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青春だったな・・と思うこと

自分の人生において、もっとも青春な時は?と聞かれることがあったなら
私は迷わず高校3年間と答える。

高校時代、とりわけ部活動での出来事がめちゃくちゃ青春だった。

高校時代は水泳部に所属していた。
中学時代は演劇部だったため、最初は練習についていくだけで精一杯だった。
同級生たちは、水泳以外だったとしても、何かしら運動系の部活を経験している子たちだったから
そもそも運動部に耐えられるだけの基礎体力がなく、ただただ泳ぐことが好きなだけの“もやしっ子”のような私を
きっと「練習の足手まとい」くらいに疎ましく思われていたんじゃないかと、当時を振り返って思う。
実際、仲間とも先輩とも馴染めず、孤立したような状態だった。
(そんな状態でも、あんまり気にせずマイペースに過ごしていた自分を
なんて強心臓な奴だったんだ・・と、今更ながら驚くのだが)

転機は1年の夏合宿。
入部して数か月、だんだんと練習についていけていないことへの悔しさと恥ずかしさを感じ始めたころだった。
そんな気持ちで夏合宿に突入し、そこでついに『悔しい・恥ずかしい』感情が『(弱い自分に)負けてたまるか!』の感情に変化した。
それはもう怒りのごとく強い気持ちだったと思う。
とにかく必死で仲間を追いかけて泳ぎ、がむしゃらに練習メニューをこなす日々。
おかげで夏合宿の後半にはずいぶん体力がつき、練習にも、そして仲間にも馴染めるようになっていた。

この夏合宿以降、部活がますます楽しくなった。
水泳は個人競技だから、戦う相手が常に自分自身でいられたのもよかった。
仲間と和気あいあいとしながら、自分のタイムを1秒でも短くすることに注力することができた。

2年になり、3年になり、いよいよ引退直前。
最後の県大会。
この大会が、人生で「もっとも青春」な出来事になる。

高校最後の県大会は、みんなエリア大会への出場権獲得を目標にしていた。
エリア大会は、県大会の上位数組しか行けない。
私の高校は強豪校ではかったので、その上位数組に入ることは高い壁だった。
とはいえ、自分のエントリーする個人種目での上位入賞は到底かなわぬ夢のため
いつも通り己のタイムと戦い、なんとか自己ベストを更新して最後の試合を終えた。
応援席に戻り、リレー種目のメンバーを送り出す。
私たちはこの種目で、エリア大会出場を目指していたのだ。

いよいよリレー競技スタート。
選手が入場し、各レーンの学校名がコールされる。
私を含め応援組のメンバーは応援席を飛び出し、
通路の壁から身を乗り出すようにして仲間を見守った。



ホイッスルの合図でスタート台に乗り、位置につく

一瞬の静寂

そして・・・スタート

応援席も各校、応援合戦が始まる。
私もメガホンを握りしめ、叫びのような声援を送る。
正直、泳いでいるときは応援の声なんて聞こえてない。
それでも『パワーよ届け!』とばかりに、応援組は声を出し続けた。

予想通りに入賞争いのデッドヒートを繰り広げながら
一人、二人、三人と、順調にバトンを繋いでいく仲間たち。

アンカーが折り返し、最後の50メートル。
私たちは祈るような気持ちで、応援を送り続ける。

ラスト25メートル、10メートル、5メートル・・・フィニッシュ

電光掲示板を見る

順位が映し出される

そして

順位を見た瞬間、泣き崩れた。

念願の、エリア大会出場の切符を勝ち取ったのだ。

私は泣きながら、泳ぎ終えたばかりの仲間たちに
メガホンを振り回し「おめでとう!」と叫んだ。

アンカーがフィニッシュする直前から順位を見るまでの間
時間にして、およそ数秒間の出来事だとは思う。
ただその数秒間は、本当に映画のワンシーンのようだった。

すべての音が消え、動きはスローモーションになり
自分の鼓動の音だけがSEのように聞こえている。
そして順位を見た瞬間に、地鳴りのような歓声の音が戻ってきて
見える景色は涙でぼやけていく。

これが私の記憶に残っている、その数秒間の映像。
そして、人生で「もっとも青春」な場面である。

そのあと、激闘を終えて戻ってきた仲間に
「まさこの応援、聞こえてたで。ありがとう」と言われ
また泣いた。

もう何十年も前の出来事なので、美化された記憶として定着してるかもしれない。
それでも、思い出すたびに「あぁ青春だったなぁ・・」と懐かしい気持ちになれるような
そんな出来事が人生に一つでもあってよかったと、心から思う。

高校時代の自分へ
いい思い出をたくさん作ってくれて、ありがとう。


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