「くれなずめ」(2021)

結構期待して観に行ったのだけど、あーこれは合わないやつだと感じて、終盤のファンタジー描写の頃にはもう、魂が抜けかけていた。集中力ゼロ。もちろん涙も出なかった。

「ホモソーシャル礼賛」にもう浸れない

おそらく、私は男性ホモソーシャルを礼賛するように描かれる作品には、もう浸れない身体になったからだろう。私だって「青春の馬鹿騒ぎ」自体は好きだし、そもそもホモソーシャル本来の意味で言うと、私は青春時代を女子校で過ごした女性ホモソーシャル出身なので、同性同士のつながりにはノスタルジーを感じる。しかし、この映画で描かれたような、女をブスと言って盛り上がる、童貞・風俗ネタで盛り上がる、ちんちんというワードが大好きですぐ脱ぐ、みたいな体育会系ホモソノリを手放しで愛でる松居大悟監督の感じが、合わなかったのだなと感じた。ブラザーフッドよりシスターフッドの方が上だなんて言うつもりは毛頭ないが、そういうディスり文脈での青春はなかったんだ、私の経験した女子校には。

特にこの映画のキモである結婚式の余興への抵抗感があった背景には、私自身の体験としてのトラウマがある。自分の結婚披露宴で新郎友人にホモソ代表みたいな出し物をされ(この映画で出てくる赤ふんどしでクオリティの低いダンスをするのとほぼ同じ、半裸で学ランを着て中身のないことを叫ぶ余興だった)、私の友人たちがドン引きしてるのを見て笑顔を貼り付けつつも心では泣きながら早く終わってくれと願ったし、私の親族にはお願い見ないで聞かないでと思ったし、最後に下ネタを叫ばれたときは地獄に堕ちろと呪ったからだ。本当にああいう友達がいるということが全てを表していた、あの頃の自分は何度思い返しても狂っていたので、結婚式が人生最悪な日になったのだし、あの日よりひどいことは幸いなことになかなか起きない。
映画の中で数少ない、いいな!と思った点は、あっちゃんの演技だった。輝いていたなあ。でも本作での「クソ真面目で特に男子に対してヒステリーに怒る眼鏡の清掃委員」の描き方は、いや、実際いるけどねそういう子、でも悪意がある描き方だったな…「好き」ってほんとか?しょせん顔か?

「ただ最近会っていないだけ」と、「もう会えない」との差

批判的なことばかり書いたけれど、もちろん良かったと思ったところもあるのよ。この映画の大テーマである、人は突然いなくなることがあるということ、それでも残された人の人生は何てことなく続くということ、その人の死を前に、悔やんだって忘れようとしたって実感がなくたって、もういないことには変わらないということ。私も同級生を二度突然亡くしているので、「本当に人ってあっけなく死んじゃうんだな」というのは実感としてあり、共感するところはあった。私の場合はものすごく濃密な関係を築いた友達ではなかったけれど。お通夜に参列する経験すら少ない私たちが彼との思い出を笑顔で話した方がいいのだろうなと探り合ったあの空気や、葬式で初めてその子がキリスト教徒だったことを知り「幸せなことに天国に行きました!」というテイで進む式に納得が行かず、遺族のすすり泣きを聞きながら下を向くしかなかったあの日の虚無感は、今でも結構リアルに覚えているものだ。「ただ最近会っていないだけ」というのと、「もう会いたいと思っても会えない」との間には、大きな差がある。監督の実体験がもとになっているというけれど、誰かの死に相対した時に必ずしも「克服」する必要はないんだという救いはよかった。


このタイミングの炎上で、ブルータスお前もか状態

さてそんな中、松居監督と出演する俳優が被りがち?な今泉力哉監督がTwitterで炎上しているのを見て、ブルータスお前もか…と思うなど。批判をまともに受け止めて神妙に反省しているように見えて、実は本質がわかっているとは思えない発言を重ねていて、さらに心が離れてしまいそうだ。そもそも蔑視とか偏見というものは、これからは気をつけます、というくらいでは消えないもので、人生において常に勉強していかなければならないものだと思うから(自戒の念も込めて)。差別主義者の言い訳テンプレである "I'm not raisist. I have Black friends. " 論法を展開していたので、ますます無知の上塗りしているのが心配。そもそもの勉強からしてほしい。アンコンシャスバイアスってそう言うものだから。今泉監督作品には好きなものが多かったし「街の上で」も面白く観たので、ちょっと、いやかなり残念だったけど、映画界も男女平等にはほど遠く、一見「みんなに優しい」多様でリベラルな作風に見える人でもそうなのだと思うと日本社会〜!と思う。フェミニズムとか差別とか人権とか、そういうことに対しての意識がなければ、今回の今泉監督の発言だって、たいして気になることもないのだろうけど。

一方で、今泉監督と同じように私も「俳優ファン」の人たち(女性に限らず)の「外側・入れ物としてしか見ない」「推しが演じていることを常に意識しながら見る」「推しがやってるんならなんでもいい」という感じには、嫌悪感にも似た違和感があった。そこは今泉監督に同意したくなるところもある、けどそこにジェンダーは関係ないんだよなあ。これまでもミソジニーを感じる発言はあったと書いている人も散見されるので、今後の今泉監督の姿勢には注目していきたい。基本的には、作品に流れている空気は好きだし、人をありのままに撮ろうとしている感じも好きだから。

そして、話を戻すと…松居大悟監督作品は、ホモソへの偏見なしに観たいとは思うけど、覚悟を持ったうえで観ていきたい。

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