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なぜ東野圭吾の小説はスラスラ読めてしまうのか、理由を考えてみた。
最近、東野圭吾の「流星の絆」にどハマりしています。
当時は見ていなかったけど、昔ドラマでやっていたやつです。
東野圭吾の作品はほんっっっとに疲れる。でも、とても面白い。
こんなにも話が入り組んでいて、複雑でややこしいのに、先が気になってスラスラ読めてしまう。その理由を考えてみました。
一文が短い
ホント、これにつきます。例えば、以下の文章。
功一は袋に手を伸ばし、中の時計をじっと見つめた。
その目に驚きの光が宿るのを萩村は期待した。しかし、そうはならなかった。功一は小さく首を傾げただけだった。目には戸惑いの色しかなかった。
この文章をすべて繋げるとこうなります。
功一は袋に手をのばして中の時計をじっと見つめたので、その目に驚きの光が宿るのを萩村は期待したが、そうはならならず、功一は小さく首を傾げただけで、目には戸惑いの色しかなかった。
一気に話ながっ!!ってなりませんか。
この方は複雑でややこしい話を書くからこそ、「読みやすい文体」をとても意識されてるんだなーって思う。
会話でも一気にバーって話されると、なかなか話が入ってこないように、区切ることで途端にわかりやすくなります。
スーッと読める文章、スーッと聞ける話。
区切るほど、読み手(聞き手)の負担は少なくなる。
残りあと200ページちょい。
どんな結末をむかえるのだろう。
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