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帰国/再入国日誌② 2021/02/10

この日はちょっと長くなります。今後の参考になるのかどうかわからないけど、記録しないと確実に忘れるので、思い出せる範囲で記しておきます。

10:00 a.m. 関西国際空港

朝の関西国際空港は、やっぱり閑散としていた。ほんとにこんなところでカウンターは開いてるんだろうかと思うほどだった。

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大韓航空のカウンターに行くと、意外と人が並んでいて、こんなときでもけっこう行く人や帰る人がいることに驚く。ビジネストラックの入国が規制されたので、あとはわたしのような韓国在住者の再入国と、日本在住韓国人の帰国者(一時帰国か完全帰国)くらいしかいないはず。ただ日本と違って韓国は新規のビザ発行を許容しているらしく、新規の留学生なんかもいたようだ。

ここからは煩雑をきわめた一日の流れについて、思い出せる範囲で記録しておく。

機内で書類作成

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乗ったのは、12時20分関西国際空港発ソウル仁川行きのKE724便。さすがにグループ以外は隣に客が座ることはなく、わたしは3人掛けシートを占領できた。

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席に座ると、何枚かの書類が配られる。いつもの入国カード・税関申告書とはべつに、検疫関連の書類が2枚。提出してしまって手元にはないが、1枚は行動制限に関する同意書で、もう1枚は健康状態に関する質問票だったと記憶している。作成にたいして時間はかからなかった。驚いたのは機内安全案内のビデオが、これだったこと。

なんとイケメンがラップで、「酸素マスクは上から降りてくる」とか教えてくれる。BoAさんを見たのも久しぶりで新鮮だった。さすがにLCCとは金のかけ方が違うと感心したのだった。というか、いまや韓国に来る人が求めるものって、こういうのなんだな、と改めて感じた。わたしが初めて来た90年代とは隔世の感がある、なんて言うことじたいが、おっさんなんだな。

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離陸後に機内食。日韓便なんてもともとこんなもんだ。しかし、ただでさえ密室の機内。2時間ちょっとのフライトで、マスクをはずして食事するのはリスクを増やしている気もする。数日前、韓国に帰国した後輩のミンジェは食わなかったという。でも食っておく。到着後、家に着く夜10時ごろまで何も口にできそうにないから。

検疫

仁川国際空港で飛行機を降りてからは、もう流れ作業にただただ乗っかっていく感じで、気づいたら家に着いている。あそこに行け、ここに書け、サインしろ、アプリ入れろ、ここで金払えと言われるままにやっていればいい。だいじなことは、自由を奪われることへの抵抗感や批判精神のスイッチを、今日だけは切っておくことだ。ただもらう書類と出す書類の数がハンパないので、落ち着いて、あわてないこと。わたしも外国人登録証がどこにあるかわからなくて5分くらい探すことになった(普段は絶対に入れないシャツの胸ポケットに入れていた)。ガサっと書類を渡されてチケットやパスポートを手にはさんだままあちこち移動するし、例によってせかされることの多い国。せかされても動じず、ちゃんと所持品を確認して動くこと。わたしの前にいた韓国人のおばあちゃんは、慣れないアプリやら書類やらで、あきらかにパニックになっていた。「ちゃんと教えてくれますから、あわてないでゆっくり行きましょうね」。あと、銀行でもらった、書類を入れる紙ばさみがあったので助かった。病院のカルテを入れてるようなやつ。カバンなんぞに放り込むと、かならず何かがなくなる。

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空港では、検疫→出入国管理→税関という流れはいつも通りだが、その間に臨時施設がいくつもあって、そこは陸軍の兵役くんたちが担当している。公務員のように仕事をしているが、大学なら1,2年生のかわいい連中だ。もじもじしているので、韓国語でいいよと言うと、ホッとした笑顔を見せる。危険な現場の任務ごくろうさん。きみも早く兵役終えて勉強がんばるんだぜ。

まず検疫官に、機内で作成した書類2通と、日本の医療機関で発行したPCR検査証明書を提出する。それらを検疫官がチャカチャカ入力して、これをくれる。

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パスポート番号とか省略してるが、問題はない。それから次のコーナーで熱をはかって、これをくれる。

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わたしのスマートフォンのSIMカードに不備があったので、保護者として後輩ミンジェに連絡をとったうえでの通過となる。サインとかめっちゃ適当。

入国ゲート

これらの書類をぜんぶもって、入国ゲートにパスポートと外国人登録証を出す。書類ぜんぶ出せというので、ガサっとぜんぶ預ける。なぜかわからないが、何度かエラーが出たりして時間がかかる。何か問題でも、と聞いても知らんふりでチャカチャカ。伝染るからしゃべるな、と言わんばかりだ。まあそれもそうだな。結果、問題なく入国。そのさいに、「行動範囲等制限通知書」というのを渡される。要するにおまえの行動は制限されるという、法務部からのお達し。これを受け取ったら、エスカレーターを降りて、預けた荷物をとり、いつもの税関で申告書を渡すと、そこにまた「陸軍」。

行先別待機

税関の先にデスクがあって、「陸軍」が待機している。ここで行先(ぼくの場合は慶南・昌原)を告げると、あっちに行けと支持される。到着ゲートのさきに待っている「陸軍」に「光明駅」と告げると、到着ロビーの一角に案内される。そこが、KTX光明駅に向かう人々のグループ待機所だ。到着ロビーに出てはじめて、ここが仁川空港の第2ターミナルだったことに気づく(慣れた第一とは風景が違う)。

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ここで、例のSIMカードのエラーをなんとかする必要がある。隔離生活では保健所からの電話に出ることは必須なので、電話番号が無効の状態で帰るわけにはいかない。ふだんなら、家に帰ってから通信社の代理店に行けばすぐにでも解決するはなしだけど、なにしろ今回は一度家に入ったら出られない。グループを担当している「陸軍」に事情を説明すると、ロビーの待機場所のすぐ前にあるLGU+のローミングセンターを指さし、どうぞ行ってくださいという。「4時に出発するからそれまでに戻ってください」。現在、3時55分。荷物を待機所に置いて、急いでローミングセンターに行き、かくかくしかじか説明すると、ふだんはやってないけど、こういう事情だからと言ってSIMカードの再発行をやってれる。5分以上かかるという。「ちょっと待って」。そこの陸軍の少年、5分かかるんだってよ。「大丈夫ですよ。先にこの人たち連れていくんで、後から案内します」。

電話を復旧してロビーに座っていると、さっきの陸軍少年が戻ってきた。かれについてエスカレーターを地下へ降りると、大型バスの乗り場があり、光明駅に向かう人がたむろしている。

入国者専用バス

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バスが出発したのは4時20分だから、飛行機が到着した2時30分から、手続きやらもろもろの待機などで、1時間半くらい空港にいたことになる。このバスは第1ターミナルに向かい、そこでさらに乗客を乗せる。第2の客はほとんど日本からの便のようで少数だったが、第1のほうはいろんな国からの客で人数も多い。韓国の高速バスはたいてい3列で、二人がけの席に一人ずつ座って距離をあけていたが、ここでほぼ満員となってしまう。ぼくは一人がけのほうに座っていたが、二人がけのほうは隣に知らない国の知らない人が座ることになり、車内がかなりピリついていた。ここで前列の男性が運転手にクレームをつけ始める。この状況は危険じゃないか、密じゃないか、アメリカやヨーロッパ帰りといっしょはいやだ、バスを増やせ云々。運転手は弱り顔で「私に言われても困るんです」。日本帰りが安全というわけでもないが、まあ気持ちはわからなくもない。バスは増やしたほうがよい。けど、今すぐどうにかできることでもなさそうだ。スタッフを含め、みんながリスクを負ってここにいる。

KTX入国者専用車両

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バスが向かった光明(クァンミョン)駅は、ソウルの南に位置する京畿道の新都市で、南部地方からの人が仁川空港にバスで直行するさいの中継駅になっている。つまり、ここで降ろされるのは、慶尚道や全羅道、忠清道へと帰る人々ということになる。バスを降りるとエレベーターで地下に降ろされ、窓口で、ここまでのリムジンバス料金と、これから乗るKTXの料金をいっしょに清算する。海外からの入国者の導線は、ここでも一般の乗客たちと接触しないように設定されている。

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ぼくの家は慶尚南道の昌原(チャンウォン)だが、いちばん近いのは昌原中央駅だが、昌原市の乗客はすべて終点の馬山(マサン)で降りることになっている。保健所の対応を一カ所にまとめる措置だろう。馬山行きの列車は6時22分。1時間ちょっとの待機となる。ここでスマートホンのバッテリーが切れた。

光明駅での誘導は鉄道警察隊のスタッフが行っていた。さすがにこういう検疫体制も長期間になり、それぞれの引継ぎもこなれている印象を受ける。

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馬山行きの列車に乗ったのは6人。一人が東大邱駅で降り、残り5人は馬山まで行くという。うち一人が若い女性で、中国かららしい中年男性2名、あと若い男性が2名、それにぼく。お互い、あまり会話はしなかった。ぼくは車内の電源でスマホを充電しながら、ほとんど眠っていたと思う。

大邱を過ぎたころに携帯の電源をいれると、慶尚南道の市外局番から何度も不在着信が入っていた。かけなおすと、一件は昌原市の保健所からで、健康状態の確認と、これからの隔離生活、そして隔離中に行われる検査についてだった。もう一件も保健所で、馬山駅からの輸送についてだった。迎えに来る車などはないと告げると、馬山駅で待つスタッフに伝えるので、保健所の用意した車に乗るようにとのこと。

地方自治体保健所に引き継ぎ

馬山駅に着くと、例の白い防疫服を着た保健所の人たちが待っていて、名前を告げれば住所まで把握しており、行先別のワゴン車に乗車する。入国者と運転席とはビニールで仕切られている。この車に乗ったのは、わたしと、さっき列車で見かけた若い女性の二人。

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10:00 p.m. 帰宅

馬山から昌原の自宅まで、車で約30分。家に着いたのは、夜10時のちょっと手前だった。関西空港でチェックインしたのがちょうど10時だったから、大阪から昌原まで、12時間。北九州の自宅からだと、一日半といったところ。長い旅だった。ひたすら検査をされ、質問に答え、なにかにサインをし、注意事項を伝えられることに疲れてしまった。

帰国のために家を出たのが12月26日。それ以来の自宅は、もちろんそのときのままだったけど、なぜか、シンクのあたりからチョロチョロと音がする。しばらくすると音はしなくなり、上下水道とも問題はないので、おそらく、1月の寒気のさいに凍結した水道管か排水管の一部が、とけている音だったんだろうと思う。水道管の破裂を心配したけど、さいわいそれはなかったらしい。

次回は、この日に出会った人びとについて、少し書きたいと思います。

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