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「私」を表現できる場所

 お久しぶりです。忙しさにかまけて、だいぶ投稿をサボっておりました。その間に書き留めておきたいことができたので、再び筆を執ることにします。

 テーマは、「自己表現」。自分が自分で無いようで、それでいて素の自分でいられる。そんな大切なものを見つけました。
 この矛盾、意味不明~と思われるでしょうが、これが私の感情を的確に表しているのです。

私が振り返る「私」

 基本的に私は、注目を浴びたくない。あがり症だし。国語の朗読ですら、心臓バクバク喉カラカラ。親しい人と話す時も、自分の話に注目されるとどうしても声が小さくなる。

 この傾向は、高校くらいから現れ始めた。目立たず、「他人と同じ」「普通」を好むようになった要因の一つとしては、地元の(比較的)進学校に入って上には上がいることを思い知り、あらゆる面で自信を持てずにいたことが挙げられると思う。あとは思春期も多少…あるかな汗。
 何をするにも何を話すにも、常に「自分は間違っている可能性を秘めている」が前提。だから高校生活はただただ平凡に生きた。

 そんな"フツー"な生き方のまま、大学生活がスタートした。入学当初は、やりたいことも目標も特に無かった。勉強するために4年制大学に進学したから、真面目なゼミに入ることだけは決めていたけれど。
 大学生活もまた、平凡に過ごすのだろうと思っていた――。

「私」の変容

 そんな私の大学生活は、「ロールモデルにしたい!」と思えるほどアクティブでエネルギーに溢れた先輩と出会うことで、大きく変わり始める。

 先輩が様々な方面で(と一言でまとめるのは大変粗末で勿体ないが泣)活躍されている姿に感化され、「とにかく挑戦する」をモットーに大学生活を送ることを決めた。
 決めたとは言え、そのモットーが現実味を帯びる望みは薄かったのだが、「挑戦、挑戦」と頭の中で反芻しているうちに行動に移せるようになってきた。
※ここでは挑戦した先が目的なのではなく、挑戦自体が目的である。

 前置きが長くなったが、今回はそうした経緯で始まった"挑戦"の一つ、ベリーダンスの話をしたい。

ベリーダンスという武器

 トプ画でお察しの通り(誰が分かるか)、私はベリーダンスをやっている。始めたのは大学2年生の春。

 2年からであるワケは、身体を露出する勇気が出なくて1年間も渋ったから。ただし、渋っている1年の間もずーっと頭の片隅にベリーダンスの存在があった。
 とうとう自分の心に嘘がつけなくなって、1年ごしに入サーを決心する。

 なぜベリーダンスか?と問われても、難しい。直感だ。まあ、私好みの"柔軟な身体の使い方"に惹かれたのは間違いない。
 その直感を入部という行為へ移させた要素としては
①先述した先輩がやっていて身近に感じていたこと
②初心者でも始めやすいこと
③衣装が可愛いこと
④後に同期となる子が、その時点では同期がいなかったため入ってくれたら嬉しいと伝えてくれたこと
の4点が挙げられる。

 たった1人の同期は、途中から入った私を温かく迎えてくれた。その子は非常にフリ覚えが早く、また自分の踊りに消化するのがうまく、尊敬できる子だった。
 そのため私のベリーダンス人生(話がでかい)は、「同期と1年の差を埋めて追いつくこと」、そして「自分らしいベリーダンスをできるようになること」を目標に始まった。

 その目標を胸に、毎週ひたむきに練習に励んできた甲斐あって、1年半前に比べたらだいぶ上達した(と思う)。1年半前は菩薩顔で踊っていた私も、表情管理を褒められるようになった。
 腰の動きや表情を「エロい」と褒められることはとてもとても恥ずかしいけれど、嬉しい笑。仮にバイト先で「エロいね」なんて言われたら速攻睨みつけるだろうが、ベリーダンスに関しては歓迎できる。


 衣装に身を包み、(普段アイシャドウすらしない私が)派手極まりないメイクをすると、不思議なことに何も怖くなくなる。細くもないお腹だって出せるし、学園祭で盛り上がるキャンパスをそのまま練り歩くことだってできる。
 その感覚はまるで、弱っちぃ自分がベリーダンスという武器を手に入れたかのようである。

 普段注目を浴びることを嫌う私が、武器を手に入れると「私のベリーダンスを見てほしい」とまで思えるようになる。私って表現することが好きだったんだ、と自分でもびっくり。
 これが、最初に提示した「自分が自分で無いような」感覚だ。

 そんなふうにベリーダンスを通して未知な自分と出会う一方で、踊っている時の自分は嘘偽りのないありのまま。他ならぬ自分である。目線やリズムの取り方、そして後輩に可動域がバグだと言われる(褒めてるのかけなしてるのか)腰のひねりは、生意気ながらこだわりをもってやっている。自分をさらけ出した自分だけのパフォーマンスは、心地が良い。

 "身体の露出"に対する当初の不安とは裏腹に、ベリーダンスは自己表現ツールとして最適であった。

出会えた幸せ

 学園祭も終えたことだし、最後にこれだけ吐いてしまおう。正直、学業との両立は本当に大変だった。学会での研究発表10日前にベリーダンスの発表会があったことも。その際は、一ヶ月間で5曲のフリを覚えながら研究の大詰めを迎えることになり、毎日睡眠時間が2~3時間だった(もう二度とこんな生活はゴメンだ)。
 また、振り付けする1曲を含めてトータル7曲覚えなければならない学園祭前には、学業に加えて就活が襲ってきた。日本の就活の仕方に疑問を抱いてまさに悩んでいる最中の私にとって、それはそれは精神的に死にクるものがあった。

 でも、どれだけ大変でも手を抜きたくなかった(正確には手の抜き方がわからないのだが)。私はベリーダンスがとっても好きなのだ。
 ただ、同期の子にすごく大きな負担を負わせてしまったことだけが心残り。自分は何かできていただろうか…。ひと一倍責任感のある優しい子だから、誰にも言わずに悩んでいたと思う。すごく今更だけれど、ごめんね。私が最後まで頑張ることができたのは、同期のおかげ。感謝しかない。

 ベリーダンスは、私が私でいられて、私を最大限に表現できて、且つ新しい自分と出会える、最高の武器である。大学生活でベリーダンスと出会えたこと、一緒に練習に励み、何もかも曝け出すことができる仲間と出会えたことを誇りに思う。

おわりに

 久しぶりに文章を書いたら、何かがえらい鈍っていた。満足できる文章が書けない(泣)。拙くて長い文章を読んでくださった方がいるのなら、感謝。

 定期的に文章化して発信しないと、来年の卒論がひどいことになりそうだ。もう少し更新頻度を挙げることを心に決め、筆を置くことにする。

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