけられる。これも、韓国メディアの文法上、そういうことになる。そういうルールの支配するゲームに出ていくのだから、これもしかたないといえばしかたない。

韓国には、この「良心的日本人」を、みごとなまでに演じきる日本人、というか、日本出身者(国籍を変えている)もいる。かれも大学の先生だから、かれのような存在がわが地方にもいるといって喜んでいる空気さえ、すこし感じる。これは、いっしょに仕事をしている研究者たちにさえ感じるので、そうとうに根の深いステレオタイプだと思う。それを注意深く拒絶しながら、それでもある程度まではつきあいながら、かつ正直であろうとするなんて、なかなか難易度の高い処世ではないか。

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