33歳、生まれて初めてスラムダンクを読んだ話
恥ずかしながら私は男に生まれながらにして
ドラゴンボールもスラムダンクも幽遊白書も読んだことがなかった。
所謂、週刊少年ジャンプの友情・努力・勝利を題材とした作品を
ずっと食わず嫌いしてきたのだ。
学生時代の私は市民権を得ている作品に触れる機会がなく
それらの作品は全てスクールカースト上位の奴らの所有物のような気がしていた。
「読んだことがない」と私が言うと決まって彼らは
「人生損している!」「非国民だ!」などと言ってくる。
この「人生損している!」や「非国民だ!」で私が(これを言われた全人類が)読む気になるのだろうか。
プレゼンとはもっとこう相手(このケースで言うと私)に寄り添いながら
徐々に懐に入り込むのが良いのではないだろうか。
過去に新聞の営業マンを経験して成績が一ヶ月で0だった私のプレゼン論なんて当たる訳が無いが私はそう思うのだ。
話を戻すがそもそも
上記に挙げた漫画たちは私たちの世代ではなかった。
あくまで推測だがカースト上位の奴らの兄貴か誰かがその漫画を持っていて
それが周るに周った果ての「非国民だ!!」なのだ。
確かに幼少期にそれらのアニメなんかもやっていたし、
晩御飯の傍らBGM代わりに観ていた記憶もある。
が、ドラゴンボールの記憶を掘り起こしてもいつまで経っても私の大脳皮質には桃白白がなんかでっかい柱に乗って飛んでいる映像だけが再生されるのだ。
桃白白が永遠にでっかい柱に乗って飛び続けるだけのドラゴンボールは
改まって読む気にもならずそのまま放置していた。
幽遊白書に至っては世界観がもう苦手だった。
未だに幽遊白書のストーリーを知らないのでファンは怒らないで欲しいのだが目が三つある包帯の人と髪が赤いバラの人がもうダメだった。
なんというかキラキラしていた。
特にバラの人。あの人は多分主人公の仲間で超モテるんだと思う。
香水はあえて女子が使ってる香水を使ってそうだ。
多分これ使ってる。
因みにこの香水の匂いは知らない。でも、多分これ使ってる。
モテない男はこうして想像を膨らませて文章を書くしかない。
これはフィクションに見せかけたノンフィクションだ。
そして、今回のテーマでもあるスラムダンクだ。
これに関しては当時ほぼ全員が桜木花道になりたかったんだと思う。
桜木花道は「俺にも出来るんじゃないか?」をかなり上手く表現したキャラクターだと思う。
感受性豊かな時期に自分と大体同じ歳の桜木を見て胸を熱くし
「俺にもできそう。やってみようかな。」に変換させてくれる存在なのだ。
その共感こそが冒頭にあった「非国民が!」を産ませたのだ。
一つの作品の主人公に共感した人間は現実世界でも「自分と同じく共感した人間がいるはずだ!」と思う。というか思わざるを得ないのだ。
「男たるもの共感して当たり前なのがスラムダンク」なのだ。
では、その当時私は何を読んでいたかというと
「いちご100%」しか読んでいなかったし、アニメは「新世紀エヴァンゲリオン」(しかもこれはVHSで)しか観ていなかった。
教室の隅っこに2〜3人集まり「今週の東條は良かった」だの
「いやいや西野つかさが良かった」だの言っていた。
98%の男子が桜木花道になりたかった中で私たち2%はいちご100%の真中になりたくて仕方なかったのだ。
そんな私も33歳になりある事がきっかけでスラムダンクを手にする事となる。
それが今年公開となるスラムダンクの映画「THE FIRST SLAM DUNK」だ。
この情報が解禁になるやすぐに当時のカースト上位連中がSNSで騒ぎ始めた。
「うおおおおおお!絶対見る!!!!」などと言って。
そんな中大人になった私の感情にある疑問点が生まれた。
彼らの興奮は所謂、懐古主義からきているものなのか、それとも本当にこの作品を未だに愛しているということなのか。
どちらにせよもう数十年経っているこのスラムダンクの映画化の理由はなんなのか。
丁度Netflixでアニメが配信されていたので見始めた。
約一ヶ月ほどでアニメは全て鑑賞した。
そして、今私の隣にはスラムダンク全巻がある。
なんなら井上雄彦先生の画集も2冊購入した。
完全に私は非国民だったのだ。
国民が声を上げ盛り上がる理由が今の私にははっきり分かる。
スラムダンクとは
私たちが出来なかったあの日々を再現してくれている気がした。
卑屈で窮屈で退屈だったあの日々は少しだけ視点を変えると
こんなにも熱く逞しい日々になるのだと。私はそう捉えた。
私たちが成し得なかった青春の何たるやを
教えてくれた気がした。
そして、みんな桜木花道になりたいのだと書いたが訂正をする。
みんな湘北高校の生徒だったのだ。桜木花道はこの世に一人しかいない。
みんな彼の(彼らの)友人になっていたのだ。
桜木花道って面白いやつが居る。
たったこれだけで良かったのかもしれない。
山王戦のラスト数秒。
どれだけの人間が涙を流したのだろう。
どれだけの人間が息を詰まらせたのだろう。
友人の桜木花道が頑張っているから俺も何か始めてみようかな
なのだ。
スラムダンクはこんな私にも寄り添ってくれるそして
一緒に歩き出すことのできる作品だったのだ。
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