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あなたの傷を見せて

「これは、戦わないかたちで、自分たちの大切なものを守ることにした、世界の片隅の、ある小さなクラブの記録であり、途中報告書だ。」という言葉から始まる、これは報告書の形をとった小説である。

タイトルには、もっと早くから出会っていたけど、今読んでよかった。

言葉にならなかったことは、どこにいくのか。
言葉にならなかったことは、なかったことになるのか。

という私の問いに、図らずもこの本はヒントをくれた。

言葉にならなかったこと(傷ついた心)には、誰かに包帯を巻いてもらうことで癒されることがある。

大したことではなく、ほんのささいな包帯のひと巻きだった。
でもそれは、確かにこの場所、ここの風景が、傷を受けていた証のように思えたし、同時に、しっかり手当てをしてもらえた跡に見えた。…

でも、いまはその傷を認めてもらえた。あなたの傷なんだと言ってもらえた。
そして、包帯が巻かれている。完全に治ったわけじゃないけど、少なくとも血は止めてもらえた。

『包帯クラブ』天童荒太

嫌なことがあった場所、二度と行きたくない場所、に彼らは包帯を巻き、その風景の写真を撮る。ブランコや、ベンチ、屋上の柵…どこにでも。
包帯を巻くことで、痛みや傷が可視化され、誰にでも見える形に変わる。あるレベルまでではあるけど傷を共有できるようになる、とも言える。
これは傷と言えるようなものか、という選別はない。どんな傷も、他人に何と言われようと自分の傷であるからして、平等に白い包帯を巻いてもらう権利がある。

包帯を巻くためには、自分の傷を、自分の言葉で他者に伝える、という工程が不可欠であり、ここに一つ目の壁がある。傷を共有したい、という信頼関係または、見ず知らずの他人にだからこそできる話というのもある。とにかく、話すことから始まるのだ。

あなたの傷を見せて。私の傷も見せるから。

この段階で、言語化は始まっているのだが、結構、というかかなり高度なことを、包帯クラブの彼らはやっているのではないか。という気がしてきた。

とはいえ、包帯を巻く行為にはそのハードルを越える意義がある。包帯を巻かれた風景を捉えた写真が、さらに傷の印象を強くし、心に直に訴えるものになる。そして個人のものだった傷は、他者に共有されることで「かけがえのない、私の傷」になる。傷は消えるのではなくむしろ可視化され、そこから人は、自分だけの傷と共に生き始める。

高校生だった包帯クラブの彼らは大人になった今、傷ついた地球に包帯を巻くために世界を飛び回っている。すごい。

言葉にならなかったことは、どこにいくのか。
言葉にならなかったことは、なかったことになるのか。

言葉は、他の誰のものにもなり得ない。そして、どこにも行きはしない。ただ私だけの言葉になって、私の一部であり続ける。
あなたの傷を見せて、と言う勇気を持てない私は、自分の傷に包帯を巻く。

余談。一昨日行った皮膚科の先生が優しかった。いつも優しいけど、「楽しく年末が迎えられるようにしましょうね」って言葉が良かった。
昨日は、会社で普段会わない話さない方に、声だけで「風邪ですか」と言われて驚いた。誰かに渡すための絆創膏を、いつも持っている人たちってすごいな。と思う。


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