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もっと早く出会いたかった②@町医者エッセイ

積極的な緩和ケアが始まりました。
眠れない、だるい、痛い、食欲がない、苦しい・・・、様々な苦しみが天野さんに襲いかかっていました。神がいるのだとすれば、何を理由にこれほどの苦しみを一人の人間に与えるのか、私は、神を、そして運命を恨まざるをえないほどでした。しかし、誰を恨んでも仕方ありません。今、私の前には、ただひたすら苦しんでいる天野さんが横たわっている。私は、医師として、苦しんでいる方にひたすら力になりたいと強く思いました。
 
天野さんとの物語を進める前に緩和ケアの説明をいくばくかしましょう。世界保健機関(WHO)は緩和ケアを次のように定義しています。
 
「緩和ケアとは、生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者とその家族のQOLを、痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に見出し的確に評価を行い対応することで、苦痛を予防し和らげることを通して向上させるアプローチである」
 
私はこの定義で二つに着目しています。QOLの向上、そして家族にも配慮していること。
 
まず、QOLの向上について。QOLとは生活の質のこと。痛みを例にとって考えてみます。痛みが和らぐことは生活の質の「維持」に役立ちます。しかし、それだけで自動的に質の「向上」につながるわけではありません。痛みがとれることで何かしら生活の質が向上すること、それが緩和ケアであると。つまり痛みがとれるだけでは物足りないわけです。
そして、患者のみならず家族にも配慮していること。苦しんでいる患者をみて家族も苦しむ。患者を見送った後も、残された家族の人生は続く。家族を残して先に去る患者にとっても、残される家族にとっても、患者が最晩年をいかに過ごすかはとても重要なのだと思います。
 
さて、話を天野さんに戻しましょう。「悪くない人生だった」と、天野さんも、家族も思ってくださるよう、天野さんに積極的な緩和ケアを提供することにしました。QOLが向上し、かつ天野さんもご家族も納得がいくような。
 
あるとき、天野さんが犬に会いたいと話されました。天野さんも、ご実家でも犬は飼っていません。犬を飼っているスタッフがいましたが、その犬を連れて来ればいいという問題ではありません。「誰」が大切です。誰の犬が、誰が連れてきて、誰が何をするということがポイントです。関東に残った息子さんが犬を飼っていました。息子さんの次の休みに、息子さんが犬を連れて戻ってくることになりました。そして、息子さんの手で、お母様に犬を対面させようと。さて、当日。結果は書くまでもありません。天野さんの心は大きく満たされ、深く癒やされていました。
 
あるとき、お風呂に入ろう、という話になりました。看護師やヘルパーが介助することは簡単ですが、それだけでは物足りない。看護師が「ご主人と一緒に入ったらどう?」と粋な提案。関東に残ったご主人は頻繁に盛岡の妻のもとに駆けつけてくださいました。そのタイミングで天野さんの入浴。やはり結果は書くまでもありません。御本人にとっても、ご主人にとってもかけがえのない時間になりました。
 
本人の意欲、ご家族の愛情あふれる介護、ここに私たちの積極的な緩和ケアの効果もあり、始めてお会いした際に比べると苦痛も緩和され、また見違えるほど笑顔も増えました。しかし、病気は淡々と悪化し、確実に最期が近づいていました。(続く)

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