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「究極の二択」体育会系インドアという属性

こんにちは☆

こちらは前回のつづき。
今日は、体育会系インドア時代のことについてもう少し詳しくお伝えしようと思います。

体育会系の原点「口で勝てないなら、どうするか」

 なんで体育会系かというと、家が女系だったからかなぁと思います。
姉たちと8学年離れていたこともあり、お姉ちゃんが強かった。
 特に長姉は弁が立つので私のワガママは一切通用しませんでした。
 その結果、姉に負けない分野はなにかと考えた結果、5歳の私は体を鍛えたらいいんだという結論に達しました。

 幸いにして、小学校入学時に120センチと頭一つ抜けて身長が大きかった私は小学校では恐れられる番長ポジションでした。しかも入学当初から6年生と腕相撲しても負けないほど腕力もあったので「力でなら自分をアピールできるんだ」とオラオラ言ってた結果、口下手に拍車をかけて力がすべてと思うに至りました🦍

 そんな経験から、姉の存在や同学年男子との喧嘩を通じて、力の上下関係を知っていた私には、体育会系の環境は馴染み深かったので中学校では運動部に所属することを決めました。

インドア属性の原点「どうやら極め属性が強かった」

 インドア属性との出会いはもっと根が深くて、一緒にいた人の存在が大きくて、多くが極み属性の方だったことが挙げられます。
 小学校から10年以上付き合いのある連中と、いまも半年に1回程度一緒に飲んだりしてるんですが、彼らの仕事はパーソナルトレーナー、料理人、SE、研究職、音ゲーの天才など、何かを極める人ばかりだと気づきました。
 保育園〜大学まで通った体操教室も、現役大学生が練習するそばで自分たちの練習をするなど、極めた人たちを間近で見る機会にも恵まれていたので、自然と「極める」ことは面白さを知っていきました。

 才能あふれる方々に囲まれて育った私はといえば、頑張っても頑張ってもうまく行かなかったので「自分ってとっても平凡なんだな」とその人達と線を引いてしまいました。
 もしも諦めず、今でも続けていたらもしかしたら違う道もひらけていたのかも(笑)

 中学校は、何を間違ったか女子校へ進学し、いままでの常識が一切通用しない場所で修行を積みました。
 思春期を過ぎた頃、ようやく冷静になった私は「力ですべて解決できない」と学び、私は「平凡な人になろう」と行動を変えてから20数年過ごしてきました。

品川の水族館に行った時のクマノミの写真♡

人生は海図のない航海のように

いまはすっかり落ち着いて、普通もわかるようになりました。
 ただ、友人からは 「私はごはんに対する愛着が人一倍強く、人が思いつかないような視点で会話に切り込むことができる」という信頼とも畏れとも言えない不思議な視線を向けられるようになりました。

おんやぁ〜〜〜〜????

「無くて七癖」というけれど、まさかこんな形で自分にはないと思っていた才能に出会うことになるとは思いませんでした😂

いまでは、自分にも才能があるんだなと個性を受け入れたことで、なにか始まるんじゃないかなとワクワクしています♪

改めて、自分のスタートです❣

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