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食と韓国語・翻訳ノート9:味の Contact Zone

4、5年前、インバウンドに沸いていたころ。夏休みで地元に戻っていたときに、韓国から学生が遊びに来るという連絡があったので、地元で飯くらい食わせてやろうと、福岡市内で待ち合わせることになった。何が食べたいか聞くと「牛かつが食べたい」という。

「牛かつって何?」

「先生は地元なのに知らないんですか、超有名ですよ」。じっさい牛かつ屋に行ってみると、たしかに長蛇の列ができていて、一見してそのほとんどが韓国人旅行者だった。福岡にできた一軒の牛かつの店が、韓国のテレビ番組に取材されたことをきっかけにブレイクし、牛かつを食べるのが日本旅行の定番になり、それから大阪や福岡など、韓国人旅行者が多く訪れる都市に続々と牛かつのお店が開業したという。日本人になじみのない日本料理を食べに、かれらは飛行機に乗って来ていた。

当時は天神も博多駅前も、寿司屋も焼き鳥屋も、どこに行っても韓国の客がいて、ハングルのメニューがあった。福岡のローカルな街の味は、たしかに外から来た旅行者によって変わりつつあった。

昭和11(1936)年の『新版大京城案内』を見ていると、韓国のネット上にある「福岡ガイド」や「大阪ガイド」を見ているようだ。そこにあるのは地元の人間の味覚とは違う、外部の味覚によって評価されるソウルだ。まず、どこに行けば自分たちの舌に慣れた日本料理が食べられるか。次に西洋料理と中華料理。それから現地の朝鮮料理。京城に来たら妓生の顔を見ながら神仙炉を食うべきだ。勇気があればソルロン湯も食ってみよう。日本語のメニューもあるから安心です。ダイナミック・ソウルならぬ、ダイナミック・コロニアル・ケイジョー。

『食卓の上の韓国史』の著者は、20世紀100年で、韓国料理は変化し、いまのかたちになったという。その契機は、「外食」というシステムだったという。だとしたら、20世紀のはじめのころ、この外食の客のなかに、たしかに日本人がいた。それもかなり大きな顔をして。あれはないのか、あれをくれ、くさい、からい、まずい、きたないと文句は言うけど、金払いはいい。商売だから、客の口にも合わせるし、客が食いたいものならメニューも変える。それは、1930年代のソウルの社長も、2010年代の福岡の大将もあんまし違わない。ちなみに2000年代の明洞の食堂には、日本人のためのウーロン茶が置いてあった(今もあるかな)。

戦争に負けた日本人はソウルからいなくなった。日本料理もなくなった。けれどかれらの食べ物のうち、現地の人間にも愛されるものは残った(マイナーチェンジして)。うどんもおでんもいなりずしも、いまだ韓国人の生活にびったりとくっついている。この20年くらいの間に、ラーメンもカレーもコロッケも、ひつまぶしやナポリタンや獺祭まで来たけれど、それだって愛されれば残るし、そうでなければ姿を消すだろう。ウイルスのせいで、日本の観光地から韓国人はいなくなった。東京のトッポッキやダッカルビやサムギョプサルやチャミスルはどうなるんだろう。キムチはもう消えようがあるまい。韓国人向け日本料理の牛かつは、どうなるんだろう。

(写真は韓国流通大手、Eマートのフードコートにあった「トンカツそば(돈카츠메밀소바)」の食品サンプル。7,500ウォン也。メミル(메밀)はソバなので、ソバソバになる。器のもよう、おろし大根など、絶妙に、日本にはない日本ぽさがにおう。そばにレモン!)

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